第48話 シキセマ

「筅!」


 振り上げられた手を衛は掴んだ。此処で終わっても構わない。

 これが最後なら、死んでもいい。志半ばで挫折する事も厭わない。


 苦しみや激痛で衛はもう意識を保つのがやっとなのに、その腕をしっかりと掴んで引き寄せるのだ。もう放さないと言うように背中に手をまわして強く抱きしめる。

 ずっと望んでいたことだ。好きな人に腕の包まれるなんて、女子ならば誰だって夢見るだろう。

 タイミングはいつだって最悪だった。衛は、タイミングを逃し過ぎなのだ。


「衛……放してよ」

「嫌だ。もう放したくない。……お前がいなくなった日から、俺はずっとお前の事を考えていた」

「そんなの、嘘だよ」

「かもしれない。だけど、お前のことを忘れたことなんてない。俺は、ずっと二楷堂卯月を探していたわけじゃない。小鳥遊筅を探していたんだ」

「っ……」

「好きだよ。ずっと好きだったんだ。莉のことを相談できるのはいつだってお前だった。お前しかいないんだ」


 筅が莉を心配する気持ちは、本物だった。本物なわけがないと言えない。

 莉が苦しいと衛も同じように苦しい顔をする。

 同調できない辛さを衛は感じて、その辛さを理解出来ないと筅は目を逸らした。


 何も知らない純粋無垢な少女。学生にもなれない。大人にもなれない。

 成人にして、恋する事もない。でも、兄がいるだろう。

 絶対に切り裂くことのできない兄が傍に居る。

 衛は、いつだって莉の事を考えている。筅が居れば莉は大丈夫だといつだっていう。自分のことなど顧みない。


「そうやって……衛はいつも、私が言ってほしいことを、言ってくれないよね」

「俺が言いたくないからだ」


 このまま突き放して、完全に決別してくれた方が筅は幸せだった。だと言うのに、迎え入れようとしてくれている。それが叶わないと知っていながら衛は、莉と筅をどちらも助けようとするのだ。


(殺すために来たのに、目的を忘れてバカみたい)


 どんっと筅は衛を突き放した。その拍子に衛のポケットから何かが落ちた。

 ロケットペンダントだ。二楷堂先生の衣服から落ちたものを返すのを忘れていた。


「……なんで。それって……」


 そこには、胡桃色の髪をした少女と二楷堂先生が映っていた。

 生前の二楷堂卯月だ。幼少期の頃、まだ仲が良かった頃に取った数少ない写真のひとつ。楽しかった思い出を一つの写真にとどめた。それを父親がずっと持っていてくれたのだ。


 床に転がるロケットペンダント。特別な装飾もない。ただ写真を張り付けているだけのものだが、二楷堂先生や卯月にはかけがえのない物だ。

 紙媒体などいまでは廃れた。小物に写真を張り付けるなんて事、衛の世代は決してしない。幼少期の衛が小学校の運動会で両親がカメラを構えたかないか。


 衛はロケットペンダントを拾う。カバーがもう壊れかけて蓋として機能していない。


「二楷堂先生はずっとお前を助けようとしてた。俺も同じだ」

「嘘だよ。だってお父さんは、私のことなんて……」

「二楷堂先生がなにを思って、学園に来たのか知ってるだろ?」


 きっと筅は、教室に二楷堂先生が現れた時には気が付いたはずだ。

 何も知らないふりをして、偽神のふりをして父親を避けた。


 二楷堂先生は自分の罪を認めて、二楷堂卯月を救おうとしていた。

 もう死の苦しみから解放するために、戻ってきたのだと、追放されたあとも最愛の娘を救うために奔走していた。

 衛は二楷堂先生を許してはいない。莉を巻き込んだ罪を償ってもらう。


 ロケットペンダントの写真は、下手くそに笑う二楷堂先生と満面の笑みを浮かべた二楷堂卯月の二人がいる。懐かしい思い出、生前の記憶。

『死期』を使って相手がなにを考えて、なにをしようとしているのか知る事が出来る。今ならば、二楷堂先生が、何を考えているのか知る事が出来る。

 二楷堂先生が天理学園に来たときから『死期』を向かわせて、全てを掌握してしまえばいい。


「卯月」


 そんな時だった。教室に入ってきたのは、息も絶え絶えの二楷堂先生だった。


「なんで……『死期』が図書館を制圧しているはずなのに」


 今頃は、さとるを振り切って二楷堂先生のいる研究施設を襲撃して莉を殺害しているはずだと筅は戸惑っていると二楷堂先生に続き「生憎と先手を取らせてもらったぞ」と女性の声が聞こえた。

 可憐と可憐が率いている部隊がやって来る。

『死期』が教室に入ってきたその人たちを襲ったが、可憐は容赦無用で『死期』を抹殺していく。


「莉は……!」

「心配するな。私の部下が、周東さとると共に城野莉の保護を完了させた。次いでに外にいた周東聡、烏川美夜の保護も完了だ」


 二楷堂先生が図書館で衛の帰りを待っていると、さとるが飛び込むように研究所に入り「すぐに、逃げてください」と息も絶え絶えで伝えてくれた。

 図書館は既に『死期』に制圧されてしまい身動きが取れないで籠城戦を強いられていた。何とか研究室だけでも死守していると可憐の命令でやってきた部隊が『死期』を撃退して侵入してきた。二楷堂先生は部隊員に拘束されるところだったが、説得して校舎まで来た。

 可憐の監視のもと、二楷堂先生は教室に来ることが出来た。急がなければと伝えたいことがあるのだと二楷堂先生は娘を見る。


「罪は償います。だけど、その前に卯月……君に僕の意思を知ってほしい。君の力で『死期』を操って僕の心を見て欲しい。君を絶望で終わらせたくないんです」

「私を捨てたのは、貴方じゃない」


『死期』が二楷堂先生を襲撃する。可憐が二楷堂先生を護るが間に合わず、彼の胸を『死期』が穿つ。愛憎の『死期』が二楷堂先生を苦しめる。衛に向けた感情は、ただの人間には耐えられない。


「二楷堂先生!?」

「っ……僕は、平気です」

「偽神、二楷堂卯月。マザーボードは破壊された。残るは貴様を殺すだけだ。下手な抵抗は死期を早める事になるぞ」

「死期を早める? 『死期』を支配しているのは、この私なのに?」


 なんて不思議なことを言うんだろうと筅はきょとんとした顔をする。


「お父さんも衛君も、私を殺せば莉ちゃんを生かせると思ってる。うん、あってるよ。莉ちゃんに繋がれた『死期』が許容範囲を超えてしまえば、私との接続は切れる。でもね、どうして私と……偽神と繋がってしまったのか知りたくない?」


 ただの病人が偽神と繋がってしまった。生命共有まで近づいてしまったのか。


「衛君が、莉ちゃんを連れて来たのが原因。病院で『死期』に侵食されて、死を待つだけの莉ちゃんを、死の権化である私の支配圏に連れて来た。私が操る『死期』が弱った莉ちゃんを食べようとして、偶然にもチャンネルが合致してしまった。だからね、この状況を生み出したのは衛君でもあるんだよ。……笑っちゃうよね。莉ちゃんを助けたかったのに、安全だと思って連れて来た場所が、まさか『死期』が生み出される場所で死期を早めてしまう場所であるなんて誰も気が付かないよね」


 莉が『死期』を取り込んでも生き続けてしまった。その特異性で筅の計画は破綻した。莉がいなければと呪いを唱えながら叶わない願いを胸に抱く。


「知ってる。俺が莉を危険に晒して、筅を殺さなきゃいけない状況にした。俺も咎められるべきだな」


 まるで衛も罪を償うと言いたげだ。

 衛に罪などないと言うのに、莉を救いたいという気持ちが罪になるのなら、甘んじて受け入れる。


「卯月、僕は君を助けたい。その為に衛君にお願いしたんだ。もう君が苦しまないように、死を引き起こさないようにしたい」

「……はあ、多勢に無勢かな」


 筅はわかっていた。此処で抗っても意味がない。もとから偽神として完成するつもりはなかった。

 けれど素直に諦めきれないのも事実だ。


「たった今、全生徒の避難が完了した。残すは偽神を始末するだけだ」


 可憐が無情にも言う。彼女の仕事は、あくまでも偽神の抹殺と生徒や『死期』が見えてしまってる者たち彼らの言葉で言うのであれば『シキセマ』の者たちの保護だ。

 任務の為なら手段を択ばない。多くの命をその手で屠ってきたのは、その目を見れば一目瞭然だ。どれだけ慈悲を求めても可憐は一切揺らぐことがない。


「いつも邪魔ばかり、三年前から懲りたんじゃないの」

「懲りている。だからこそ、今こうして不穏分子の抹消に精を出している」


 筅は、逃げてきた。それは何もエリュシオンの研究者からだけではない。

 偽神を生み出そうとしていると違法研究を続けるエリュシオン研究所から脱走した被験者の確保が任務として含まれていた。


 三年前、可憐は筅と対峙したことがあった。生憎と『死期』を見ることが出来ない可憐は、翻弄されて、筅に逃げられてしまった。その責任をいま果たすことが出来ると、可憐は、筅に銃を向ける。

 どれだけ『死期』を差し向けても、逃げ道はない。銃弾の雨が筅をハチの巣にして息の根を止めるだろう。


「もう、わかったよ……。そんな殺気立たないでよ……。死に方くらい選ばせてよ。素直に死んであげるんだからさ」


 筅は、肩をすくめて降参するように手を挙げて、筅は衛を見る。衛の瞳は動揺に揺れている。


(まったく、衛君は弱虫なんだから……そんな顔で誰かを殺すなんて絶対に無理だよ)


「どうせ逃げられない。逃げたって嫌な死に方をするだけ……城野衛に殺されたい。知らない誰かより……好きな人に殺されたい」

「……!」


 ため息をついて筅は衛を見る。動揺に揺れる瞳がさらに当惑を見せる。

 凪いだ空が荒れるようにその瞳は、今にも雨を降らしそうだ。


「しっかりしてよ。お兄ちゃんでしょう? 莉ちゃんの怒られちゃうぞ?」


 『死期』が筅を飲み込む。怒りや悲しみ、愛憎が筅の中に侵食する。苦しさに身もだえる事もなく、気持ちはひどく凪いでいた。


 筅が衛に近づいた。衛の手にあるロケットペンダント。そして彼には似合わない銃。ロケットペンダントを筅は手に取る。

 幼い頃、確かにあった幸せな空間。いつから間違っていたのかも今では分からない。過去に戻れないのなら、未来を生きる。だが、その未来に筅はいないのだろう。


 大切な人、好きになった人、殺すことが出来れば、きっと幸福感に満ち溢れて、偽神として完成して、研究所の傀儡となるだろう。


(まあ、衛君がいない世界なんて、詰まんないかな)


「本当に、衛は私がいないとダメなんだから、ちゃんと殺さないと『死期』が衛を食べちゃうぞ?」


 もっとも筅の『死期』が衛を襲う前に部隊が『死期』を殲滅するだろうと言うことはわかっていた。

『死期』が部隊の一人から実弾入りの銃を奪い筅の手に乗せた。警戒して銃口がこちらに一斉に向く。もう敵意も殺意もないのに臆病な人たちだと嘲る。

 手にある銃が衛の手に触れる。その瞬間、衛は目に見えて震える。『死期』を殺すのとはわけが違う。


(大丈夫。もとから死んでるような身体。神様になんてなれなかった。誰の神様にもなれなくて、誰も助けられない。……一緒だよ。私は衛を護りたい。衛が大好きだから……これでいいよ)


「ほぉら! 早くしないと、エリュシオンが崩壊して、みんな死んじゃうよ。私を殺せば完全に天理学園も人工島エリュシオンも、活動を停止する。莉ちゃんも……きっと私の支配する『死期』から解放される。全部おしまい! だから、ちゃんと殺してね?」

「っ……」


 空色の瞳から滲むしずく。


「ねえ、衛君。中庭にある花壇を整備しているアンドロイドのこと、覚えてる?」

「……アンドロイド?」

「あのアンドロイドは、試作品でね。私が初めて作った個体なんだ。だから、もしも気が向いたら……あのアンドロイドを回収して、整備してあげてね」


 天理学園の中庭。花壇の世話を毎日しているアンドロイド。

 何の気もなしに横を通り過ぎるだけの景色と化したソレ。


(俺が死ぬわけじゃないのに、どうして筅との思い出が蘇るんだろうな)


 考える事を放棄出来たら、何も考えずに言われるがままであるなら、衛はこんなに苦労する事もなかった。


「仕方ないじゃん?」


 衛の心を見透かすように、もしくは筅自身が自分に向けた言葉なのか。

 衛はもう何も言えなくなっていたのだ。その一言がすべてを物語っていた。


『仕方ないってなんだよ。——が死んで、仕方ないなんて言えるわけないだろ!』


 かつて誰かがそう言った。たった一人を救うために、突然現れた怪物に立ち向かうと勇者を気取り、誰かを救える何者かになろうとしていた。

 自分と仲間と、苦しんでいる女の子を助ける。怪物を殺すだけの取るに足らない話。

 その場所に当てはまる言葉なんて違和感もなく、平然と衛の意思は変わらず決まっていた。今此処で揺らいでしまえば、自分を許せないだろう。


 衛では、誰も救えないのだ。誰かを救うなんて、できないのだと……十を欲するのなら百を手放せと世界は、衛に鉄槌を下した。


「……ッ」


 何度も引き伸ばしにした。何か一緒に生き残れる方法を、けれどそれはどこにもなく。誰かを犠牲にするしかない。


 この手でいま、好きな人を殺した。

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