第47話 シキセマ
卯月が死んだのは、父親の実験が失敗して装置の爆発に巻き込まれたのが原因だった。
耳を劈くような爆発音を最後に卯月の記憶はブラックアウトした。
次に目を覚ました時、培養槽の中に閉じ込められていた。多くの管が卯月の生命をこの世に繋ぎ止めて、白衣姿の研究者たちがおよそ人間に向けるべき視線ではない眼差しをしてこちらを見ていた。
人間は、極限状態に追い詰められると何もかも放棄して、全てを拒絶する。
自分が死んでいるなんて認識できずに、父親に救いを求めても助けてくれなかった。多くの感情が卯月に流れ込み暴走した。
培養槽が破裂して、自由を手に入れて、研究所を逃げ出した。
死にたくないと逃げ出して、……何もない卯月は、衛と莉に会った。
『お前の名前なに?』
『私……? えっと、……小鳥遊』
小鳥が遊ぶ。そこに天敵の鷹がいないから、小鳥は安全に遊べる。
視界に入った小鳥に咄嗟に口にした言葉。
何も知らない純粋無垢な少年が尋ねたのが始まりだった。
どこにでもいる少年。ただ違うのは、その双眸。
綺麗な空色の瞳。その瞳の奥で飛べたら、どれだけ幸せだろうと夢に見た。
『えっ……葬儀?』
『ああ、両親が事故でな』
まだ死を実感できない彼が両親の葬儀に出席すると連絡がきた。
ああ、彼にも見えてしまうんだ。『死期』という忌々しい存在が、自分に見えていた怪物たちが見えて、震えて怯えて……生きづらくなるに決まっている。
だけど、彼は、『死期』を見ることがなかった。彼にとって両親の死は実感する事が出来なかったのだ。
特別なのだと思った。彼は、何事にも無頓着で、何かに執着するなんて絶対にない。だから、死を理解出来なかった。その知識があって、いつか来る終わり程度にしか思っていない。
彼の後ろを付いて回る少女。城野莉が羨ましかった。
無条件で隣にいられる。損得勘定など彼らの前では無意味で、どれだけ金を積まれても、彼らの関係は壊れない。
『見つけましたよ。二楷堂卯月』
エリュシオンと言う研究所に連れ戻される。鷹に見つかってしまった。
小鳥は逃げることが出来ずに、囚われた。
エリュシオンと言う怪物に餌を与え続けなければならない。人工神格。
実験体『二楷堂卯月』として、連れ戻される。逃げだしたのだから、捕まるのだって時間の問題。天理学園という実験施設に連れ戻される。
ああ、もう無理なのだと被験者は諦めかけた時、始業式で見かけた幼馴染がいた。彼が餌にされてしまう。逃げなければ、逃がさなければ……助けなければ……。
『私が、衛を護らないと……』
城野衛を護るために、神になろうとした。
偽物でも構わない。偽物でも護れるのなら、愛する人を護れるのなら……。
けれど、『死期』は言うことを聞かなかった。
衛を傷つける。痛めつけるばかり、見えない莉を襲い。莉の寿命を知らせる。
こんなに衛を護っているのに、衛はこちらに振り向いてくれない。
身勝手だとわかっている。真実を告げることが出来ない自分が悪いのも理解している。それでも、ずっと一緒にいたのだから、気が付いてくれても良いじゃないかと傲慢な気持ちが浮き彫りになって、穢れが現れる。
神になっても、偽物では誰も救えない、何も手に入らない。
マザーボードが破壊された。エリュシオンの制御が偽神から切り離された。ただ鼓動するだけのガラクタとなった。
エリュシオンに餌を与える事が出来ない。偽神に餌を与えられない。情報が手に入らない。
解らない。
両親の死を間近に感じている癖に『死期』に囚われない兄妹に奇妙さを感じた。
莉は『死期』が見えていなかった。衛は『死期』を感じることすらなかった。
両親が死んでもなお、前を向き続けた二人の兄妹が奇妙で、憧れてしまった。
偽神になりたいと思ったことはない。偽神になる事で衛たちと一緒にいることが出来るなら、邪魔な人たちを追い払うことが出来る気がした。それをして衛が認めてくれるとは思わなかった。思わないが、手放したくない。
「……あーあ」
小鳥遊筅。二楷堂卯月。どちらも本物の自分だ。
向き合うことなどしてやらない。
『莉の体調、今回は良かったんだ。だけど、次に会ったら悪化してたら……』
『莉が今度、一時帰宅するんだ。その日の調整を手伝ってくれないか?』
『莉が伯母さんとクッキーを焼いたんだ。一緒に食わないか?』
必ず口を開けば妹のこと、仕方ないとわかっている。
ずっと一緒にいられるわけではない。いつか離れて暮らすことになるのだから、少しくらい気を向けてくれてもいいじゃないか。
「本当に鬱陶しい。私ね、莉ちゃんのこと嫌いなんだよね。『死期』に何度も殺させようとしたけど、あの娘、本当に図太いって言うか、死なないよね」
「……」
「なんで思い通りにいかないのかな。莉ちゃんが生きて、衛が死ぬとか冗談じゃない。あの娘、お荷物じゃない。……ね?」
お荷物だと思わなかったのかと筅は言う。思わないと言えばウソになる。
莉がいなければ、普通の学生らしく生活ができた。莉のことを心配する時間が無くなれば、どれだけほかの事に気を向けられるか。
放課後の誘いに乗ってバカをやっていただろう。
「思ったとしても……莉は俺の妹だ。俺の最後の家族を不幸で終わらせたくない」
衛は顔を上げる。その手には、対『死期』用の銃。引き金を引けば、偽神を狂わせることが出来るかもしれない。
偽神を狂わせて、この都市がどうなろうと急いで脱出することで、『死期』は存在を保てずに消滅する。
「どれだけ嫌なことを言っても、どうしても俺はそれが本心には聞こえないんだ。筅、俺にとって莉は大切な家族で、お前は俺にとって……大切な友だちで、家族になりたい人だったんだ」
自分がやらなければならない。急がなければ、時間が足りない。考える時間がない。
家族になりたかった。それは揺るぎない事実で、衛にとって筅との時間は心地の良いものだ。
そう頭の中で整理が付くと衛は銃を降ろしてしまう。
(殺せるわけ……ねえだろっ!)
奥歯を噛み締めた。銃を握る手が震える。持ち上げて照準を定めてしまえば、簡単に筅を殺して莉との接続を断ち切ることが出来る。
それなのに、その覚悟が揺らいでしまう。
その行動に筅は首を傾げた。
「衛?」
「俺は人殺しなんてできない。何よりも俺を好きって言ってくれた人を簡単に捨てるなんてこと出来るわけないだろ!」
「……なにそれ。ふざけないでよ」
ふざけるな。筅は拳を握る。すると『死期』が湧いてくる。
筅の背後に控える『死期』は筅が少しでも衛に殺意を抱けば襲い掛かって来るだろう。
「大切とか、殺したくないとか、こっちは殺す気で来てるの……綺麗ごと言って惑わせないでよ! 私は、本気なんだよ!」
「なら、俺だけを殺しに来いよ! 他の連中じゃなく、俺だけを見ろ! 俺の事が好きなら、俺だけを見て、俺だけに感情を向けろ! 俺に向けられないならお前の感情なんてその程度だ」
「ッ……!」
奥歯に力を入れる。筅の背後に控えていた『死期』が衛に向かう。
その直後、衛は銃を持ち上げて『死期』を消し去る。
銃声が教室に広がる。並べられた机の上に乗って筅と距離を縮める。
苦虫を噛み潰したような顔をする筅に向かって手を伸ばす。
こちらを恨んでいるのか、憎んでいるのか。その『死期』はどう言う気持ちを宿しているのか。
筅の前に立つ。忌々しいと睨みつける筅に衛は目を伏せて、すぐ視線を交わす。
空色の瞳が筅を映している。
「もうやめよう。筅」
「……」
「『死期』でみんなを襲うのやめてくれ。偽神になりたいわけじゃないんだろ? 本当になりたいものになろうぜ。筅」
互いに生き残る方法があるはずだ。神ならば、莉も筅も生き残る道がどこかにあるかもしれない。
不規則に揺れる床。エリュシオンの崩壊を告げている。此処で有耶無耶にしてしまえば、全て後悔する。莉を救うことも、筅を助けることも出来なくなってしまう。
「三人で暮らそう」
何も憂いのない普通の、違和感すら感じてしまうほどの平凡な日常を過ごしたい。
『死期』が見えていなかった日々に衛は戻りたかった。
「だからこそ、私は貴方を殺したい」
「っ!?」
『死期』が衛の胸を穿つ。
迫りくる感情の渦。息苦しさに衛は困惑する。
膝をついて『死期』の攻撃を耐える。呼吸もままならない状態で、衛は顔を上げる。
筅は、笑っていた。
「私が持つ感情は、愛憎だから!」
愛憎の感情を宿した『死期』が衛を襲う。
衛に向けられた『死期』は、床からあふれ出て来る。
衛を囲む『死期』に身動きが取れない。銃を握る事も出来ない。
大好きな幼馴染。いつか手に入れたいと願い。
偽神として、そこに立つことしか許されない。
無条件で愛されている莉、無条件で愛を与えている衛。
二人の関係は、世間一般では当然のもの。それ以上のものを筅は欲した。
衛は、『死期』に銃を向けて、引き金を引いた。銃声が教室に轟く。
銃弾が無くなれば、衛の最後だ。
愛憎を宿す『死期』は、衛を狙い確実に殺そうとする。
偽神が生み出す『死期』は今までとは違って硬く強かった。
一度、銃弾が命中したとしても簡単には消えてくれず二発目でやっと消えるか消えないか。無数に増えるのなら、弾の無駄。
大切な友だちを傷つけたくない。けれど、殺さなければ莉が死んでしまう。
妹に向けた感情は、妹の物で、それ以外の誰にも与えられるものではない。
けれどそれは、筅にも言えたことだった。筅にしか向けることが出来ない感情があることを筅に知ってほしい。
衛にはその気持ちを伝える術を持っていない。言葉では通じない。行動を起こすことも出来ない。
ただ一言、それを言えたなら……。
「筅が俺の事を嫌いだって言うなら、素直に受け入れる。だけど、俺のこと、少しは信じてくれてもいいんじゃないか?」
迫りくる『死期』を前に衛は抵抗を辞めた。
振り下ろされる黒い腕。何度も経験したが、その痛みだけは慣れない。
それがただの憎しみや殺意だけならば、衛だって慣れたものだが……愛憎とは何なのだろうか。
「……みんな、大切なものがあって羨ましい」
筅の声を最後に衛は胸を引き裂かれた。流れ込んでくる感情。
激痛の中に、確かにある愛と呼べる感情。呼吸すら儘ならない。
二度目の痛みに衛は、どうすることも出来ない。
嫉妬に狂い。結局愛する相手に向けたのは、憎悪。
筅にはもう偽神として完成するしか道は残されていない。
『死期』に飲み込まれる直前に見えたのは、筅の苦しそうな表情だった。
手を伸ばしてもきっと彼女は、衛の手を取ることはない。救えない。
『死期』が衛にとどめを刺すように歪な腕を振り上げた。
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