第41話 シキセマ

 図書館の最奥。外国語で書かれた本が山積みになっている。本棚に収まりきらなかった本が無造作に重ねられている。淳平が見たら顔を顰める光景ではないだろうか。


 本棚や本に隠れた木製の扉を徐に開いた。

 木製の扉の先には、エリュシオン駅から通じる研究施設と似た造りをしている。だが、通路は短く、すぐに鉄の扉が待ち構えている。


「この先に、城野莉さんがいます」


 二楷堂先生はそう言って軋んだ扉を開いた。

 その先には、清潔感のあるベッドがあり、周囲には物々しい検査機が所せましとあり、ベッドに横たわる莉の姿があった。


「莉っ!」


 莉を見つけるとすぐに駆けてベッドに近づいた。ベッドの縁に手を付いて意識があるのか確認する。医術に詳しくない衛では莉が無事なのか、危険な状況なのか分からないことに歯がゆい気持ちになる。


「『死期』を介して此処に連れて来た所為で、容体が悪化。歩くことが難しい状態になりました」

「戻したのか。莉がどれだけ努力して歩くことができたと思ってるんだ」

「ですが、生きてはいます。いま、死なれてしまうと娘を破壊する事はできませんからね」


 莉が眠っている手前、声を張り上げることはできなかった。


(莉が……。生きてる)


 それだけで衛の心は穏やかになる。死んでしまっていた、殺してしまっていた。

 此処にいることが奇跡だった。今ここで、呼吸をしてくれていることに、生きていてくれた事に安堵が尽きなかった。


「莉っ……くっ……」

「すみませんでしたね。君たちには、ずっと迷惑をかけ続けてきたと理解していますよ。黙って君たちを被験者にしていた。僕は、ただ娘を取り戻したかっただけ、君と同じく『死期』から彼女を救うため、今を起こしてしまった」

「懺悔するなら、自首してください。全部終わったら」

「約束しますよ。すべてが終わって、君たちが平和に過ごせることが約束された、その日に、僕は全ての研究を打ち止めにして、警察に出頭することを」


 ふざけた研究。神を作り出そうとして多方向から批難を受けても、やめなかった。

 そこでやめておけば、今は来なかった。偽神が存在してしまった世の中、一部の人間は三年前を境に記憶の改変が行われていると言われて『死期』の所為で、誰かが苦しんで原因不明の死亡を遂げている。


「……どうして今更俺たちを助けようなんてしているんですか。娘が神になるって言うなら誇らしいでしょう」


 自嘲気味に言う。自分で言っておきながら、どうして二楷堂先生は罪滅ぼしをしようと言うのか。

 死んでしまった娘が神として生まれ変わるのなら研究者としても父親としても誇らしい事じゃないのか。


「誇らしいか、確かに昔なら我が事のように喜んだと思いますよ。でもね、今は間違っていると気が付いた。気が付いてしまった。気が付いた瞬間には、遅すぎたと僕の頭の中で思ずと式が構築されてしまうんです」


 娘が自らの手を逃れて、追放された研究所の研究対象。

 その上、何も知らない学生を被験者にする。

 生きているだけでよかったなんて綺麗ごとだと理解している。追放されてしまった以上、二楷堂先生は研究に関与できない。知らない間に娘が神になってすべてを書き換えられてしまえば、それはもはや娘ではない。


「莉は、どうなるんです」

「目が覚めたら『死期』を憑依させます。そうする事で彼女は、全ての『死期』と同期します。『死期』の行動を阻止している間に、地下へと向かいマザーボードを見つけて、破壊。卯月を見つけて、殺すことができれば、卯月はもう『死期』を操る事も自身の維持も出来なくなります。……それと同時に、城野莉の脳は、『死期』との接続遮断により死亡します。衛君、君は……妹を殺すことができますか?」


 衛は、こんな選択を迫られているというのに、的外れなものが脳裏によぎる。


 それは、昔、中学生だった頃、夏休み期間の出来事だ。莉と共に親戚の家。

 伯父と伯母の家に遊びに行った日。夏休みの宿題をするために、ちゃぶ台に用紙を広げていた。


『どこで間違えたんだ?』


 鉛筆の頭で、頭の痒い所を掻きながら、ふてくされるように唇を尖らせる。

 単純な計算式を間違えた。大人の人に答え合わせをしてもらうようになっていた。

 伯父に丸付けをしてもらったが、間違っているところが一つあった。

 その箇所を解きなおしているが、なにが間違っているのか理解できていない。


『おにいちゃん? どーしたの?』

『莉。お前にはまだ早いよ』

『えー、莉にもわかるかもしれないよ?』

『これ、中学校の問題。小学生の莉には、まだ早い』

『もー、どうしてそんなこというの~』


 とんとんっと痛くない程度に肩を叩く妹。夏の暑い日だ。

 あの時の問題、ちゃんと解けたのか。解けなかったのか思い出せない。


『仕方ないなぁ、衛君。私が教えてあげるからさ』


「……莉を殺すことは、出来ない。もう妹を失いたくない。悪いが、貴方の娘は、二楷堂卯月は俺が殺します」

「無関係な君なら、娘を殺すことができる。うん、期待していますよ」


 もう一度は死んでいる娘を、ゾンビの状態にしてしまっている。

 二楷堂卯月を早く楽にしてあげたい。『死期』を操る力を持っていても、それは他の生徒から奪っているに過ぎない。疑似的不死に意味なんてない。


「その為に、俺は協力者を募ります」

「え?」

「俺は、偽神を殺す。つまり、この施設維持が滞る可能性がある」


 ちょっと待っててくださいと言って衛はある人に連絡を入れる。


「先輩、城野です。頭脳を貸してほしいんです」

「先輩……! まさか、周東さとる!? ちょっと待ってください、衛君、話が違う」

「違わない。俺は、お前と彼らのどう言う関係かは知らない。喧嘩するのは後にして、協力しろ」


 有無を言わさない物言いで、スマホを傾けた。


『あの、城野さん?』

「すいません、実は二楷堂先生と会いました。それで、偽神についてと莉について知っていたので情報を共有しておこうと……直接話がしたいんですが、出来ますか?」

『わかりました。今どこにいますか? 急いで向かいます』

「図書館です」


 居場所を告げて通話を終えると二楷堂先生は「衛君!」と物申したい気持ちでいっぱいだった。


「なぜ、よりにもよって……」

「俺にとって信頼できる人だからです」

「信頼。周東さとる君が?」

「俺は、さっきまで浜波研究所と言う所にいた。だけど、その研究者は誰もが自身の知的好奇心を満たすだけで、被験者の事なんて一切気にかけていなかった。周東先輩たちだけが、あの場で俺が信頼できる人だ」


 さとるならば、信じて情報を渡すことができる。

 その情報を元にさとるならどう言った見解を生み出し、解決策を見出してくれるのか、期待していた。

 二楷堂先生と研究所の間に因縁があろうと衛には一切関係ない。

 重要なのは、莉を救えるかどうか。そして……。


「周東先輩に、莉を死なせずに二楷堂卯月を殺す方法を一緒に模索してもらいます」

「……どうして、そんなことを」

「俺は、一度失った。もう二度とそんな過ちを繰り返さない。その為にも、第二第三を生み出したら意味がないだろ。先生、貴方だって娘を失ったことを後悔してきたんですよね。その気持ちをまた別の誰かに背負わせるつもりですか。あの後悔を、復讐心を誰かに植え付けてもいいと本気で思っているんですか?」


 莉と言う唯一。二楷堂卯月と言う唯一。

 誰にも奪わせてはいけない。奪う権利なんて誰にもない。

 そして、与える権利もまたないのだ。死んだ者を生き返らせるなんてことはしてはいけない。誰も望まない不死。喜びは束の間で孤独を与えることに意味なんてない。独りぼっちがどれだけ悲しいか、よく知っている。


 負の連鎖を此処で断ち切らなければ、いつか取り返しのつかないことになってしまう。


「一蓮托生です。二楷堂先生」


 衛は、莉を助けたい。二楷堂先生は、卯月を殺したい。

 そう言って手を差し出して握手を求める。


「もし救えなければ? 偽神を殺せば、莉さんは」

「恨みっこなしです。どちらかしか救えないとしても、貴方は卯月を、俺は莉を……互いに助けたい子がいる。二人とも救えないなんてことならない事を願います」


 二楷堂先生は、衛を手を掴んだ。

 互いに救えない。それは莉が死に、卯月が生き残ってしまう。

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