第40話 シキセマ

 莉を保護している。

 二楷堂先生は、確かにそう言った。莉のことを知っていて、今、莉がどこにいるか分からない衛にとって彼は重要な情報を持っている。

 それが真実なのか、衛を利用するための嘘なのか。


「いま、どこに……」

「彼女には、やってもらいたいことがあり……君たちに黙って連れてきてしまいました。申し訳ございません」

「そんなのどうだっていい! 莉はどこにいるんだ!」


 声を荒げる衛を物ともせず二楷堂先生は、続けた。


「僕はかつて、死の研究をしていました。自分の娘を蘇らすために、研究者として様々な仮説や迷信に縋りついて、死を左右する化身の存在を見つけ出し、それによって娘が蘇るように生成を開始した」


 そこで生まれたのが、無数の黒い影。黄色い瞳をする怪物『死期』だった。

 その研究で事故が起こり、二楷堂先生は『死期』が見えるようになった。

『死期』とは本来、生み出されるものではなく、必然的に生まれるものだという。偽神がいるから『死期』が現れるわけではなく。人がいるから『死期』が現れる。


「……彼女の事は、彼女が入院していた病院で見かけました。貴方がたが呼ぶ『死期』を無数に憑依させても、生き続けていることに異常性を感じました。君のことも何度か病院で見かけたことがあります」

「莉は、貴方のことを……」

「知っています。何度か彼女と直接話をしたことがありますから」

「……面会表にそんな記載……」

「僕が病院にいる理由は、他にもあったので、入院していた娘に会いに行くついでに……。彼女と話をしていけば当然人柄も理解出来た。彼女は聖人君主とでもいうのでしょうか? 今の時代、絶滅危惧種と言われても良いほどのお人好し。僕の提案を深く考えることなく二つ返事。僕は訊いたんですよ? 「どうして、素性の分からない僕に、そこまで親切にしてくれるんですか?」すると彼女は、「困ってるときはお互い様、良いことをしていたら妖精のおばあさんがお城に連れて行ってくれるんだよ」なんて言って終始笑っていたんです」


 莉は、良い子だ。誰を恨むでもなく、誰かの為にあろうとする。

 だが、その身体は弱い。不甲斐ないと思うこともなく、仕方ないと笑うのだ。

 子供っぽいとこが抜けない。童話が大好きで、一生子どものままだったり、靴を落としたらとか、髪を伸ばし続けたらなんて莉にとっては、輝かしい外の話で、現実にあるのではと思い込む。


「……それで、貴方は莉に何を頼んだんですか」

「神の憑依により、完全支配。もしくは、『死期』の完全消滅。彼女の特殊な性質を利用して、『死期』に干渉して円滑に操り、人を襲わせる習性を消し……感情の化身そのものを無かったことにする」


 人と死に密接の関係にある『死期』を操り、少しでも人々の死期を遅らせることが出来るかもしれないという。


「そんな事が、出来るんですか」

「理論上で言えば可能です」

「貴方の言葉、どうにも莉が無事でいるとは思えない」


 言葉の端々に感じる莉の身を案じるような……。

 明確に無事で済むと言葉にしない。


(そんなの……。考えなくてもわかる事だろ。莉は、自分の身を犠牲にしようとしてるんだ)


「もしも『死期』が完全消滅した暁には、彼女の脳は完全に停止します」


 ガタンっと椅子が勢いのまま倒れる。

 そして、二楷堂先生の衣服を乱暴に掴み迫る。


(まただ。また俺は莉を助けられないのか。せっかく生きてると安心していたのに……俺は、またあの娘を、一人にしてる)


 悔しさに歯を食い縛って目の前の男を殴ろうと拳を握る。


「『死期』を作り出したのは、お前なんだろ! ならお前が一人で責任を取ってくれ! 俺たちを巻き込まないでくれよ!!」


 勝手に出て来る『死期』を余計に誘発して『死期』を溢れ出させた癖に、手が終え無くなれば一人の純粋無垢な少女を犠牲にする目の前の男がマッドサイエンティストではなければなんと言われる存在なのか。


「お前が娘を救おうとしているように、俺には妹が大切なんだ! 勝手に人のものを奪って幸せになろうだなんてふざけんじゃねえ!」


 全て言っていることが嘘かもしれない。

 気休めで莉が生きていると言っているだけかもしれない。

 そもそも生きているとも言っていないのだから、手遅れになっていたらと衣服を掴む手に力が籠る。


「だからこそさ、僕には娘しかいない。奴らは僕の意見を無視して神なんて作り出した。僕はただ娘の元気な姿をもう一度見るだけでよかったというのに、エリュシオン研究所の人間は、誰も彼もが娘を神に仕立て上げようとした。今では偽神となった、あの娘には、僕の娘であった頃の記憶なんてない。全て終わらせるために、僕は天理学園に来た」


 真っすぐと衛を見る。その瞳には嘘偽りがない。


(だからなんだ。そっちの都合で俺たちを巻き込むなと言ってるんだ。莉が許したって、俺は絶対に許さない)


「衛君、協力してほしい。僕と一緒にエリュシオン研究所を破壊して、二楷堂卯月を殺してほしい。君たち兄妹が必要なんです。『死期』が徘徊している街の中では迂闊に行動することは出来ない。妹さんが『死期』を操っている間に、研究所に侵入して、プログラムシステムを破壊した後、本体である神の器を破壊する。そうすれば、『死期』は完全に消滅する。君たちはもう『死期』と戦うことなく、普通の学生として残りの学園生活ができる!」

「その代償が……。莉の命なんだろ。莉が『死期』を操って、神を殺せば、その衝撃が莉に来るってことだろ」


 そんなデタラメな理論を実行して莉が死ぬなんてことは絶対に許さない。


 衛は、目の前で崩れるように倒れる莉を覚えている。

 恨みの言葉もなく、ただ満足気に笑う。兄の務めを果たすことも出来ず、たった一人の家族を手にかけた。

 気が狂い食事を断ち、それでも誰かが言うのだ。生きろと……。

 その声を振り払う術もないまま、衛は今日まで生きてきた。


 またこの手で、莉を失うことになる。


 偽神、卯月がなにを思い。

 どうして『死期』が見える者たちに言葉を贈るような真似をするのか。

 謎ばかりが浮上する。歯を食い縛って悔しさに心をすり減らす。


「君たちが見つけたエリュシオン駅から向かうことができる研究施設、その最奥にマザーボードがある。その周囲には、卯月を護るために無尽蔵に『死期』が蔓延って、誰も近づくことができない」


『死期』とまともにやり合って勝てる衛たちでしか行くことができない。


「それしか方法がないんです」

「……お前の娘を生かすために、俺は妹を見殺しにしろって……どう言う了見だ」


 言い分的に、もう卯月と言う人物は死んでいるのだろう。

 蘇生をするために実験を続けて、今の悲劇が起こっている。


「やっていることも、言っていることも、滅茶苦茶だ」


 殴る気が失せたと腕を下ろす。


「莉は、どこにいるんですか」


 先ほどと違い、嫌に落ち着いた声色に二楷堂先生は不思議そうな表情をしている。


「君たちがよくたまり場にしていたところですよ」

「図書館?」

「その様子だと、淳平君は気が付いていなかったようですね。いえ、カウンターの近くでいつも集まっていたようなので……奥までは余り足を運ぶことがなかったんですね」


 図書館の奥に研究室がある。そこに莉を保護しているという。

『死期』が入り込まないように細心の注意を払っていることも告げた。


「協力は、出来ない。莉の事が本当なのかもわかっていませんから……それに俺は、卯月って人と話がしたい。娘なら、父親として会うことができるんじゃないのか」

「……それは、出来ない」

「どうして」

「あの娘はもう私の庇護から出ている。エリュシオン研究所、その一部の職員が、あの娘に神であることを義務付けた。追放された私ではもうあの娘に会うことは叶わない」


 舌打ちしたい気持ちを殺して、衛は「なら、貴方の研究室に行きます」と行きなれた図書館に共に行く事を提案する。



 寮から出て、図書館に徒歩で向かう。道中に現れる『死期』を衛が撃退する。


「僕はね、科学が好きなんだよ。数式が好きだ。だけどね、娘はそれをよしとしていなかった。僕の所為で娘が死んでしまってね……その時に後悔したんですよ。どれだけ仕事が進んでいても、仕事の進行結果を褒めてもらいたい相手がいない」

「身の上話なんて興味ない」

「あははは~。手厳しいですね。まあ、実は言うと僕もそれほど誰かの話を聞くのは得意じゃない。もっと言えば、苦手です。自分の事は話すことができるのに、他人の話は、聞くに堪えない。技術者の性なのかもしれませんがね」


 はははっと乾いた笑いをする。


「君たちを見ていると……あのゲームを思い出す」

「『死期が迫って来る』」

「そう。あのゲームのプレイヤーに君たちが似ているよ」

「中学生でもないですし、肝試しもしてませんけど」

「それに命をかけているわけでもない、とかね」

「……何が言いたいんですか」

「僕は知りたいんだよ。あの若者たちの結末をまだ正確には分析できてない」

「分析……科学者の性。そう言いたいんですか」

「衛君は、本当に手厳しいですね。僕は確かに嘘を言いました。だけど、その嘘が君を傷つけるようなことではないんですよ」


 二人は、ぱたりと図書館の前で足を止めた。

 入口には『死期』が蔓延っていた。


「図書館に『死期』が現れていなかったのは、僕が設置した感情遮断光のお陰なんです。この光を照らしている出入口を通して、普通の『死期』は、そこに人がいると認識できない」

「普通ではない『死期』がいる。それは、意思の持つ。言葉を発する。知性がある『死期』ってことですか」


 衛は、唇を噛んだ。

 その普通ではない『死期』の所為で莉は問題に巻き込まれた。

 言葉を交わせてもこちらを殺す気ならば、意味がない。


「彼らは安全です」

「は?」

「僕が指示が出さなければ、図書館周辺にいる『死期』は、僕たちを襲うことはありません」

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