第37話 シキセマ

 啓介が駆ける。振り上げる警棒を使徒は平然とした様子で言った。


「なんや。てんで素人さんやないか」


 それを言い切るが早いか、いつの間にか啓介は、倒れていた。

 何が起こったのか理解する間もなく身体が麻痺して動かない。


「っ……啓介!」


 美夜が悲鳴にも似た声で啓介を呼ぶ。

 駆けだした啓介が床に倒れていた。使徒である男は、微動だにせず啓介を動けなくしたのだ。


「『死期』を無にして、神を殺そうとする連中がどういうもんか興味があったんやけど……まあ、お子様のごっこ遊びちゅうことなら……手加減できひんな」

「っ……」

「手加減できないか。なら俺がやる」

「あ、ちょっと!」

「お前は、後輩を護ってろ」

「お前も後輩だろ!」


 喧嘩ならば自分だと淳平が床を蹴ると聡は呼び止める。しかしその勢いを止める事をせずに言われてしまう。

 背後で胸元で手を握る美夜を聡は一瞥する。

『死期』相手ならば、どうってことはない。けれど、生身の人間相手では、人を殺すことになってしまう。相手が自身よりも劣っているなんてことはまずない。

 つまり、本当に殺されてしまうかもしれないのだ。


 聡の言うことを聞かずに、淳平は使徒に向かう。


「ほぉ? おもろいやんけ。ええで、遊んだる」


 不敵に笑う使徒に淳平は警棒を振り上げる。

 簡単に身を横に逸らして脅威を脱する使徒に左手に隠し持っていた銃で使徒を撃つ。当たる事なく弾は壁に当たり、中に込められていた血が壁を汚す。ペイント弾のようにべちゃりと音が聞こえる。


「化身の弱点はもう知っとるか」


 後退した使徒は、『死期』を消し去る手段を知っていることに感心していた。


「けど、そんな玩具で俺を仕留められるわけないやろ?」

「仕留めるつもりはない」


 淳平の足元には、身体が麻痺している啓介がいた。

 淳平はもとから啓介を回収するために動いていたのだ。


「……仲間思いやないか、兄ちゃん。そう言うん嫌いやないで」


 啓介を聡のところに連れて行くと美夜が近づき様子を見る。

 死んでいるわけではない。身体が麻痺して動けない。痺れが取れるまでは何も出来ない状態になっていた。


「あんた、瞬間移動した?」


 聡が使徒を睨みつける。

 淳平が銃を抜いた時、弾から逃れるために常人ではあり得ない速度で移動していた。それは、到底目で追えない程の速さ。すなわち瞬間移動だ。


「まさか、するわけないやん。俺をなんやと思ってん?」

「魔術師」

「……は?」

「俺は、三年前に魔術師に救われてる。あんたからは、その人と同じ気配っての? 感じるよ。あんたから、魔力とか言うこの世にはない力がさ」

「なんや。おるんか」


 使徒は眉をひそめて、その魔術師とやらがこの世に存在しているのかと聡に尋ねる。


「もう此処にはいない」

「そうか。そら、安心やわ……魔術師なんちゅう訳からんもんほど怖いもんはない」

「……魔術師。神の下にいたら、なんでもありか」


 淳平が使徒を見つめる。もしも聡が言うことが真実ならば、偽神に従う魔術師もいて可笑しくはない。

 現実と乖離した現状で淳平は頭を使うが、どれだけ本を読んでも理解できないことが多いように、いまもその状態に陥る。


「そう思うやろ? 弱点をあえて口にしたるわ。俺は視力がない」

「は?」

「なにも見えへんよ? けど、感じる。数は四人、男が三人、女が一人。その中の一人が浜波研究所の使者ちゅうこともな?」


 不気味に光る瞳。まるで作り物。宝石を埋め込んだような不気味さ。

 見えない代わりに全てを掌握している。そんな力、卑怯ではないのかと聡は奥歯に力を入れていた。


「何が目的なのかな?」


 聡はため息交じりに言う。戦うことを望んでいるようには見えない。

 こちらが仕掛けてきても、防戦一方で向こうから仕掛けることはない。


「困っとるんやろ? 手ぇ貸したろうと思ってんねんけど?」

「なんで。偽神の使徒なんだろ?」

「せや……けど、兄ちゃんら、きっと敵わへんもん」


 敵わない。使徒は余裕綽々と言う。

 子供が寄せ集まっただけの集団。莉と筅を助けだすだけでも難しい。


(こういう駆け引き、俺には無理だって言ってんのに……)


 仮に本当に協力したいと言うのなら自分が偽神の使徒であることを告白したりしないだろう。力があると明白だから素性を語ったのか。

 視力が見えていない状態で、確実に人数を言い当てた。

 啓介が痺れているのも、魔術師ならば放電云々が出来ても疑いようがない。


「ちょっとさ。弟に連絡してもいい?」

「弟?」

「そっ、双子の弟。こういう取っ散らかった話は、あいつの方が適役なんだよね」


 そういってスマホを取り出そうとすると使徒は笑って「あかん」と一蹴した。


「敵前逃亡は、死罪」

「そんな堅苦しい感じだっけ? こっちはただ女の子を二人見つけたいだけなんだけど」

「なら、王子様らしく行動あるのみやろ? 参謀に話を聞くばかりで、なにもせん無能ならこの無人島から出て行けや」

「言ってくれるじゃないの~。よーし、後輩たち。あの生意気な大人をやっつけろ」

「えっ!? 無理ですよ。魔術師って言ってたじゃないですか!」

「大丈夫大丈夫、相手は目が見えてないって言うし。隙とかつけるでしょう? 俺たちの方が若いし」

「若いイコール強いなんて思うな。漫画の見過ぎや」

「漫画はいろいろ教えてくれるよ? 立ち向かう勇気ってやつとか?」


 聡は床を蹴り拳を突き出して使徒を殴りに向かう。


「淳平君! 合わせてよ!」

「ああ」


 警棒を握る淳平は、拳を振るった聡に合わせて警棒を振り下ろした。

 使徒は、「あほか」と身軽に躱す。


「物理的には見えとらんけど、位置は把握しとる言うとるやろ?」

「それってチートじゃない? 強者って言うくらいならそれすら遮断するもんじゃないの?」

「あほ。んなこと俺になんの得がある言うんや?」

「弱点でもない癖に目が見えないって言ったくせに……」

「弱点ちゅうのはほんまや。見えとらんのやから、出し抜くことができりゃ俺は簡単に兄ちゃんらに命握られてまう」

「出し抜けって言うことか」


 見えていない。気配は感じている。

 聡は、考えていた。使徒に背を向けたら『死期』が待っている。

 平然としているが、聡は背後を気にしていた。


(なんで襲ってこない? 使徒が使役してるのか? どうだっていい。淳平は、喧嘩できるけど、他の二人はどうだ。動けるのか……知らなかった。さとるは知ってるはず……連絡しないと俺じゃあ何もできない)


「ちっ……面倒だな」

「先輩」

「えーっと、使徒さ。どこまで狙ってるわけ?」

「それ言うて、信じるんか?」

「信じるよ。魔術師は、みんな正直だって思ってる」

「……なるほど。んじゃあ……一人、殺す。一人、重傷。残り二人は『死期』に憑依させて殺し合わせる。最低二人は生き残るやろうな」

「二人。重症でも命だけはってことですかぁ。悪人じゃないですか」

「俺は正直やで? 神様の使いらしく誰かを連れて行かな、怒られるやろ。ほんまに嫌やわ」


『死期』に憑依されている時点で、二人で殺し合うことで、情緒が不安定になる。

 そして、不安定になった人が『死期』に付け込まれてる。自身の『死期』に憑依されて悶え苦しむほどの痛みを感じて死ぬ。

 最低一人しか、生き残る事は出来ない。使徒が立ち去った後、重傷となった人も身動きが取れず『死期』に囚われる。


(最悪、全滅……。それは、避けたい)


「淳平、足って速い方?」

「……知らねえ」

「誰かを担いで走るってことは?」

「あんたを担って言うなら無理だ。……後輩、二人のどちらかなら」


 淳平は背後にいる啓介と美夜を一瞥する。

 未だ身体が部分的に痙攣している啓介と背後の『死期』を警戒する美夜。


「……この場を突破できる」


 淳平の考えていることを察したのか、聡は「僥倖」と不敵に笑った。


「正面は、俺に任せな! 後輩。……お前は、二人を連れて離脱するように」

「勝率はあるのか」

「俺を誰だと思ってるわけ? 天才無双聡様だぜ!」


 使徒からの距離は約十一メートル。

 追いかけて来ることがなければ、淳平は逃げ切れる自信があった。


「美夜」

「え、はい!」

「走れるか?」


 淳平が美夜を見て言う。

 麻痺している啓介を走らせるわけにはいかない。

 美夜が震えて動けないのであれば、別の方法をすぐにでも思考する必要がある。


 美夜は少し黙った後、まっすぐと淳平を見て「はいっ」と強く頷いた。


「啓介、揺れるぞ」

「うっわ……先輩、力持ちぃ」

「茶化さない。聡先輩!」

「ん?」

「無理しないでくださいね」

「うん! 女の子の言うことは従わないとね」


 ウィンクして「気を付けてね」と見送る。二人は踵を返して、『死期』に向かっていく。

 美夜が『死期』に向かって銃を撃ち退路を開く。

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