第34話 シキセマ

『淳平さん、もし莉が死んじゃったら……お兄ちゃんのことお願いしてもいい?』


 それは些細な一日。本を読んで、時間になれば衛が作った弁当を食べる。

『死期』が現れたら、散歩と言って車椅子で遠く離れる。

 モノレールに乗せて、海を見せて、アンドロイドが運営している店を見る。

 授業に出ている衛は知らない。これが二人のルールだ。

 過保護な兄に心配をかけたくない。本来なら、外に出ることだって衛は嫌がると淳平も察することができた。

 エリュシオンの外には連れていけないが、莉はそれでも満足そうに笑っていた。


 莉は、衛が焦っていることを知っていた。隠そうとしても無理だったのだ。

 衛が、莉を気にしているように莉も同じように衛を気にしていた。


「一度でも、あの娘の話を聞こうとしていたか? お前が隠していた所為で、あの娘がどれだけ苦しんだと思ってる。まともに聞けも、話せもしないやつが、あの娘のところに行けると思うな」

「なら、莉のいない世界でのうのうと生きてろって言うのか! 莉の気持ちなんて知らなかった! だったらなんだよ! もう死んじまったやつに訊こうなんて無理だ! 莉はもうどこにもいない……俺には、莉しかいないんだ」

「……なら、俺の為に生きろ」

「は?」


 淳平がなにを言っているか理解出来なかった。衛は顔を上げる。


「あの娘の事を、お前が知らないあの娘の話を俺が、毎日一つする。俺の話が尽きるその時に死ね」

「ふざけるなよ……そんなの、何の意味が」

「あの娘を知ることができる。あの娘を考えていたことを、あの娘が思っていたことを、お前は知る権利がある。俺もあの娘の話を終えたら死んでやる」

「……お前に得なんてないだろ」

「お前との約束を守れなかった。あの娘を護ると言った手前、お前を止めることも銃を奪うことも出来なかった。罪滅ぼしだ。勝手で悪いが一緒に死んでくれ」


 一切揺るぎがない瞳を向ける淳平に異常者なのではないのかと衛は疑う。

 他人のことに無理やり関わらされて、約束を守れなかったと死ぬなんてどうかしている。


「お前が、意志の弱さと言うなら、友人を止めることができなかった俺自身にも意志の弱さはあっただろう」


 莉の事を衛に知ってもらうために淳平は語る。

 この長く短い莉との関係。莉と話をしたこと、彼女が抱えていた願い。


 そして、最後に何を思おうと衛が死ぬと言うのなら、淳平は止めはしない。


「勝手なこと言うなよ。お前が死んで俺に何の得があるんだよ。俺は、二人も殺すことになる。絶対に嫌だ。俺はもう……誰かを失うなんてしたくないんだ。莉だってお前が死ぬことを赦してくれるわけがない」


 それは、衛自身にも言えることだろう。


「……俺は、向き合えない。莉が死んだ事を受け入れきれないんだ。これからだって、俺自身がどうなるのか分からない。ただ言えるのは、俺を止めてくれるのは、もうお前だけだってことだろ?」


 莉のことを思い出してしまい。正気を失い発狂するかもしれない。


「忘れるな。お前は、あの娘の兄貴だろ? 俺みたいに猫のことを思い出せなくなるより、嫌でも覚えているべきだ」


『死期』が見えるようになったきっかけの一つ。

 死を身近に感じた原因。あの衝撃を今でも覚えていると言うのに薄情にも、死んだのが猫だったと言うことしか淳平は思い出せない。

 もしも偽神の力によるものならば、偽神の力に左右されずに莉の事を最後まで覚えていてほしかった。


「俺にもう一度チャンスをくれ」


 莉のことで何度も振り返ってしまう。自分の意思が弱い所為で『死期』に取り込まれてしまう。あの光景を思い出して、動けなくなる。


 衛が言うと淳平はどこか満足気に目を細めた。

 その直後、さとるが入室してくる。殴られた後の衛を見るとぎょっとした顔をして「た、谷嵜さん! なにしてるんですか!!」と当然の質問が飛ぶ。


「僕は、なにも殴れとは言ってませんよ」

「……」

「先輩が……谷嵜に頼んだんですか?」


 少しだけ正気に戻った衛に「あっ」とさとるは気まずそうに顔を逸らした後、肯定する。


「このままでは衰弱してしまうと言われて……副所長の意思を振り切りました」

「え……」


 先ほど、発狂して、幻覚を見始めた衛を現状維持で誰にも干渉させないようにと命令を受けたばかりだが、さとるは黙ってみていることができなかった。

 双子の兄、聡はさとるの言動に文句を言わずに自分なりに好きな事をする。

 自分が納得する生き方をする事を容認している為、何も言わない。

 それがたとえ、身を置いている組織に歯向かっていることでもだ。


「谷嵜さんに、城野さんを立ち上がらせてほしいと言ったんです。そうしたら、谷嵜さん、部屋を出て行ってしまって……」

「このありさまか……」


 衛も目を伏せて「痛かったな」と呟いた。


「あの事、伝えましたか?」

「……まだだ」

「あの事?」

「一番重要な事ですよ!!」


 さとるは淳平に何か重要な事を告げたようだが、衛は知らず首を傾げる。


「ここでは伝えづらいので僕について来てください」

「でも……平気、なのか?」

「はい。お二人が危険分子ではないと言うのは既に周知してます。それに、あまり知らないところに長居したくないでしょう?」


 さとるは監視カメラを一瞥する。監視されていることは決して気分が良いことではない。悪いことは何一つしていないが、それでも監視対象とされるのはなぜなのか。


「急ぎましょう。監視者たちが僕たちの言動を訝しんで、上司に報告すると思います」


 急いで施設を出ようとさとるが部屋を後にする。

 淳平も追いかけようと歩き出すと衛が淳平を呼んだ。


「お前、本当に喧嘩、強いんだな……痛かったぜ」

「真面目なやつは喧嘩なんてしないだろ? いい経験になったんじゃないか?」

「本当に……ありがとう、淳平」

「……ああ」


 さとるを追いかけて二人は部屋を後にする。



 浜波研究所。人外研究に勤しむ組織であり、今は偽神の存在を探知して誕生を阻止するために暗躍している。

 偽神の一片である『死期』が見えるシキセマたちを保護して、その生態を調査。もちろん、それらはさとるたちが既に済ませている為、ただの人間であることは証明されている。

 死と言うきっかけが『死期』の出現に関係している。


 生と死は密接な関係にある。

 所長は、変わった人であり、自殺願望はないが簡単に死ぬことのない相手と戦うことを生き甲斐にしている。所長こそ『死期』が見えて良いはずだが、彼には死ぬと言う選択肢がもとからないのか。『死期』を見ることができない。

 もしも所長が『死期』を見ることができたならば、副所長が駆り出される事もなく……一人で暴れて、勝手に解決してくれていただろう。


 浜波の海は、日本一綺麗で、日本のリゾート地とも呼ばれている。

 海を眺めると人工島エリュシオンが見える。


 研究所は、浜波の中心から離れた人の行き来が少ない場所に建てられていた。

 研究所から出た三人を潮風が迎える。


「ここなら研究所の周辺のカメラに僕たちは映らないですね」


 綺麗な砂浜、さざ波の音が響く。

 エリュシオンを背にさとるは衛と淳平を見る。


「谷嵜さんには既にお伝えしたのですが……期待しないで聞いてください」


 おっかなびっくりなことがまだあるのかと衛は身構える。


「城野莉さんは、生きているかもしれません」

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