第33話 シキセマ
衛は精神を維持する事が出来なかった。
発狂を繰り返して、吐くものがないというのに嘔吐する。
「このままでは衰弱死してしまいます。すぐに何か策を講じなければ」
専門医の言葉を思い出していた。
うんざりした衛の担当員が言う。
「食事も、会話もしてくれない相手にどうしろって?」
あの男は、もう死を待つだけの人型でしかない。
少しでも命を絶つことができる道具があれば、当たり構わず自殺を決行するだろう。
「兄妹ね。俺たちの知る兄妹とは大違いだ」
「あの二人は、殺し合ってましたもんね」
部下の監視者が苦笑して告げる。
二人の監視者が、モニターを見つめている。
そのモニターには生きる気力を失った衛が映し出されている。
彼の濁り切った空色の瞳は、一点を見つめていた。
「周東ブラザーズに関しては、好き嫌いの以前の問題だもんな」
「そう言えば、所長も兄妹が何人かいましたよね? あの人のところは、どうなんでしょう?」
「やめとけよ。あの人の家庭のことを詮索したら生きて地上に戻れないぜ」
「……やめておきます」
「そうしとけ……っと動いたか?」
『~~。~~~~』
口が僅かに動いていた。だが余りにもか細い声で、音を拾うことができない。
「音量上げろ」
「はい」
マイク音量を最大にしてやっと聞こえてきた声。
『莉、どこにいたんだ? 兄ちゃん、心配したんだぜ』
「は?」
「莉って……亡くなった妹さんですよね?」
「ああ、……こいつ。幻覚を見始めた」
見つめる一点には、衛が使うであろう車椅子が置かれていた。
もう歩くこともままならない衛の為に置かれている。
衛は、歩く気力を失った足を何とか前に出して、車椅子に近づいて縋るように車椅子のひじ掛けを掴んだ。
まるで誰かがそこに座っているかのように、見上げる。
職員は、異常者を見るように目を疑う。人間は極限まで追いつめられると幻覚を見る。研究者ではない自分たちはそう言った光景は、見ないわけではないが限りなく少ない。
幻覚と自覚していない者など稀だ。
『莉、谷嵜は一緒じゃないのか? いや、いいよ。あいつは、そう言うやつだから、今日は何してたんだ?』
「自覚してないんですかね?」
「してないだろうな。上に報告だ」
「わかりました」
監視をしていた職員の一人が、上司に連絡を入れる為に席を立つ。
「はあ……このままの方が幸せなのかもしれないな」
背もたれに体重をかけて、狂った監視対象を見ていると固定電話が音を立てた。
「はい。監視室。……ええ、いま、報告に向かわせたところですが……。はい。わかりました」
通話を終えて職員は、深いため息を吐いた。
「あの人、俺たちにゃあ『死期』が見えてないって知らないんじゃないか?」
上司からの連絡。
弱った衛を『死期』が狙っている為、『死期』が出現次第排除する命令。
けれど、監視者はただの職員であり、死を認識していない。身近に死を感じる機会があっても自分には関係ないと思ってしまい『死期』を見る資格は得られていない。
それは何も、監視者だけの事ではなかった。先ほど報告のために出て行った後輩にあたる職員も同じように『死期』を見ることはできない。
無理難題を突き付けられて、『NO』と言える度胸はない。素直に頷いて適当に対処したらいい。
監視者は欠伸をして後輩が戻って来るのを待つ。異常者の監視など慣れている。
モニター越しに見る衛。楽し気に笑っていると言うのに、涙を流していた。
頭のどこかではちゃんと理解出来ていると言うのに、現実を受け入れられない。
「先輩、戻りましたよ」
「おぉ、おかえり。さっき先方から電話来たぜ」
「あ、じゃあ聞きました?」
仕事内容の確認を二人は行う。
このまま継続して衛の監視。そして『死期』が出現した際の伝達。
「所長が居なくて良かったですね。もしいたら、彼今頃いじめられていましたよ」
「所長は、人の心が無いからな。そう言う点でいえば、副所長の方がまだ人間らしい」
「暫くの間は、彼女の指示に従う感じで?」
「そう言うことだ。……珈琲、持ってきてくれ」
「僕は、貴方の命令に従う。よくある話ですよ」
やれやれと二人はいつも通り仕事をするはずだった。
「は? おい、あれって」
「勝手に干渉は困ります!」
モニターに映る第三者に監視者たちは戸惑い連絡したばかりだと言うのに再び上司に指示を仰ぐ。
『死期』はエリュシオンから出て来る。あとは、地面を張って対象者を探す。
「……莉」
車椅子の横、壁に背を預けて座り込む。
見えている者も聞こえて来る者も、全て偽物。
衛が頭の中で作り出した幻影であるとわかっている。奇跡など訪れない。
結局莉は死ぬ運命にあったのだと納得できないままに時間が過ぎていく。
誰が悪いとか、誰が敵とか、味方とか衛はもう考えることを放棄した。
扉の隙間から黒い影が侵入する。
『死期』が衛の前に現れる。もう抗うことをやめた衛を八つ裂きにすることもなく、ただ見つめていた。黄色の瞳がこちらを見ている。
「莉」
震える手を『死期』に伸ばした。
微かに触れるとそこから死への恐怖と痛みが伝わって来る。
「ぐああぁあっ!! あぁっ……ぁああ……」
(死にたくない。死にたくない……なのに、なんで……なんでだよ!!)
自問自答を繰り返す。
莉が死んだ事に理不尽に怒り、莉を殺してしまった事に絶望する。
『死期』は衛の中に入り込む。苦痛に悲鳴をあげる。
死んでしまうほどの痛みを莉は感じ続けてきた。
「……ッ」
抵抗するなと響いてくる。どうせ死ぬのなら、このまま死んでしまった方が楽だろうと……。
衛は、床に伏せたまま目を閉ざした瞬間、収容部屋の扉が開かれる。
カツカツと踵が音を鳴らす。
音は近づき、徐に衛の服を掴み上げて強引に起き上がらせた。
「うっ……」
正気の沙汰ではないと職員が口々に言っていた衛は、人が近づいたことにも気づいていなかった。
「いい加減にしろ」
冷ややかな声が降り注ぎ、次の瞬間衛の頬に衝撃が走った。
激痛が遅れてやって来る。衛は誰がと殴った人物を知る為に顔を上げる。
「……谷嵜」
見たことがないほどに冷ややかな瞳、不機嫌な表情をした淳平が立っていた。
「ちっ」
そうして、ふらふらとまた座り込もうとする衛を掴んで殴った。
「ぐっ! がはっ」
顔を殴り、腹を殴り、蹴り、衛の身体に打撃を与えていく。
顔を掴み壁に叩きつける。眩暈がしてくる。
痛みでどうにかなってしまいそうだった。
「……なに、するんだよ」
「死ぬつもりなら殺してやるって言っているんだ」
淳平は、何度も衛を殴る。死ぬほどの痛み。だが死にきれない。
口の中が血の味がする。口内が傷ついてしまった。
床に座り込み何のつもりなのか睨みつける。
「なんだ、その目。お前は死ぬつもりだったんだろ? なら抵抗なんてするな。『死期』を取り込んでも死にきれない癖に下手に抗うな。俺なら、簡単にお前を殺すことができる。黙って殴られていたら、あの世に行けるだろうぜ」
「なんでお前に殺されなきゃならない」
「誰でもいいんだろ? 死ぬ事に固執するなら、殺してやる」
「ッ……」
「簡単に死ねると思うなよ。無限の苦痛を味わいながら死ぬんだ。だが、あの娘と同じところに行けると思うな。お前は絶対に同じところには行けない」
「なら、どうしろって言うんだ! このまま莉のいない世の中で生きていけって?」
「そうだ」
「簡単に言うなよ……お前に何がわかる。俺が、どんな気持ちで莉を護ってきたと思ってる」
「なら、お前はあの娘の気持ちを理解していたのか? しっかりとあの娘の意志を、言葉を聞いていたのか?」
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