第32話 シキセマ
白い部屋。まるで異常者を隔離するような真っ白な部屋。
防音の部屋なのだろう外の音が何一つ聞こえない。
スマホもデバイスもなく、目が覚めたときにはもう白い服に着替えさせられており、簡易ベッドの上だった。
今が朝なのか夜なのかもわからない。
フロストガラスで人の行き交いは分かる。
この部屋に入って来るのは、三度の食事を運んでくるときだけで、それ以外でこの部屋にいる衛と接触しようなど思うものはいなかった。
ここは、エリュシオンの外にある研究所。
浜波研究所と呼ばれる場所だった。
エリュシオンが浮かぶ場所の近くにある街に浜波市があることを衛は知っていた。
きっとその街の中に、この研究所があるのだろうと考えることはできた。
そんなくだらないことだけは……考えることができた。
数日前、衛は、莉の『死期』に憑依された。
自分の意志で身体を動かすことができずに、『死期』に主導権を握られたまま、ただ事を見ていることしかできなかった。
淳平が拳銃を奪おうと悪戦苦闘していたが、隙をついて淳平を退けて莉に銃口を向けていた。
そして、莉も、衛の『死期』に憑依されていた。女性から奪った銃を向けていた。
大切な妹を自らの手で殺してしまった。
その光景だけが鮮明に浮かび上がる。自分ではないと言いたいが、銃を持っていた手が、衝撃を覚えている。忘れることなどできなかった。なぜもう少し引き金を引くのが遅ければ莉が持つ銃で撃ち抜かれていたはずだった。
莉に怪我を負わせる事無く、殺してしまうことなく……無事に……。
何度も後悔する。助けたい。救いたい一心で今までやってきたことが全て無駄になった。全てが、衛の意志の弱さによって打ち砕かれた。
『死期』から解放された衛は、憑依されていた衝撃で意識を失い。
目を覚ますとこの部屋に収容されていた。
全て夢ならばと願わずにはいられなかった。目の前で驚いた表情をする妹が抵抗もなく倒れる姿が目に焼き付いて離れない。
その光景が脳裏によぎる度、衛は発狂していた。
自らの頭を壁に打ち付けて自身の手で首を絞めて自殺しようとしていた。
首に爪を立て血まみれになったところを間一髪で発見され鎮静剤を打ち込まれた。
余計な事を考えていたら、莉のことを思い出さずに済むかもしれない。
自分が殺してしまったと後悔も薄らぐ……。けれど、その余計が無くなってしまえば再び、衛が此処に居る経緯を辿ってしまう。
なんで自分は此処に居るのか。どうしてここに収容されているのか。
友人たちは……そして、妹は……。
毎日、その繰り返しで衛を担当していた職員は、うんざりしているだろう。
絶食を続けて飢え死にも考えた。眩暈を起こして、思考回路もままならない。
起きていることに疲れてベッドの上で休んでいるところを見計らうように職員が衛に栄養剤を投与しにやって来る。
生き地獄だった。
もう生きている意味がないのに、生かされている。
あと少しだったのに……あとすこしで……妹を自由にしてやれると信じていた。
濁った空色の瞳は、もう誰かを映すことは無かった。
「このままじゃあ話にならない」
地下施設に武装隊と現れた女性、ショートの黒髪に、同じ黒いスーツ。
チャームポイントと言うべきか左目に泣き黒子。
浜波研究所の副所長。
同じ部屋にいる周東兄弟は、別の意味でうんざりした表情をしていた。
「だから、俺たちに任せろって言ったのにぃ」
「彼が妹さんを大切にしてるのは報告したはずなんですが」
聡とさとるは可憐に向かって抗議する。
こんなはずではなかった。どうしてこうなってしまったのか。
さとるの計画が破綻した原因が目の前にいる女性であることを暗に告げながら、けれど可憐は悪びれる様子はなかった。
「重要なのは見えている者たち。見えていない娘に用なんてない」
「だとしても、彼らが協力してくれていたのは、城野莉さんの存在あってのこと! それなのに、彼女を護る事なく死なせてしまうなんて」
「報告では、城野莉は身体に異常がある為、表には出てこないとなっています。あの場にいることは予定外」
「その少し前に誘拐されたんだって『死期』に、臨機応変とか知らないんすかぁ?」
聡が不機嫌な表情をして言う。
兄弟のほぼ完璧な計画が無駄になった。
地下施設を見つけて、莉を連れ去った『死期』を倒した後、筅も同じ場所にいるかと思えば、影も形もなかった。騒動で筅だけでも移動させられた可能性がある。
「待っていてくださいって事前に言っておいたのに……どうして」
「所長の意思と言えば、理解するのですか?」
「丹下さん……あの人と話がしたいんですが」
「今は定例会議に参加しています。暫くは戻らないでしょう」
「あちゃ~。あの人、向こうに行ったら本当に一か月とか戻ってこない時あるからね~」
「……わかりました。聡、行こう」
「おいーっす」
二人は、その場を離れる。このまま問答を続けていたって意味がないと理解したのだ。
廊下に出れば職員や研究者が忙しなく仕事をしている。
聡は頭の後ろで手を組んでのんびりと歩いている。だがその表情はいまの結果に満足していない。
「先手、打たれちゃったな」
「……うん」
「どうする?」
「城野さんが、あの状態じゃあ……僕たちで偽神を見つけることはできない」
「施設の中にあった、ぐにゃぐにゃは?」
「あれは、確かに偽神の卵だったけど、被弾して、機能停止してる」
「収穫なし。お手上げだな」
(莉さんが生きていたら、あの生命体がどういう性質なのか調べることだってできたのに……)
莉は、生命体が「寂しい」「独りぼっちは嫌だ」と聞こえていたという。
ならば、衛だけではなく莉も保護対象だったはずだ。
「そう言えば、ほかの後輩たちは?」
施設にいたのは、衛と淳平だけだった。啓介と美夜はどうしたのか尋ねればさとるは「彼らは、地下施設を知らないから学園で『死期』と戦ってるはず」と答える。
「シキセマに限りなく近いのは、城野さんと谷崎さんだからね」
「相変わらずダサい名前。正式名称は?」
「『
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「名付けたのが、丹下さんだからね。仕方ないよ。要するに技術特異点を殺す人たち。そして、その人たちが生み出す世界軸ってところかな。英語皆無の所長って……どうなんだろうね」
「英語だったの?」
「授業中、耳栓でもしてるの?」
「そもそも参加してない」
「はあ……何のために高校にいるんだろう」
「俺は別に行かなくてよかったんだけどさ。愛しのハニーがどうしてもって言うから」
「……そう」
「あら、冷たい」
二人は、慣れたように会話をして向かう先には、衛が収容されている部屋と同じ白い部屋。『シキセマ№2』と扉に札がつけられている。
「今は、彼に期待するしかない。聡は、後輩たちと合流して小鳥遊筅さんを探して」
「良いよぉ。女の子を探すならいくらでも俺を使ってちょ」
二人は各々やるべきことを定めて行動を開始した。
いまだに行方不明の小鳥遊筅。学園内は生徒会長が行方不明となりざわついている。
今、学園で何が起こっているのか分からないのだ。
発表会を間近にこんな騒動は生徒たちは好奇心で落ち着きがない。
「谷嵜さん、少し良いですか」
さとるは扉の前で声をかけて侵入する。
そこには、衛とは違い学園の制服を着た淳平が椅子に座って本を読んでいた。
(もう彼しかいない)
さとるは、意を決して口を開いた。
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