第30話 シキセマ
階段を下っていくとガラスの階段が続いた。
学園に通じているのか長い廊下。
暗闇の中、通路の明かりが海底を僅かに照らしている。
スマホは圏外、デバイスも電波が届いていない。
人の気配はしない。物音一つもしない。不気味な空間。
通路の最奥。堅牢な扉が待っていた。その向こうに行こうと扉を押し開く。
「……っ!? 莉!!」
物々しい機械が並べられている。円形の施設。
その中心には、培養槽に入れられた不気味な液状の物体と莉が横たわっていた。
衛は一目散に莉に近づいた。抱き上げるとその拍子に莉は目を覚ました。
「お兄ちゃん?」
「莉っ」
「どうしたの? ここ、どこ?」
不思議そうな顔をする。何も覚えていないのか、周囲を見回す。
不気味な生物に近づこうとするのを阻止する。
「触るな。なにがあるか分からない」
「……? だけど、なんか……可哀想だよ」
「なにがだ」
「泣いてるよ?」
「は?」
莉には何が見えているのか分からなかった。
培養槽の中にある物体は左右に揺れている。
「寂しいって……おいていかないでって……」
「そんなわけない。寝ぼけてるんだろ。早く戻ろう」
莉を抱き上げて、衛は早く地下から莉を救出したかった。
淳平に預けて、筅を見つけたかったのだ。
「お兄ちゃん、待って……どうしたの? 怖いよ」
「……」
(怖い……? 怖いってなんだよ。俺が、どんな思いでここまで来たと……)
腕の中で莉は震えていた。いつもと違う兄に怯えていた。
優しい兄の姿はどこにもなかった。
眉間に皺を寄せて、どこかを睨みつける。何かに警戒しながら、早く莉を地上に連れて行こうとする。
(落ち着け、莉は混乱してるんだ。此処がまだ図書館だって思い込んでるのかもしれない)
気持ちを落ち着かせて衛は、莉と目線を合わせるように膝をついた。
「莉、ここはエリュシオンの図書館じゃないんだ。お前は、……誘拐されて兄ちゃんが助けに来た。早く此処から離れないと悪い奴がまたお前を狙いに来るかもしれない」
「でも、あの人……」
「あれは人じゃない。生き物でもないかもしれない」
培養槽の中にいるのが何なのか衛は分からない。
だが、確実に言えるのは人間ではないと言うことだ。
「……独りぼっちは嫌だって」
「幻聴だよ。きっと、なにか悪い薬を打たれたのかもしれない。病院に連れて行けないのが心苦しいけど、言うことを聞いてくれ」
鬼気迫る衛に怯え続ける莉。
このままでは埒が明かないと衛は莉の手を掴んで来た道を引き返す。
「待て」
誰かが静止の声を上げた。振り返れば、淳平が立っている。
淳平は衛を睨みつける。
「その娘をどこに連れて行くつもりだ」
「どこに? 決まってるだろ?」
「地上……なんて言うつもりじゃないだろ?」
「なに?」
衛は無意識に莉の手をきつく握った。
「お前が正常な判断がつけられないと判断した。その娘を離せ」
「俺は正常だ。莉は、俺が安全に地上に連れて行く」
「……お兄ちゃん変だよ。手、痛いよ」
莉が怯えていることも気が付かない衛は、淳平を睨みつける。
「お前が正常。笑わせるな……『死期』の分際で」
言うと淳平は床を蹴り、衛との距離を縮めて、その顔を掴もうと手を伸ばした。
「っ!?」
衛は驚き莉の手を放して距離を取った。掴まれまいと跳び退いたのだ。
普通の人間では出来ない驚異的な高さで跳んだが着地に失敗し衛の足はぐにゃりと変形する。
「ひっ……!」
莉はその光景に悲鳴を上げる。淳平は莉を脇にしがみつかせて護る。
「どう言うつもりだ、谷嵜」
衛が言うと同じ声で「それはこちらのセリフだ」と聞こえた。
淳平がいた方向から聞こえてきた声。莉は、そちらを見ると衛とそっくりの男が出てきた。
「……お兄ちゃんが、ふたり?」
戸惑う莉に「大丈夫、心配するな」と一言声をかける。
「俺の演技が上手だな? 『死期』いったい誰から伝授されたんだ?」
衛に化けた『死期』が莉を連れて行こうとしていた。
莉に『死期』を取り込ませて、衛ともども殺そうとしていたのだろう。
だがその作戦は見事に破綻した。
「いつから……」
「昨日だよ。筅が誘拐された日、俺は図書館に向かう道中に谷嵜と合流していた」
昨日、衛は筅が『死期』に連れ去られた後、『死期』を追いかけながら図書館を目指していた。その際、同時刻に莉を連れ去った『死期』を追いかけていた淳平と遭遇した。
衛は、生徒会長が『死期』に連れ去られた件を伝えた後、そのまま継続して二人の捜索を開始した。
淳平は、図書館に戻り、衛の件をさとるに伝えようと向えば、そこには別れたばかりの衛の姿があった。
『……筅が消えた』
淳平はその言葉で全てを理解した。
図書館に現れたのは、衛の偽物であることを……。
「谷嵜は、人の名前を覚えることが得意じゃない。そもそも興味がないことに関しては覚えることを決してしない奴だ。不良生徒で不登校の谷崎が、筅のことを知っているわけがない。それに俺は谷嵜に筅との関係を伝えていないしな」
その後、衛は二人が連れ去られたことで憤り校舎の破壊をする。
淳平は、夜間『死期』を退けている啓介と美夜に万一の事がないかと、衛に化けている『死期』の監視をしていたのだ。
さとるは一芝居打ったのだ。「『死期』に知性があるなんて」とはまさに目の前にいる偽物が人間に化けていることに驚愕していたのだ。
淳平が『死期』の監視、さとるたちは、衛と合流。
偽物の衛が出現したことを衛に伝えれば、さとるは作戦を考えた。
「さとる先輩は既に地下への入り口を見つけていたんだ」
「……」
「お前に気取られないように、聡先輩に尾行をしてもらった」
聡が監視して、随時報告がいく。その間にエリュシオンの駅にいる。
駅員に事情を伝えて、協力してもらう。
「莉と筅を見つけることが第一だった。俺たちが来たとき、ここに莉は、いなかったのにまるで示し合わせたように莉が『死期』を纏って出現した。どんな芸当だと目を疑った。……飛び出していかなかった俺を褒めてほしいくらいだ。お前がどうするのか見てたが、兄として最低だ」
莉が現れてすぐにでも駆け寄り容体を確認したい気持ちでいっぱいだったのを淳平が留めていた。もしも素直に地上への道に向かっていくのならば、文句はない。けれど、『死期』が人間の真似事なんてするわけがない。
衛の『死期』はもうその形を留める理由がなくなったのか。
ぐにゃりと形を歪ませて見慣れた怪物の姿へと変貌する。
「お、お兄ちゃん」
「大丈夫だ」
莉にも『死期』が見えていることに衛は唇を噛んだ。
少し前に立ち二人を護るために警戒する淳平は、ふと周囲に気配を感じる。
「気をつけろ」
言うが早いか、施設内に『死期』がじわじわと溢れ蠢いていた。光の当たらない場所で金色の瞳を鈍く光らせる。
「莉、俺から絶対に離れるな」
「う、うんっ」
衛は、聡から借りていた警棒を握る。
予備があると言って二三本ほど持ってきたが、淳平は断り、衛、啓介、美夜が借りていた。
莉の手を優しく、けれど決して離さないように握る。
「俺タチガ、誰ヲ狙ッテイルカ、ナンテオ前ラニ分カルワケガナイダロ?」
衛に化けていた『死期』が蠢きながら言葉を発している。
さとるの言う通り知性があることに、短いながら『死期』と対峙してきた衛は驚愕する。
「分からなければ、分かるまで消し去ればいい。残った『死期』が莉のなら、そのまま逃げる」
数を極限まで減らすことができれば退路を見つけ出すのは簡単だ。
(莉は此処にいる。あとは筅を見つけるだけ)
「聡先輩が、お前の事を子供だと言っていた。生まれたばかりで感情的になる。感情の抑制の仕方を知らないんだ」
「感情ノ抑制? ソンナモノ必要ナイ。人間トハ感情ガナケレバ存在スルコトモデキナクナル」
それを糧に存在している。
人間が感情を抱く限り『死期』は存在を続ける。
衛たちがどれだけ努力しても、人が人として生きている限り『死期』は現れて、人を不幸にする。
「そこまでです。……総員銃構え」
女性の声が轟いた。
「っ! 伏せろ!!」
「撃てっ!」
淳平は踵を返して衛と莉に覆い被さり庇うとほぼ同時に銃声が響いた。
衛は莉の耳を塞いで、なるべく音を聞かせないようにする。
視界の隅で『死期』が穴だらけになっていく。
(いったい、なんなんだ)
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