第2話 シキセマ

 莉の余命宣告をされて、衛はどうやって学園に戻って来たのか憶えていなかった。

 寮監督に怒られていない所を見るとしっかり時間通りに帰る事が出来たようだ。

 夢だったんじゃないだろうかと衛は学園に向かう支度をしていると莉の主治医から電話がかかって来た。

 突然の余命宣告で生き甲斐を失った人が自殺を選ぶケースがあるとして心配していたらしい。衛は大丈夫だと言って通話を終了する。


 医者は、分かっていて首を絞めて来るのかと嫌になった。


「もうどうしたら良いんだよ」


 ダンッと洗面台を殴った。莉が死ぬと言われて平気でいられるほど出来た性格をしていない。衛は授業に出られる状態ではないと休みの連絡を入れてベッドに腰掛けた。


「何のために……俺は、此処にいるんだ。なんで……死ぬんだよ……なんでッ」



 ――なんで俺じゃなかったんだ。



 午前の授業に出られず衛はエリュシオンの街中を意味もなく彷徨う。

 全て学園内で完結してしまう為、エリュシオン内をしっかりと見たことはなかったと顔を上げる。気分を晴らしても結局、この新しい光景を莉に見せることが出来ないと気が付けば、言いようのない感情が付きまとって来る。


 頭上でモノレールが音を立てる。誰も通らない路地で酒を飲み泥酔したかのように座り込む。部屋に戻っても生きてる心地がしなかった衛は本当に生き甲斐を失っているのだと医師の言っていた通りで嫌になる。


「ははっ……どうして俺じゃないんだ。俺じゃあ、ダメなのか……」


 もうどうしようもないほどに行き詰っているのだと衛は頭を抱えていた。

 刹那、衛の頭を何者かが蹴った。


「ッ!?」


 突然のことで戸惑いながら顔を上げると赤とも黒とも言えない色が目に入る。

 人間のような形をしているが全身がその色をして、腕や脚は太く歪、奇妙な形の怪物がそこにはいた。


「な、なんだッ」


 金色の瞳が光る。振り上げられる腕が衛の肩にぶつかると激痛が襲った。

 一体何者なんだと衛は路地から抜け出して助けを求める。しかし、人の姿は何処にもない。ほとんど子供しかいないエリュシオンで午前なんて皆授業をしている。通行人なんているわけもない。

 そんな衛を余所に怪物は襲って来る。逃げなければともつれる足を必死に前に伸ばした。

 呼吸もままならない。誰もいない街で理由も意味も解らないままに殺されてしまう事を恐れる。あの怪物がどうして衛を狙って来るのかは皆目見当がつかない。

 それでも逃げなければ殺されてしまうと直感していた。


(なんだ。なんなんだ! いい加減にしてくれっ。俺はこんな所で死にたくない……)


 ――お兄ちゃん。


「……ッ」


 不意に脳裏によぎる莉の笑み。

 あと一か月もしないで死んでしまうかもしれない。昨日は元気そうだった。次は美味しいグミを買って行くのだと予定を入れていた。その次など、あるのかすら分からない。

 ならば此処で無駄に生き延びようとしても意味がないのではないか。先に両親のもとへ行くことで莉が安心してこちらに来られるのではないか。


 衛の足が自然とゆっくりになる。次第に走る事をやめて立ち止まってしまった。

 怪物がこちらに迫って来るのも時間の問題だ。呆気なく八つ裂きにされて殺されてしまえば、たとえ莉が死んでしまっても衛が道案内出来ると兄として勤めを果たそうと怪物に向いた。


 ギシャアァ!!


 怪物が衛に目掛けて歪な形の腕を振り上げるのが見え、咄嗟に痛みを覚悟する為に目をきつく閉ざした。


(莉、少しの間一人にしちゃうけど、すぐに兄ちゃんに逢えるからな)


「諦めるな!!」


 不意に聞こえた声に衛の身体は衝動的に横に転がっていた。怪物の腕は地面を抉るかのように振り下ろされていた。あんなものを受けたらひとたまりもないと血の気が引いた。

 足音が聞こえる。靴がコンクリートを蹴る音。衛の肩を掴んで「大丈夫か?」と声が駆けられる。

 顔を上げると、髪の一部白く染めた茶髪の男——谷嵜淳平がいた。


「生きる事を諦めるな。お前には見えてるんだろ?」


 学園一の不良生徒と揶揄された男が酷く優しい声色で言う為、衛は戸惑う。


「俺じゃあ奴は殺せない。お前が殺さなければ、ずっと追いかけて来る」


 怪物は標的を失ったことに気が付きこちらをぎょろりと見る。

 標的を改めて定めたようで上半身を起き上がらせると衛を殺す為に動き出す。


「ちっ……話はあとだ! ついて来い!」


 強引に起き上がらせて衛の背中を押し淳平は先を走る。

 怪物から逃れる為に曲がり角を何度も進む。視界から外れる為に狭い路地や定期的にやって来るバスに乗り込んでやり過ごす。


「はあはあ……谷嵜。お前、何を知ってるんだ。さっきの怪物はなんだ」

「……俺は『死期』と呼んでる」

「しき?」

「ああ、死ぬ時期。死を悟った時に感じるものとでもいうべきか? 命の終わりだ」


 走り疲れた衛は椅子に座って、淳平は手すりに背を預けて話をする。

『死期』は何処にでも現れては標的を殺すまで、もしくは殺されるまで追いかけて来る。


「お前を狙う『死期』は、お前だけを襲う。他者は襲わない。そして、他者も干渉する事は出来ない」

「今まで見えてなかっただろ。どうして、俺が何をした」

「お前自身は何もしていない」

「何もしていないのに狙われたって言うのか!」

「落ち着いてくれ。そもそもお前は何に怒っている? 一度は死を受け入れようとしたんだ。恐れる理由はあれ怒る理由はないはずだ」

「っ……なら、どうしてお前は俺を生かした。俺に諦めるなと言ったんだ」


 莉が死ぬかもしれない。莉が死んでしまい一人になる未来を想像する事が苦痛になった。だから、先に死んで、莉の死を待っていたかった。

 それでも、自分の身体は生きることに縋りついてしまった。淳平の言葉に身体が突き動かされてしまった。


「俺がお前に諦めるなと言ったのは、お前にまだ生きる気力があるように見えたからだ」

「……俺に生きる気力」


 そんなもの。と吐き捨ててしまいたかった。だが今こうして逃げて来た事が何よりの証拠で、狙われる理由も分からず死んでしまうことが許せなかった。


「馬鹿馬鹿しい」

「なら、俺の勘違いだ。お前が死を望んでいるなら、『死期』に向かえば良い。それで全て片が付く」


 延々に走り続けるバス。

 運転手のアンドロイドは停車ボタンを押すまで決まったルートを走り続ける。

 停車ボタンを押して『死期』と呼ばれた怪物に向かえば簡単に殺してくれる。


(俺は死にたいのか。それとも……まだ)


「霊的なものじゃないんだな」

「捉え方に寄るな。俺は奴らを幽霊の類だと思ったことはない。そうだな。人ではないが、殺人鬼と類似した何かだと思ってる」


 人を殺そうとする点においては同じことだと言う。


「……お前は、ずっとあんなのと戦っていたのか?」

「そうだな。傍から見たら変人だろう。何もない所、もしくは俺に喧嘩を吹っかけて来る奴らを意味もなく殴っているように見えていたかもしれないな」

「……!」


 覚えがあった。喧嘩など売らなければ淳平は殴ってこない。関わり合わなければ問題はないと言うのに次から次へと淳平に喧嘩を吹っかけて負けている生徒たち。

『死期』が見えていた淳平はただ喧嘩をしていたわけではない。

 喧嘩に負けたら淳平は死んでいたかもしれないのかと衛は渡り廊下で見た淳平の喧嘩を思い出していた。


「兎も角、俺が余計なお世話をしたみたいだな。悪かった」


 淳平は、ぶーっと停車ボタンを押して次の停留所で降りるために出口に近づいた。


「死ぬなら悔いのないようにな。死んだらその悔いすら遂げられない」


 停車するバス。IDカードで支払いをして下車する。

 扉が閉じると再びバスは発車する。


 衛の頭の中でぐるぐると淳平が言っていた言葉が繰り返される。


『死期』は個人を襲う怪物。

 黒い体に黄色い瞳。死期が近い者を襲う。


「……そんなの死神じゃないか」


 クソっと優等生気質である衛が毒を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る