Ambivalence ~死期が迫って来る~

赤い鴉

第1話 シキセマ

 此処は、エリュシオンと呼ばれた人工島。

 モノレールで人工島を移動する事が出来てしまう。火力発電、水力発電、風力発電などで電力を賄っており、何も知らない一般人にとっては理想郷と呼べる街でもある。

 そして、その人工島の中心にある建造物。天理学園。

 子供のために建てられた巨大な学園では最先端の学習法が用いられていた。


「招待された子供もしくは多額の入学金で入学が許される最先端の学園、天理学園。正直、いざ入学してみると名前負けしてるよな」


 半透明のモニターを操作しながらクラスメイトがぼやいた。

 招待されたのか、それとも入学金を支払ったのか。

 どちらにしても悠々自適にパネルを操作している自体がハイテクである事を忘れて慣れた日常を過ごしている学生を横目に彼は時間を確認する。


 十五時。もう授業は終えてみな一様に、思い思い放課後を過ごしていた。

 ポイント稼ぎでバイトをするでも、部屋に戻って課題をするでも、友人と遊びに行くでも、何でも自由に出来る。此処には大人の干渉がない。


 そして、彼、城野じょうのまもるもまた自分の目的の為に教室を後にする。短い黒髪に、珍しい空色の双眸をしている衛は、その目の所為か、あまり人が近寄らない。だが決してはぶかれているわけじゃない。チーム活動をする際だって普通にその場に馴染むことが出来る。ただ彼自身がその瞳を過剰に気にしているだけのことだ。

 そんな衛が、足早に廊下を歩いていると同級生が「よお、これから?」と衛が向かう先の事を知っているのか尋ねる。衛は「ああ」と短く返事をして同級生とすれ違い様に会話をする。


 天理学園に招待を受けた衛は、そこそこの学力で入学を果たした。

 招待された生徒は学費が免除されるのだ。そんなうまい話を乗らない方がどうかしていると少しでも生活を楽にする為にエリュシオンに足を踏み入れた。

 慣れないうちはハイテク過ぎて未知の世界と驚愕していたが三か月ほど経過するとだいぶ慣れて来た。ハイテクの中にいて、一年が経過、彼は天理学園に通う高校二年生だ。


 そんな思い出に浸りながら渡り廊下を歩いていると何やら人で賑わっていた。

 衛は近くにいた見物している生徒に尋ねる。


「なにかあったのか?」

谷嵜たにざきだ谷嵜」


 それだけで全てが解決すると言いたげに生徒は渡り廊下の窓から身を乗り出すように外を眺めている。

 衛もチラリと窓の外を見ると髪の一部を白く染めた茶髪の男が喧嘩をしていた。

 既に殴られた後なのか顔が赤く腫れている。疲れている様子が見てわかるほどだが、それを好機と見た力比べをしたい生徒が突っ込んでいくが、彼は疲れているにも関わらず相手を掴んで硬い地面に叩きつけた。


(ああ、谷嵜か)


 他クラスの谷嵜たにざき淳平じゅんぺいは、天理学園一の不良生徒として名を馳せていた。

 もっとも喧嘩を売らなければ向こうも殴って来ないのだが、気が狂った生徒が淳平に喧嘩を売って倍返しに遭う。自業自得だが、どうしてそこまでして喧嘩をしたがるのか衛には理解出来なかった。

 見世物のように「今回は行けるか?」「流石に人集めりゃあ無理だろ」と口々に言う。


(触らぬ神に祟りなし)


 そう思いながら衛は渡り廊下を通過する。

 そのまま学園を後にして、モノレールの停留所まで来る。学園の外に向かいエリュシオンの街を横切る。

 モノレールから見える景色は海が見え、都心も見えるなんとも爽快な光景だが何度もモノレールを使っていると見飽きてしまう。


「やあ、城野君。毎度のこと偉いね」

「俺が好きでやってることですよ」


 エリュシオンと都心を繋ぐほぼ誰も来ない駅で見慣れた駅員が優しい笑みを浮かべる。

 駅員に外出許可証とIDカードを見せて改札を抜ける。


 一日に四本しか行き来していない電車。毎日時間通りに動いている為、一分とて遅れは許されない。


「会ったことないけど、よろしく伝えてよ」

「はい」


 駅員は「いってらっしゃい」とエリュシオンの外に出る衛を見送る。




 十五分ほど掛けて都心にやってくる。

 衛は電車を降りて、駅のホームを出る。

 駅近くの花屋で花束を買い、コンビニで適当な飴を買う。

 その一つを口に含んで向かう先は総合病院。


「城野さん、相変わらず時間通りね」

「そうじゃないと電車が行っちゃいますから」


 受付の看護師が苦笑する。衛は笑って目的の病室に向かう。

 此処に至るまで四十五分。早くしても遅くしてもそれ以上も以下にもならない。

 向かった先にある病室の扉には『城野じょうのまり』と書かれていた。ノックをして返事が来るのを待ち扉をスライドして開く。

 白い部屋の中でひと目見ただけで体調不良なのではと思わせる顔色の少女がこちらを見て笑みを浮かべていた。

 彼女の事を知らない人が見れば、体調不良で心配になるが、彼女を知る人からしたら彼女の顔色はそれが通常なのだ。今日は少しだけ体調が良さそうだと衛は安堵する。


「おはよう、莉」

「おはよう、お兄ちゃん」


 衛の実妹。城野莉は、十歳の頃、突如として発症した病気によって入院している。普通ならば中学校に入学して友人と楽しく過ごしているはずの妹は、今年で十四歳、中学二年生の時間を病院で過ごしている。


「本当に時間ぴったりだね」

「皆に言われたよ。時間通りじゃないと電車に置いて行かれる。外出許可は下りても外泊許可は下りてないからな。兄ちゃんも忙しいよ」


 花を花瓶に活けて簡易椅子に腰かける。此処に来るまで顔見知りとなってしまった人たちに「時間通り」と言われてしまったことを冗談まじりに言う。


「早く駅に行っても電車は来ないし、遅くなったら置いて行かれる」

「でも、迎えがあるんだよね?」

「申請したらな。申請をし続けたら、生活態度を審査されて外出が許されなくなるだろ? それじゃあ、お前に会えなくなる」

「んー、それは寂しいな」

「だろ」


 城野兄妹は、両親を早くに亡くして親戚のもとにいた。莉が病気になり、裕福ではない為、困っていた時に衛のもとに天理学園の入学招待が届いた。

 招待者には学費が免除になる事もあり、ちゃんとした設備で学ぶことも出来る事で親戚も衛も二つ返事だった。

 

 在学中、原則都心への行き来は禁止されているが、外出許可を寮の管理人に取れば都心に行くことが許される。

 どれだけ許可を取ることが手間ではあれ、莉の見舞いに行くためならば、そんな手間すら苦にはならなかった。


「伯父さんたちは来てるのか?」

「うん、三日前に来たよ。えっとね……伯母さんは、お料理教室で生徒さんが三人増えたって、伯父さんはシニア将棋大会で準優勝だって言ってた。みんなでお祝いしよう?」


 今後、莉の外泊許可が出たらお祝いをするんだという。近々衛のもとにもそう言った趣旨の手紙が届くはずだと莉からネタバレを食らう。


「タイミングの良い日に外出許可が出てくれたらいいな」

「ダメそう?」

「伯父さんたちと時間を合わせるよ。電車の時間もあるしな」

「うん、お祝いしよう」


 莉は笑みを浮かべて衛が買って来た飴を口に入れた。

 リンゴ味の飴は莉の口に広がる。


「お兄ちゃん、学校楽しい?」

「どうだろうな。勉強をしに行くだけだ。確かに技術は何処よりも進んでる。システムとかプロジェクトとか、小難しい機械をいじくって少し賢くなろうって感じだ」

「いいなぁ、高校生って大人って感じ……凄いカッコいい」

「ふたを開けたら、中学の延長戦だ」


 面白い事がないわけではない。

 学校に通えない莉を前に楽しい事を告げることは出来なかった。

 話題に上がるのは、エリュシオン側の駅で毎日暇を持て余している駅員の事や学園で喧嘩に明け暮れている谷嵜淳平の事だった。正直莉にそう言った物騒な話は聞かせたくなかったが、どれだけ最先端の街と言えど、そう言った不良があふれている事を伝えて、今まで通りで良いのだと伝える。

 莉は笑みを浮かべたまま「そうなんだぁ~」と何処か気の抜ける返事が来る。


「その人は、きっと暴れたいお年頃なんだね。テレビで見たよ。暴れてストレス発散してる人」

「……やらせだろ。暴れたってストレス発散になるかよ」

「なるよ。病院の中、歩いたらすっきりしたよ?」

「トイレに行って帰って来たからじゃないのか」

「えーっ。お兄ちゃん酷いー。そんなんじゃないもん」


 バシバシと莉は衛の腕を弱々しい力で叩いて来る。

 暫く話をしていると衛のスマホが音を立てた。


「悪い。電車の時間だ」

「もうそんな時間なんだね。早いね」

「ああ、また来るよ」

「うん、待ってる。そうだ! お兄ちゃん、今度はリンゴのグミが良いな」

「わかった。兄ちゃんがとびっきり旨いグミを探してくる」


 立ち上がりスマホを上着のポケットに押し込んで「良い子で待ってろよ」と伝えた後、病室を後にする。

 廊下を歩いて向かう先は、病院の外ではなく、診察室。

 ノックをして「失礼します」と言えば、「ああ、衛君。待っていたよ」と白衣を着た男が椅子に座ったままこちらを一瞥した。


 彼は莉の主治医だ。


 衛は莉の病室を出てから、すぐには帰らずに医師と話をするようにしていた。伯父たちが話を聞いていても、しっかりと自分も妹の状態を受け入れたかった。

 まだ病気は治らない。しかし少しだけ以前会った時よりは顔色が良い。また会いに来たら、もっと良くなっているかもしれないと期待する。


「莉ちゃんの検査結果を伝えるよ」

「はい」


 いつも通り代わり映えしないと告げられる。血液検査だとか、日々の経過だとか、睡眠の質だとか。小難しい事を言われても衛には余り理解できなかった。

 いつも通り変わらない診断結果だと衛が礼を言って立ち上がろうとした時だった。


「それと……莉ちゃんは、もってあと一か月だ」

「えっ。それは、どう言う事ですか?」

「一か月生きられるかどうか、私たちにも判らない。莉ちゃんはもう永くはない」


 ガタンっと椅子が倒れた。近くで控えていた看護師が「衛君」と心配そうに見ている。


「一か月って……そんな急に言われても、莉の奴、今日は元気だった。以前よりも顔色がましになってるんだ! それなのに一か月って」

「……二日に一度吐血している。この調子では」


 残念だが。そう言われて衛はどうして良いのか分からなかった。理不尽に医者を殴るべきだったのか、それとも言葉で責め立てるべきだったのか。

 ただ、何も考えられなくなった。


「……莉は……あいつは、死ぬんですか。あと一か月で」

「このまま血を吐き続けて、しまえば……血が固まり、呼吸困難となる可能性がある」

「……伯父さんたちは」

「まだ伝えていない。この結論に至ったのが昨日の事だ。莉ちゃんにも伝えていない」


(俺だけが……どうして、莉が死ぬ。死ぬって、なんだ? なんで死ぬんだ。どうして)


 頭の中で自分には関係ないと思い続けて来た事が身近に迫っていた。


「……すいません、電車が来るので、今日は……帰ります」

「衛君。我々も何とか最善を尽くすつもりだ。必ずじゃない。莉ちゃんの強さは皆知ってる。だから一緒に頑張っていこう」


 衛はなにも言えずに診察室を後にした。

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