第44話 エリシャ大反省会


 剥き出しの土と、頑丈な柵――囚人を囲う牢屋は不潔で、陰気で、なんの希望もない場所だ。


 ここにはフカフカな布団もなければ、美味しく瑞々しい果物もない。


 サイツ侯爵は馬に跳ね飛ばされ満身創痍であったが、施された治療は最低限で、頭部に巻かれた包帯は黄ばんでいる。


 檻の外に置かれた腰高のスツールの上には、くまちゃんの姿が――。


 くまちゃんも片耳と腕に包帯を巻いているが、こちらは真っ白で綺麗なものである。


 くまちゃんはちょっと悪い顔をして眉間に浅い皴をいくつもこさえ、レンズのほうを向いてメンチを切る。ガラが悪いのに、そこはかとなく可愛いくまちゃん。


 背後の牢内では人相がすっかり悪くなったサイツ侯爵が、悔しげにくまを睨みつけている。


 フラッシュが光り――……その場面を四角く切り取った。




   * * *




『お手柄くまちゃん、霊能力を駆使して、奇跡の力で悪党を一網打尽‼』


 国境を越えたあと、荷馬車の幌の下でゴシップ誌を読み込んでいたカンターは、はぁと呆れたようにため息を吐いた。


「なんでくまちゃんは包帯してるんだよ……霊体なんだから、怪我なんてしていないだろうに」


 田舎道は大変な悪路で、揺られているとお尻が痛くなってくる。


 しみったれた救貧院暮らしが長かったとはいえ、こうして荷馬車で運ばれるのは、いい加減うんざりしてくるなとカンターは考えていた。


 カンターの隣に腰かけている耽美な男が、面倒そうにこちらを流し見てくる。


 彼は神職に就く者の格好をしており、物腰も上品なので、荷台に座り込んでいる現状とのギャップがすごい。


「あのくまは自己プロデュースの仕方を熟知している。民衆なんて馬鹿ばかりだな……あれだけ叩いておいて、恥ずかしげもなく、すぐに手のひらを返す。くまはまた国民のアイドルに返り咲きだ」


 そう語るのはメティ神父だ。


「まぁ、それは別にいいんだけどね。なんだかんだいって、あたしはセレステのことは好きだしさ……あの人が幸せになるなら、素直に『よかったね』と思えるよ」


 カンターは良くも悪くも物事に執着しない。いつだって気の向くまま、風に吹かれるまま、行先を変えてきた。


「お前は国を追われたのに、『よかったね』と思えるのか?」


 と問われ、


「あんたと組んだのが、運の尽きさ」


 カンターは口の端を上げる。


「私に付き合う必要はなかった」相変わらずメティ神父は冷めきっていて、カンターに対しても親愛の欠片すら見せない。「お前なら国に残っても、なんとかやれたのではないか?」


 そう問われたカンターはなんともいえずしんみりしてしまった。


 いやあ……まさかメティ神父と国境を越える日が来るとはね……救貧院にいた頃から、この先一番接点がないであろうと考えていた人物なのにさ。


 カンターはあぐらをかき、悪戯な視線をメティに向ける。


「それよりも、ちょっと意外だったな……あんたは悪事の末に捕まったとしても、別に気にしなそうだと思っていたよ。なんつーか、破滅的っていうかさぁ」


「確かに、別に捕まってもいいかなと思っていた。以前はね」


「じゃあ、なんで逃げることにした?」


「すぐに逃げるか、このまま捜査の手が迫るのを待つか、ふたつにひとつだった。私はずいぶん好き勝手やったし、もういいかなという気もしたんだが……土壇場で思い直した。汚濁にまみれた牢内に囚われてやるのは構わないが、囚人に襲われるのは嫌だな、と思ってね」


「おお、なるほど? 確かにあんたは綺麗な顔をしているから、特別可愛がられたに違いないねぇ」


 性格の悪いカンターは想像しただけで楽しくなったらしく、ニマニマしている。


 メティ神父はそれを叱りもせずに、相変わらず冷たい目でカンターを眺めた。


「これは私の持論なのだが――執着する者は、退き際を誤る」


「サイツ侯爵?」


「彼はセレステにこだわりすぎた」


「ははん、スケベ心が高くついたな」


 だからカンターは男装をする。性別を捨ててしまえば、生き方がうんと楽になるから。


 まぁだけど、これもまだ子供だから通用する手なのかもしれない。セレステのように男心を惹くスタイルになってしまった場合、男装しても放っておいてはもらえないかもしれないし……。


「サイツ侯爵は檻の中で、自分の尻の心配をしたほうがよさそうだね」


 カンターが呟きを漏らすと、


「彼は案外上手くやるかもしれない。度を越した変態性は、ほかの悪意を超越することがあるからね。ひと月とたたずに、牢内を牛耳っているかも」


 興味の欠片もなさそうにメティが応じる。


 老いぼれの大司教のほうは囚人からの人気は低そうなので、別段尻の心配はしなくてもよさそうだが、あの年では寒い檻での新生活はさぞかしこたえるだろう。


「まぁ、うちらには関係ないか」


「そうだな」


「あんたのコネで、金持ちの未亡人を紹介してくれるんだろう?」


 そう問われ、初めてメティ神父が淡い笑みを浮かべた。彼は顔が広い。隣国にも伝手(つて)はある。


「君の霊能力は、本当にまだ残っているのか?」


「ああ、このネックレスがある限りはね」


 カンターが首から下げたネックレスを摘まんでみせると、メティ神父が気だるそうに瞳を細めた。


「隣国では、貧乏人相手のショーはしない。顧客は慎重に選ぶ」


「上等な客さえ仲介してくれれば、あとは任せてくれ。先祖の霊がなんたら――とうそぶいてさ、うんと巻き上げてやるよ。少しの霊能力に口の上手さが加われば、もう無敵だろ?」


 カンターが鼻で笑い、頭の後ろで両手を組んだ。


「まったくさ……霊能者に金を払う馬鹿がいるなんて、信じられないよ」


「皆、救いが欲しいのさ」


「まぁ、あたしの能力は本物だし、相手が破産しない程度に巻き上げるようにするから、恨まれることはないと思う」


 カンターは本音で語っているようだ……メティ神父にはそれが分かった。


 この子供はバランスを取るのが上手いし、下劣な存在にはなりきれないところがあるから、確かに有閑階級の寂しい人たちを破産させることはあるまい。


「とりあえず君とは、対等なパートナーだ」


 メティ神父が綺麗な手を差し出してきたので、カンターは長年の労働で荒れた小さな手を伸ばし、それに絡めた。


 ふたりは握手しながら、『きっと短い付き合いになるだろう』と行く末を予想していた。


 ところが執着を捨ててしまうと、意外と上手く回るものである。


 ふたりは褒められたものではない悪党同士、この先長いこと共に過ごすこととなる。




   * * *




 ところで、余談をひとつ。


 救貧院跡地での決闘は、エリシャの愛馬の暴走というハイライト以降、粛々と片がついた。


 しかしセレステの動揺はなかなか治まらず……さらわれた時の絶望感や、大切なくまちゃんが怪我をしそうになった恐怖、それらが遅れてやってきた。


 馬にはね飛ばされたくまちゃんが無事だと分かり、セレステはエリシャに抱きしめられ、顔を手のひらで覆って泣き出してしまった。


 セレステは混乱しきっていて、いらぬことをたくさん口走った。


 サイツ侯爵にお尻をたくさん踏まれたので、もうお嫁に行けないと思う――とか。


 彼に馬で運ばれていた時、いやらしくお尻を撫でられてしまったから、やはりあなたとは結婚できない――とか。


 サイツ侯爵が「結婚しよう」と言ってきたから、こうなっては彼と結婚するしかないと思う――とか。


 彼に「愛してる」とたくさん言われたから、彼と結婚したら、自分も彼を愛さないといけないと思う――とか。


 サイツ侯爵は捕まってしまうから、自分は彼に面会に行くのが生活のすべてになるかもしれない――とか。


 エリシャさんはクローデットさんとどうかお幸せに――とか。


 あなたとは今後も社交場で会う機会があるかもしれないけれど、どうしたらよいのだろう――とか。


 エリシャは最悪の未来予想図を矢継ぎ早に聞かされて、心が折れかけた。


 騎士団では拷問を受けた場合を想定したきつい訓練も受けている――そんなエリシャが『これ以上の責め苦はない』と感じたほどだった。


 特にサイツ侯爵と愛し合うセレステの未来図は最悪で、全身を無数の針で刺し貫かれているかと思うほどに苦しくなった。


 そしてクローデットを助けに行こうか迷ったせいで隙を作り、セレステがさらわれ――それにより彼女はサイツ侯爵にあちこち体をまさぐられたのだと分かると、危うくダークサイドに堕ちるところだった。


 ――結果、『正義などくそくらえ』が当面の彼のスローガンになった。


 人生の優先順位というやつで、セレステを危うく失いかけたエリシャは、ほかのことが心底どうでもよくなってしまったのだ。


 その筆頭がクローデットの身の上だった。


 冷たいようだが、今後彼女に個人的な支援をする気はない。売春宿の摘発は騎士団として取り組むことになるだろう――しかしクローデットはほかの行方不明者と同じで、それ以上でも、以下でもない。


 すっかり心がささくれ立ってしまったエリシャであるが、傷ついているセレステを気遣わねばならず、しばらくのあいだは以前よりも紳士然として振舞うことを強いられた。


 ……地獄だった。


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