第39話 彼がクローデットを好きだったら……


 店を回って必要なものを揃えていく。


 先ほどのエリシャのスピーチが効いたのか、ほかの店ではトラブルもなく買いものをすることができた。


 大きな七面鳥を買ったあとエリシャがその店に交渉してくれて、配達料を倍払うことで、ほかの店で買ったものもまとめて配達してくれることになった。


 エリシャは世間の道理をよく分かっていて、振舞いがスマートだった。横柄な態度は取らないが、適切に主張はするので、短い時間で物事がまとまる。


 セレステだったらこうはいかない。おどおどして、まごついてしまったはずだ。


 これまでは世間知らずに生きてきたセレステだけれど、エリシャの振舞いを見ているうちに、自分もあんなふうに色々できるようになれたらいいのにと思った。


 すべてお任せしてしまっても、きっとエリシャは迷惑に思わないだろう――けれどひとりでもできるけれどその上で彼に頼るのと、何ひとつできなくて彼がいないと途方に暮れてしまうのとでは、まるで違うような気がする。


 エリシャと一緒にいると、色々考えさせられる。


 そしてこんなに素敵なのに、セレステのようなありふれた女性を大事にしてくれるのだから、不思議な人だと思った――もっと高望みをすれば、結婚相手はいくらでも選び放題だろうに。


 先ほどの小ぢんまりした菓子店で、


「リボンをかけて、可愛くしてくれ」


 と言った彼に胸がときめいた。


 おかしな表現かもしれないが、あのキャンディーはセレステそのもののような気がしたのだ。


 彼は魔法使いみたいに、セレステを輝かせてくれる。


 エリシャと一緒にいると、セレステは自分が特別な存在になったかのように感じられるのだ。




   * * *




「――アディンセル伯爵」


 通りを散策していた時、声をかけてきたのはメティ神父だった。不意に建物の角から現れた彼は、含みのある表情を浮かべて近づいて来る。


 そんなメティ神父の様子を見て、セレステはうさん臭さを感じた。メティ神父は中々尻尾を掴ませないが、ペッティンゲル侯爵と繋がっていたのは間違いがないようなのに、平然としていられる神経がすごい。


「偶然ですね」


 見え透いた嘘をつかれ、エリシャは鬱陶しそうに顔を顰めている。


「何か用か。お前みたいなやつにつけ回されるのは、ゾッとする」


「つけ回してはいませんよ、これは本当です――この辺のホームレスに小金を握らせておいて、何か変わったことがあれば報告するように言いつけてあるのでね」


 なるほど……エリシャは目立つから、すぐ目についたはず。それに菓子店では、セレステが揉めごとを起こしている。それでメティ神父に連絡がいったようだが、わざわざ声をかけてくるとは、一体どういうつもりなのか。


 セレステの視線を感じたのか、メティ神父が気まぐれのようにこちらを見遣る。


「……セレステは少し感じが変わりましたね」


 セレステ自身はまるで自覚がないので、怪訝そうな顔つきになっていたのだろうか……半分からかうような調子で彼が続ける。


「以前のおどおどした感じがなくなりましたよ」


「そうですか?」


「無防備になったような気がします」


 それはエリシャがそばにいるせいかもしれない……無意識に甘えてしまっているのかも。それが良いことなのか悪いことなのか、セレステには判断がつかなかったけれど。


 するとメティ神父が瞳を眇め、少し意地悪な笑い方をした。


「私的な好みを申し上げると、前のほうがいいかな」


「そ、そうですか」


 好みから外れたのならば、それは喜ばしいことだとセレステは思った。


 しかしこの人はちょっとした雑談でも、人をいたぶる気配を漂わせてくるわね……。


 ふたりが言葉を交わすのを見て、エリシャは機嫌が一気に急降下した模様――そういえばメティ神父がセレステだけに時折見せるこの独特なSっ気を、エリシャは初めて目の当たりにしたのかもしれない。


「俺がいる前で、あんたは何を言っているんだ」


「別に、セレステのことを取って食ったりはしませんよ」


「当たり前だ、馬鹿か」


 え……「馬鹿か」ってはっきり言っちゃったけれど、大丈夫でしょうか……小心者のセレステは気が気じゃない。くまちゃんとは別の意味で、エリシャもまた口が悪い。


 そしてエリシャが「馬鹿か」と言う時は、蛆虫でも眺めるような視線を相手に向けるのだなとセレステは思った……凍える。


「実はね――アディンセル伯爵宛の手紙を預かっているんです」


 メティ神父が外套のポケットから一通の封書を取り出して、顔の横で振ってみせた。からかうようなその仕草は、セレステの不安を煽った。


「興味はないな」


 とエリシャ。


「そうですか? この手紙を誰が書いたのか、聞きもしないで?」


「お前のおふざけに付き合っている暇はない」


「おやおや――今のやり取りを聞いたら、クローデット・マーチ子爵令嬢は泣き出ししまうでしょうね」


 ふと気づけば、メティ神父のペースでゲームが始まっている。


 クローデット――その名前を聞いて、セレステの鼓動が跳ねた。あまり良い思い出がない。彼女のせいでエリシャとは喧嘩もしたし、嫌な思いもたくさんした。


 でもそれは向こうも同じ気持ちかもしれない。最後に会ったのは、彼女が当家に押しかけて来た、あの日――クローデットは家に上がり込み、セレステの心をあれこれと逆撫でして、その後少し時間を置いて湖にまでやって来た。セレステは自分の馬を貸してやり、彼女は屋敷まで一緒に戻って来たっけ。そのあとはエリシャが手配した馬車に乗って宿に帰ったようだが、それきり……。


 気まずい別れ方だった。以降クローデットが訪ねて来ることもなかったので、セレステはホッとしていた。


 やはりなんだかんだいって、美しいクローデットには敵わない気がして。


 彼女があれからもちょくちょく訪ねて来ていたら、セレステはそれに嫌気がさして、本気でエリシャに婚約解消をお願いしていたかもしれない。


 クローデットはエリシャの兄の婚約者だったわけだが、彼女からはっきりと好意を示されたなら、エリシャだって心揺れるはず――セレステよりクローデットのほうが大切だと気づいてしまうのではないか。


 そうしたら地味なセレステのことなど、どうでもよくなってしまうかも。


 輝いて見えていたものは色褪せ、その瞬間『過去』になる――セレステはエリシャにとって、過去の女になってしまう。


 だからクローデットがしばらく目の前に現れないでくれて、セレステは安心していた。だけどこんなふうに忘れた頃にその名前が出てくる――まるで運命の悪戯のように。


 そしてその運命を操るのは、メティ神父のような遊び半分の悪い大人なのだ。


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