第36話 好きだよ、セレステ


 気が緩んだのだろう。くまちゃんの体が乾き、フワフワ具合が戻ったのを確認したあとで、意識が途切れた。


 ふと気づけば、朝――……セレステは眉を顰めながらゆっくりと目を開けた。


 目の前には茶色のフワフワした足。視線を動かすと、くまちゃんの横顔が見えた。くまちゃんは上半身を起こし、枕の上にちょこんと腰かけていた。


 セレステが身じろぎしたのに気づいたのか、まぁるい可愛いお顔がこちらを振り返る。


「くまちゃん、大丈夫?」


 体のわりに太めなお手々にそっと触れ、尋ねる。くまちゃんは上の空になっている時の癖で、微かに舌をはみ出させ、じっとセレステを見おろしてくる。


「ん……くまちゃん? どこか痛いところはない?」


 反応を引き出そうとして、お手々を握り込んで左右に振ってみる。くまちゃんの舌がもうちょっとはみ出した。


「――おはよう、セレステ」


 くまちゃんを挟んで眠っていたエリシャが声をかけてきたので、セレステはハッとした。


 ああ……そういえば昨日エリシャに「一緒に寝て」と頼んだのだった。


 エリシャがベッドに肘をつき、上半身を起こす。彼が座る位置を調整して、ヘッドボードに寄りかかった。


 そんなふうにされると、まだ寝転がっている状態のセレステは、彼に真上から見おろされる形になってしまう。


 ちらりとエリシャの顔を横目で見上げる……朝なのに、綺麗だわ。寝起きでも相変わらず麗しく、少し気だるげなのがまた素敵に感じられた。


 彼は長く形の良い手でくまの頭をさすりながら、視線はなぜかセレステのほうを眺めおろしている。


 セレステは気恥ずかしさを感じた。けれどまだくまちゃんが何も言わないので、そのことが気になる。


 くまちゃんが頭を回し、今度はエリシャを見上げた。


「おい、エリシャ――俺を撫でている時は、俺を見ろ」


 急に喋り出した。


 でも元気そうでよかった……セレステはホッとする。


「体調は良さそうだな、くま」


「おう。すっかり元気だぞ」


「それはよかった」


「だからー、俺を見ろっての!」


 くまちゃんがプリプリ怒っているのだが、元気なわんぱく坊主を見ることができてセレステは嬉しく、笑いが込み上げてきた。


 くまちゃんは一瞬口をへの字に曲げてから、よっこらしょっと腰を上げ、セレステに向き直った。四つん這いになって、真上からじぃっとセレステの顔を見おろす。


「セレステ、本当にごめんな……俺、ゆうべ死を覚悟した時に思ったんだ。大事なことを見失っていた。俺はセレステの笑っている顔が好きなのに、このところ笑えないことばっかり、しちまってた」


「くまちゃんだけが悪いんじゃないよ。私も悪かったから」


「セレステは悪くないだろ」


「そんなことないよ。おあいこだよ――私もごめんね。くまちゃんがそばにいてくれることが当たり前になっていて、感謝が足りなかった。もっとちゃんと大事にしないといけなかったのに」


「セレステは大事にしてくれた。俺はセレステが大好きだ。喧嘩してた時も大好きだったし、今もすごく好きだ」


 くまちゃんが鼻を近づけてきて、セレステの頬っぺたにキスをした。キスというよりも、鼻先をぺたーとくっつけただけの行為だったけれど、セレステは嬉しくてくすぐったくて、にっこり笑ってしまう。


「おい――セレステにキスするな」


 エリシャが大人げなくくまちゃんの腕を引っ張りセレステから引き離すと、今のキスで興が乗ったのか(?)、


「なんだ、ヤキモチか? じゃあ、エリシャにもチューしてやる」


 と言って、くまちゃんがエリシャの顔面に飛びかかった。


 それからすったもんだの争いがあり……。


 すっかり疲れた様子のエリシャと、なんだかすっきりした様子のくまちゃん、笑いすぎてお腹が痛くなったセレステと、三者三様の状態になった。


 くまちゃんが例のごとく、


「腹が減った!」


 と騒ぎ、エリシャが、


「先に下へ行って、フルーツでも食べていろ」


 と命じてベッドから摘まみ出した。


 くまちゃんが出て行くと、ふたりきりになる。


 セレステはもぞもぞと動き、上半身を起こした。普段着のドレス姿で掛け布を中途半端にかぶっている自分自身を見おろすと、なんだかものすごく恥ずかしくなってきた。


 エリシャさんみたいに美形だったら、寝起きでもいいんだろうけれど……セレステは耐えがたい気持ちになり、手のひらで顔を覆った。


「……セレステ」


 彼の声が甘く響く。


「セレステ、顔を見せて」


「い、嫌です」


「どうして?」


 どうして、って、そんなの……セレステは顔を赤らめる。


「逆に、どうして見たいんですか?」


「それは、する前に顔を見てちゃんと言いたいから」


 エリシャの言葉は謎すぎて、セレステには理解できない。そうっと手を離し、彼の顔を覗き見る。


 朝日の中、甘いような、焦れたような、複雑な光を湛えたブルーアイが、セレステだけを見つめていた。


「君に触れる前に、言っておきたい」


「何をですか?」


「好きだよ――セレステ」


 彼の大きな手がセレステの耳下を撫でる。


 引き寄せられ、彼の唇が優しくセレステに触れた。


 ……初めてのキス。


 セレステは胸が震えて、何も考えられなくなった。


 呼吸が溶け合うみたいに、互いのあいだにあった距離がなくなり……。


 すぐにエリシャはキスにのめり込んでいたけれど、セレステのほうはまだよく勝手が掴めなかった。


 ん……ん……ふわぁ――……。


 長い長い時間が過ぎて、すっかり力が抜けかけた頃――寝室の扉がバーン! と勢い良く開いた。


「メシだぞ、この野郎ー!」


 くまちゃんがしっかり邪魔に入った。


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