第34話 クマちゃん敗れる


 アン改め霊能者カンターは、颯爽と風を切って前に出て来た。


 相変わらず男の子の格好をしているが、救貧院でくすぶっていた頃とは身に着けているものの質が違う。今は貴族子息のような上質な服を着ていた――真っ白なシャツに、臙脂のリボン、黒いベストに、毛織りのズボン。


 くまちゃんはポカンと口を開けて、カンターの首から下がったクロスのネックレスを眺めていた。


 くまちゃんにはあれがなんであるのか分かった――天上と自分とセレステを結ぶライン――そのあいだにあのネックレスが絡みつくように割り込んで、力の恩恵を勝手に吸い取っている。


 近頃奇妙な力の干渉を感じていたのだが、ずっと正体が掴めずにいた。それでずいぶんヤキモキさせられたのだが、跳ね返せないのも当然である――元は同じ流れを汲んでいるのだから。


「おい、お前、それ」


 くまちゃんが前のめりになると、


「気づいた? 君と私は兄妹のようなものかもね」


 カンターはネックレスをつまみ、にんまりと人の悪い笑みを浮かべる。


 そぐそばでくまちゃんを悠然と見おろし、歩を進めて用意されていたもうひとつの席に着く。


 司会役の男が声を張り上げた。


「レディース・アンド・ジェントルマン! 本日は世紀の霊能力対決が行われます! 『くまの能力は偽物だ!』と声を上げたのは、今大人気の霊能者カンターくんであります!」


 広場がざわつく。野次馬も企画の内容は知らなかったようで、センセーショナルな口上に戸惑いを隠せない様子だ。


 くまの精霊は人気者であるから、本来ならば、このように貶められるような対象ではないはず……。


 しかし糾弾する側のカンターも、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの新星――段々と『面白いことになってきた』――そんなふうに聴衆の顔つきが変わり始めた。


 くまちゃんだけが事態についていけないでいる。くっきりと眉間に皴を寄せ、カンターに食ってかかる。


「おい、霊能力対決なんて聞いてねぇぞ」


「なんだ、負けるのが怖いの?」


「ふざけんな! 俺の能力のおこぼれをもらっている分際で」


「ネックレスを見ただけで分かるなんて、さすがだね……でも」


 カンターが小馬鹿にしたように隣席を流し見て笑う。


「しょせんはくま風情だよ――社会の底辺で揉まれてきた私に勝てるかな?」


 カンターは優雅に右手を上げ、指をスナップした。パチン――それは芝居がかった仕草だった。


 それが合図だったのだろう、噴水から水が噴き出し始める。くまちゃんは背後から突然響いて来た水音に気づき、肩を震わせた。


「おや、どうかしたのかな? くまくん」


「おい……水を止めてくれ」


「まさか震えているの?」


「そ、そんなことはないが……」


「変なのー、湖の畔には行けるのにね? さすがに顔より上まで水が来るのは、キツイかな?」


 噴水は席からかなり近く、水しぶきが背中にかかるほどだ。


「う、うるさい! 怖くなんかない!」


 くまちゃんは意地を張り、歯を食いしばった。


 ――それからのくまちゃんは散々だった。


 裏返したカードの図柄を当てる対決では外しまくった。カンターが百発百中で当てる中、くまちゃんはひとつも図柄を予想することができなかった。


 そして観客の中から選ばれた女性の、亡き祖母の名前を当てるクイズにも敗れた。


 カンターのほうは見事な手際だった。ショーというものを心得ていた。


 亡き祖母の生前の口癖を真似てみせ、孫娘への感動のメッセージを告げて、場を沸かせた。


 くまちゃんのほうは対照的に、終始しどろもどろで自信がなさそうだった。


 そんな本調子ではないくまちゃんを完膚なきまでにやっつけたあと、カンターが聴衆に向かって語りかける。


「皆さん聞いてください――確かにこのくまは人の言葉を話すことができます。けれど、ただそれだけのインチキぐまなのです。この喋るくまを発見したのは、とある高名な侯爵夫人でした。その侯爵夫人は『くまに選ばれた奇跡の聖女』こと、セレステ・ホプキンス嬢に、縁談を仲介した人物でもあります。侯爵夫人は莫大な資産を使い、霊視を希望する顧客の個人情報を集めて、このくまに流していました。よってこれまでくまが起こしてきた奇跡の数々は、高名な侯爵夫人が仕組んだ、ペテンだったというわけです! 本日私は自らの能力をもって、その嘘を暴きました! 私の生まれは貴族ではない――皆さんと同じ庶民です。けれど能力は嘘をつかない! 私は誓う――この特別な力を、人々を救うためだけに使っていくと! 嘘はもうたくさんです! 私はペテンを許さない!」


 カンターが力強く拳を突き上げると、群衆が沸く。


「なんだこの茶番は……」


 見物していたエリシャは眉根を寄せた。


 もちろんエリシャはカンターの演説が大嘘であることを知っている。高名な侯爵夫人が金にものをいわせて個人情報を集めただと? 馬鹿なことを。


 ここ最近のくまの振舞いには思うところがあるが、こんなでたらめを放置するわけにはいかない。


 ところがエリシャが前に出ようとしたところで、メティ神父が腕を引き、これを制した。


「まぁ待って」


「離せ」


「あなたはくまの本性について、疑問を抱いていたのではありませんか?」


「なぜそれを」


 エリシャはメティ神父を睨み据えた。この一連の流れ、すべてが気に入らない。


 しかしメティ神父は向けられた怒りを柳のようにやんわり受け流す。


「あなたは実直な方だ。もしもくまを信頼しているなら、先ほどあれが噴水に怯えを見せた時、すぐに助けに入ったはずだ。そのくらい水飛沫を浴びたくまは弱々しく、不意を突かれて狼狽していましたからね――しかしあなたはそんなくまに対して疑るような視線を向け、観察を続けましたね。まるでくまの弱点を探ろうとしているかのように」


 エリシャは言葉もなかった。メティの指摘は見事に的を射ていたからだ――くまが狼狽するのを見て、好機だと考えてしまったのは事実だ。まさか噴水が稼働しただけのことで、あれほどボロボロに崩れるとは思ってもみなかったのだが……。


 メティが続ける。


「私はあなたの味方ではありませんが、敵でもありません。セレステがそばにいると、あなたはくまに対して思い切った手を打てなかったのでしょう? もう少し様子を見てみることを、おすすめします」


「もう少し様子を見るとはなんだ。もう対決は終わっただろう」


「ショーはこれで終わりです。ですが私はまだくまに用がある」


「それに協力しろと?」


「積極的にくまを拷問しろとは言っていませんよ。ただ『少し様子を見ては』と提案している」


「それを聞くと思うのか、私が」


「あなただって気づいているはず――あのくまは普通じゃない。良い精霊はあんなふうに計算高くない。考えてみてください――古今東西、ロクなことにならないと分かっていて、悪魔と取引する人間が多いのはなぜだと思います? 悪魔というのはね、魅力的なんです。愉快で、気さくで、するりと懐に入り込んで来る。あのくまは悪魔のたぐいですよ」


 エリシャには精霊のことはよく分からない。しかしメティの言葉は、このところエリシャがずっと悩まされていた懸念を言い当てていた。


 群衆がくまに向かって石を投げ始めた。


「この嘘つきくまめ!」


「喋る化けもの!」


「カンター様に謝れ!」


「金の亡者!」


 この流れにエリシャは思わず眉を顰めた。


 これがもしも人間同士の対決だったなら、負けた側に石を投げるような残酷極まりない行為もありえるだろう。野蛮な行いとはいえ、それが人の世の常でもあるから。


 しかし見た目が可愛らしいあの子ぐまに向かって、少し前まで『なんて可愛い』と誉めそやしていたくせに、すぐに攻撃に転じられる残虐性が理解できなかった。


 ……仕込みではないか?


 声高にくまを責め立てている者が特定の数名に限られることに、エリシャは気づいた。


 メティが密やかに笑う。


「そうです――あれはカンターが雇った者たちです」


「卑怯なことをする」


「くまは力のある精霊ですからね。あのくらいのことをしないと、本性を暴けない」


 ふと気づけばくまの近くに屈強な男が詰め寄っていた。男のひとりがくまの首根っこを掴むようにして、どこかへ運んで行く。


「さぁ、参りましょう……ここからが本番ですよ」


 メティが促す。


 円形広場には主役のカンターだけが残り、聴衆に向かって深々とお辞儀をした。


 それはあまりにも芝居がかった仕草だった。


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