第18話 クマちゃんVSエリシャ――仁義なき戦い――


 ――鶴の一声ならぬ、くまの一声。


 見た目は可愛らしいくまちゃんが行った恫喝めいた要求の数々は、七番街にある教会経由で中枢部へと伝えられ、可及的速やかに叶えられることとなった。


 その日の夕刻。


 来客があり、扉を開けるとそこには、エリシャ・アディンセル伯爵が佇んでいた。


 こうして会うのは、先日の衝撃的な対面――セレステが仮病を使って面会を避け続けたあと、自邸を訪ねて来た彼に乗馬姿を見られてしまい、セレステが大慌てしたという、あの気まずい一件以来のことだ。


「――セレステ」


 低く艶のある声で名前を呼ばれ、セレステの背筋が伸びる。


「たった今から、私が君の護衛につくことになった」


「どうして……私、断ったのに」


 狼狽しながら思わず呟きを漏らすと、エリシャがすっと瞳を細める。


「断ったとは、どういうことだ。君には護衛が必要だ」


「ですけど、護衛役はアディンセル伯爵でなくても」


「私が最適だと思うが、不満か?」


「ええと、その、でもほかに」


 心臓がドキドキしてくる。浮き立つほうのドキドキではなく、怒られるんじゃないかのヒヤヒヤドキドキのほうである。セレステは慌てると余計なことを口走ってしまうという悪癖があった。


「ほかにもっと怖くなくて、私に親切にしてくれるような人が……」


 それを聞いたエリシャが気分を害したのが分かった。彼はセレステとの距離を縮め、彼女の腰のあたりに手を置いて囁きを落とす。


「婚約者以外の男から親切にしてもらうつもりか?」


「だけどあなたは婚約者といっても、私のことが嫌いですし、どう考えても――」


「嫌っていない」


 彼は嘘つきだ……嫌っているくせに。これっぽっちも好きになれないって言っていたくせに。


 セレステは眉を顰め、彼を責めるように見上げてしまう。


「おーい……玄関前で何を揉めているんだよ?」


 呑気な声が割って入った。振り返ると、くまちゃんが鼻の頭を真っ赤に汚して、トテトテと二本足で歩いて来るのが見えた。右手の親指のあたりを、左手で引っ張りながら、


「セレステー、早く戻ってラザーニャを作ってくれよー」


「それはいいけれど……あなた、鼻の頭どうしたの?」


「へへ、ミートソースを鼻の上に塗っておくと、ずっと良い匂いが続くって気づいたんだ」


 くんくん、と鼻を上に向けながら、得意気にそんなことを言うくまちゃん。


 ちなみにラザニアの材料は、昼間くまちゃんがメティ神父に交渉(恐喝?)した結果、すぐに当家に届けられた。


 いいのかなこれ……とは思ったものの、セレステがまごまごしているあいだに話はどんどん進んでしまい、どうにもならなかったのだ。そして材料が届いてしまえば、使わなければ捨てることになってしまうので、くまちゃんのリクエストどおりにラザニアを作っているところだ。


「そんなことをしたら、あとで鼻の頭がカピカピになっちゃうよ」


「えー? ならんし」


「いや、なるって」


「ならんし」


 くまちゃんは鼻の下をペロペロしながら進んで来て、アディンセル伯爵を見上げた。アディンセル伯爵のほうも眉を顰めて、足元の異様な存在を眺めおろしている。


 互いの視線が絡み、バチリと火花が散ったようだった――というよりも、くまちゃんが一方的にキレた。


「おい、お前ー、エリシャ・アディンセルだなぁ、おいー! てめぇ、待っていたぞ、こらー! お前を護衛騎士に指名したのは、この俺だー‼」


「お前か、人語を喋るちんけなくまとやらは」


「ちんけなくまだと、こん畜生! てめー、すかしたツラしやがってよぉ! よくもうちの大事なセレステを、ブス呼ばわりしてくれたなぁ!」


 いきなり全速前進でかまし始めたので、かたわらで見ていたセレステは卒倒しそうになった。


「何を言っているんだ。俺は彼女をブス呼ばわりしたことはない」


 いや、あるでしょ……気が遠くなりかけたセレステであるが、心の中で突っ込むことは忘れない。


 ブスとまでははっきり言っていなかったけれど、そうとしか解釈できない愚痴を友達相手にこぼしていたじゃないの。


 くまちゃんはくまちゃんで、活火山のように燃えたぎっている。


 鼻の頭がミートソースまみれなのに、真剣に喧嘩を吹っかけるくまちゃん――なんだかキュンとくる。


「とぼける気か、コノヤロー!」


「とぼけてはいない。そもそもの話、彼女はブスではない」


「そうだ、セレステはブスじゃない! 俺は風のように漂っていた時に、王都中のいい女を見てきたぞ。その俺が断言する――セレステは決してブスじゃないと! セレステはなぁ、言ってみれば『中の上』な女だ‼」


 ――中の上! セレステはホロリとした。


 込み上げてくるものを抑えるように口元に手を当てていると、エリシャがなんともいえない顔でセレステの瞳を覗き込んでくる。


「……セレステ、泣くな」


「いえ、なんかほろっときて……嬉しい」


「嬉しいのか?」


 なぜか驚愕するエリシャ。


「そりゃ嬉しいですけど」


「なんでだ。『中の上』呼ばわりだぞ」


「『中の上』は私にとって『可愛い』と同じです。嬉しい」


 セレステが喜んでいるので、くまちゃんは満更でもなさそうな顔をしている。


 一方、それを見せつけられたエリシャの苛立ちは増すばかりだ。訳も分からず未確認生命体に喧嘩を吹っかけられ、肝心のセレステはずっとよそよそしい。以前の自分の態度に原因があるのは分かっているのだが、これじゃ誤解を解くことすら難しい。


「セレステ、ふたりきりで話がしたい」


「……え。嫌です」


「君は次の面会時は、煮るなり焼くなり好きにしろと言ったぞ」


「今夜は無理です。いきなりは無理」


 夜に、この人と込み入ったことを喋りたくない。婚約のことで何か嫌なことを言われたら、眠れなくなる。


 眉尻を下げて気弱な顔でエリシャを見上げると、彼は荒ぶる感情を持て余しているかのように、眉を顰めてこちらを見つめてきた。じれったさや弱さのようなものが彼の青い瞳に滲んでいるようで、セレステは自分が悪いことをしているような気持ちになってきた。


「あの……ごめんなさい」


「いや、君は悪くない」


「でも」


 ふたりのやり取りは、第三者から見ると、甘酸っぱい以外の何ものでもなかった。本人たちが必死であればあるほど、端からみると「はいはい、あとはふたりでやってね」と言いたくなるものである。


「あのー、エリシャのほかに俺もいるんだけど、そろそろ自己紹介してもいいかな?」


 エリシャの後ろに控えていた騎士が『そろそろいい加減にしてくれ』とばかりに割り込んできた。


 セレステが視線を向けると、茶髪の青年が面白そうに身を乗り出し、


「――俺はエリシャの友人でリッターといいます。よろしくね、セレステちゃん」


 とくだけた調子で挨拶してきた。話し言葉は軽いが、見た目はその逆で、武骨で野性味溢れる青年である。


 ……あ! 彼に見覚えがあるセレステは、思わず口が開いてしまった。


 ボンディ侯爵夫人と馬車に乗り、エリシャの顔を初めて見たあの日――公園でエリシャと親しげに話していたのが、この人だった。それに感謝祭のあと、エリシャが婚約者(セレステ)の容姿や性格の悪さを愚痴っていた相手も、たぶんこの人だったと思う。


「あれ? 俺のこと知っている?」


「以前、お見かけしたことがあります」


「そう? あれ? なんかこれ、恋が始まる的な感じじゃない?」


「そんなわけあるか」


 エリシャがリッターを睨む。


「ていうか聞いていたのと全然違う。セレステちゃん、普通に可愛いよね。性格も素直そう……何気に胸もでかいし」


 リッターが無遠慮にセレステの胸を凝視したせいで、エリシャが「斬り捨てる」と呟き剣柄に手をかけ、玄関口がさらにカオスと化した。


 なかなかラザニアにありつけないくまちゃんが、今世紀最大といっても過言ではないほどのヒステリーを起こしかけ、えらいことになりそうだったので、セレステの父が仲裁のため奥から駆けつけて来て……ともう、しっちゃかめっちゃかの顔合わせになったのだった。


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