第17話 メティ神父とクマちゃん


 メティ神父は初め、真面目な顔を崩すまいと努力していた。しかし、ものの数分ですぐに半笑いになった。


 こんな人だったっけ……セレステは遠い目になる。以前はもっとずっと取っつきにくい人だと思っていたんだけど。


 ――では今現在は取っつきやすいのか? と尋ねられれば、答えははっきり「NO」である。人間性は極めて冷酷そうだし、気難しそう……その印象は変わっていない。


 ただひとつ問題なのは、最近この人が意地悪な感じを押し出して、グイグイくる点だ。セレステとしては正直、メティ神父とは挨拶を交わす以外の交流は持たないままで暮らしていきたかった。この人と話していると、目の前で大蛇にとぐろを巻かれているようなおそろしい心地になる。


 それなのに、なんでこんなことに……。


 セレステは教会内の東区画にある、来客用の堅苦しい小部屋に通されていた。斜向かいのソファに腰かけたメティ神父は、瞳を細めて物珍しげにくまちゃんを眺めている。


「喋るし、コミュニケーションも可能……面白い」


 見せもんじゃねーぞ、コラ――とかなんとか悪態をつきそうだと心配していたのだが、くまちゃんは今のところ良い子にしている。セレステの襟巻に徹して、静かにしていた。


「感触は? 普通のくま?」


「不思議な感じです。毛のモコモコした感じはあるのですが、重量があまりないというか」


「逆にいうと、少しはある?」


「ええ。林檎ひとつ分くらい? もしくは、もっと軽いかもしれません」


「重さはないけれど、感触があるから、重量が少しあるように脳が錯覚してしまうのかな」


 メティ神父は考え方が理系な気がした。脳の錯覚について考えてみたけれど、セレステにはよく分からなかった。


「くまの体を押すとどんな感じ? 中身は詰まっている?」


 そのうちに実験と称して、ハサミで切り刻んだりしないでしょうね……不穏に感じたものの、セレステは問われた内容について正直に答えた。


「中身は詰まっている感じがします。なんていうか、毛皮の内側には、きめ細かい砂が入っているみたいな。サラサラしていて、とりとめない感じです」


「食事は?」


「普通に、人間のものを」


 朝、くまちゃんはブーたれながら卵焼きを平らげ、スープを平らげ、パンを千切ろうとしてあまりの硬さに力が入りすぎて、椅子から転げ落ちていた。


 とはいえモコモコお手々でスプーンを握り込み、見事に使いこなす器用さには感心させられたものだ。


「……霊体なのに、ものを食べる」


 メティ神父はかなり驚いたようだ。


 すると、これまでだんまりを決め込んでいたくまちゃんが、いつになくキリッとした男前な(?)表情をこしらえて、メティ神父を見返した。


「うんこをするかどうかは尋ねるんじゃないぞ。俺にも教えてやれることと、やれないことがあるからな」


 こんな所で汚い単語を言ってはいけません……セレステはいたたまれない気持ちになった。


 なぜかメティ神父が、セレステのほうを責めるような目で見てくる。


 そんな、くま公の躾くらいちゃんとしておけ、みたいな目で見られても……別にこちらは飼い主ではないので。


「あなたにはセレステさんしか触れられないのですかね」


「そんなことないぜ」


「では、私が触れても?」


「いいよ」


 意外と気さくにOKしたくまちゃんが、セレステの肩の上で立ち上がり、両手をメティ神父のほうへ突き出す。メティ神父がセレステのかたわらに立ち、くまちゃんの脇の下に手を入れてひょいと持ち上げた。抱っこされたくまちゃんは胴体が縦に伸びてだるーんとなった。


「本当だ、感触はセレステさんがおっしゃったとおりですね。重量も微かにあるように……感じます。くまの見た目なのに、触れると不思議な感触で……なんだか気持ちが悪い」


 気持ちが悪いって、はっきり言っちゃったよこの人。


 しかしそれでもセレステは、メティ神父がくまちゃんを抱っこしている構図に、思いがけず感動を覚えていた。


 すごいわ、『人でなし』が『人でないもの』を抱っこしている! なんてファンタジーな構図なのかしら!


 などと考えていたらば、悪口を察知する第六感でも備えているのか、メティ神父が殺し屋のような目つきでこちらを見おろしてきた。


「……ろくでもないことを考えていると、私には分かるんですよ」


「な、なんのことでしょう」


「とぼけられると、いじめたくなりますね」


 怖すぎるので、すっと視線を逸らす――秘儀、『聞こえないふり』である。


 その後メティ神父はくまちゃんをテーブルの上に下ろしたり、クッションの上に座らせたりして、何かの確認をしているようだった。


「精霊といえど、ものは透過しない……いや、しかし……もしかして自らの意志で、物体をすり抜けることは可能ですか?」


 ひとりごとから始まり、途中からはくまちゃんに問いかける形になっている。


 くまちゃんはクッションから滑り落ちそうになりながら、ベストポジションを探って尻を左右に振っていたのだが、メティ神父の質問には答えてあげた。


「まぁやろうと思えば可能だな。なんせ俺は以前、風のような存在だったから。透明で、空に浮かんでいた時期がある」


「どのくらい?」


「何年か。俺は好奇心が旺盛だからさ――風に吹かれるまま、あっちこっちの貴族の邸宅に忍び込んで、色々見て回った。社会勉強ってやつだな」


「さようですか」


「なぁ、意味わかるよな――俺は救貧院の北区画に行ったこともあるんだぜ」


 くまちゃんはクッションの上でやっとくつろげる態勢を見つけたようだ。横向きに寝そべりながら、頬杖を突いてメティ神父を意地悪く見上げる。


 対し、メティ神父は無言だった。難しい顔でくまちゃんを見おろしている。


「さて、無駄話はこのくらいにして、そろそろ本題に入ろうじゃないか。なぁ神父様よぉ」


 くまちゃんがぽっこりお腹を手でかきながら、にやりと笑った……ようにセレステには見えた。


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