第16話 俺たちはチーム
マーサが朝食を作り、給仕してくれた。
普段はセレステが料理を担当して、給仕はマーサがする。なぜいつもはマーサに料理をさせないかというと、彼女は料理が超絶下手なのである。
マーサのやり方は基本、『無味で焼く』か『無味で煮る』かの二択。
たまに奇跡が起きて塩胡椒をしてくれることもあるが、それは三年に一度あるかないかの、滅多に起きない奇跡だった。
こういう人に過度な期待は禁物である。そもそも食にある程度の関心があれば、材料をNO調味で焼き、そのまま出そうとはしはない。そしてその味のないものを本人はなんとも思わずに食べているわけだから、味覚自体がもう大雑把なわけである。これでは上達のしようもない。
しかし少ない給金であれこれ雑事をこなしてくれるので、料理のセンスがないからといって、彼女がメイドとして劣るかといえば、それはまったくの別問題なのである。彼女はそこそこ雑なレベルで、溜め込まずにさっくりまんべんなく家事をこなしていくことにかけては、国内では右に出る者がいないというくらいの優れた才能を持っていた。
何しろ当家は貧乏貴族――こんな家にいてくれるだけでもありがたい。
とまぁそんな訳で、普段はセレステが料理を担当するのだけれど、二日酔いの今日ばかりはどうしてもできそうにない。だって平地にいるはずであるのに、船に揺られているみたいに、ゆらり、ゆらり、景色が揺れて見えるのだから。
――マーサが卵焼きの皿をくまちゃんの前に置く。
マーサ作なので、正真正銘の『卵味』だろう。足し算も引き算もない、ありのままの卵味。マーサの手料理は、食べた者を無言、無表情にさせるという、神秘の力を秘めている。
そしてトマトと玉ねぎとキャベツの入ったスープも給仕される。こちらは昨日セレステが多めに作ったものの余りなので、味はマシなはずだ。
それからテーブルの中央にはカゴが置かれていて、中には硬くて旨味のないパンが入っている。とにかくこれで腹を満たす。硬いが『岩ほどじゃない』と脳に刷り込めば、不思議と喉は通る。ちなみにこのカチカチパンをスープに浸すことはおすすめしない。水分を一瞬で吸い上げてしまい、かつパン自体はさして柔らかくもならないという、呪われしパンだからだ。
くまちゃんは平皿に盛られたちんまりした黄色い卵を見おろし、次いで素早くマーサの丸い顔を見上げた。そしてその不可解な動きを三度ばかり繰り返したので、額を押さえてじっとしていたセレステは仕方なくくまちゃんに尋ねた。
「……どうしたの?」
「こんがり焼いたソーセージとか、ベーコンは?」
「ないけど」
「ないのぉ!?」
くまちゃんは首を絞められたみたいに目を剥いて、ほとんど痙攣しながら食卓に上半身を乗り出している。くまちゃんの口は断末魔を上げるかのようにカッと大きく開き、そのおかげで小っちゃな前歯が見えたので、くまの前歯を初めて見ることとなったセレステは、一瞬頭痛も忘れてそれに見入ってしまった。
……虫歯はなさそうね。
まぁ赤ちゃんくまだから、それはそうか。赤ちゃんくまなのに歯槽膿漏だらけとかだったら、なんだか切なすぎるものね。セレステがつらつらとそんなことを考えていると、くまちゃんは悔しそうにグーでテーブルを叩いた。
「そりゃないぜー、卵だけかよー」
「スープもあるでしょ」
「こんなもん野菜クズじゃないか! 俺はもっとうまいもんが食いたいんだよ!」
なんて我儘なくまちゃんなのかしら! セレステはびっくりした。
「そんなことを言っても、我が家は貧乏なのよ」
「セレステ、約束しただろう? いつラザーニャを食わしてくれるんだよ?」
ラザーニャ……くまちゃんの台詞で、セレステの記憶が刺激される。そういえば、昨夜、夢枕で「ラザーニャを作れ」とかなんとか言われたような……?
「作ってあげたいのはやまやまだけれど、材料を手に入れるのがちょっと厳しいっていうか」
「あれって無駄にコッテリしているだけで、材料自体はそんな高いもん入ってないだろ?」
くまちゃんの分際で意外と賢いことを言う。正論で人を追い詰めるという、夫にすると厄介なタイプである。
「あのねぇくまちゃん――わりと普通の材料すら買うのもしんどいくらいの貧乏だから、朝の食卓がこんな感じなのよ。ちなみに昼と夜もこんな感じだから。むしろ卵があるだけ、朝のほうが豪華だから」
「おい、どうなってんだ!」
「どうもこうもないのよ。貧乏っていずれ慣れる」
セレステが穏やかに諭すと、くまちゃんは眉間に浅い皴を何本も寄せ、邪悪な顔つきで歯を食いしばる。
「ぐぅうううううう! 俺は朝から山ほどソーセージが食いたいんだぁ! 粒マスタードをたっぷりかけたぁ、ジュースィーなソーセージが食べたいんだぁ‼」
肉食猛獣くまちゃんの魂の叫びが、朝の食卓に響き渡る。
セレステは思わず半目になった。
おい……ラザーニャはどうした。
あんな手のかかるものをリクエストしておいて、つまるところあなた、焼いただけのソーセージが一番好きなんじゃないの。
「……素朴な疑問なんだが」
これまで傍観を決め込んでいた父が遠慮がちに口を開いたので、セレステはそちらを振り返った。父は人の良さそうな顔に困惑を浮かべながら、くまちゃんを眺めて言葉を続ける。
「君はその……人語を喋るわ直立二足で歩くわで、位の高い精霊のように思われるのだが……肉でもなんでも食べるわけだね?」
食卓に奇妙な沈黙が落ちた。
* * *
――その日の午後。
セレステはくまちゃんを首の後ろに乗っけて、七番街にある教会にやって来た。
「気が進まないなぁ」
つい弱気な発言が出てしまうセレステの頭を、くまちゃんが肉球でペシペシ叩く。やはりデフォルトで少し爪が出ているので、額にカシカシ当たって絶妙に痛い。
「いいから行くぞ、セレステ」
「やっぱりやめない?」
「俺たちはチームだろ。力を合わせて勝利を目指すのだ」
「あなた無茶しない?」
「するわけないだろ。俺はいつだって安全運転だ」
安全運転って、くまちゃんなんだから、馬車の操縦すらしたことないでしょうに。
くまちゃんはこんなに可愛いなりをして、態度は一丁前なのだ。セレステは少々恨めしく思うものの、結局くまちゃんの押しの強さには逆らえず、つい流されてしまう。
「お前がチームの足、そして俺がチームの頭脳だ」
それはあんまりだとセレステは思った。朝から『ソーセージ食わせろ!』と泣き喚いたBABYが、チームの頭脳だなんて。チームのトップのくせに、煩悩強すぎでしょ。
「さぁGO! GO!」
ラッパでも吹き鳴らしそうな勢いだし、モコモコ足を顔の横でバタバタ動かすので、担いでいるほうからするとどうにもたまらず、セレステは渋々足を進めることにした。
通りすがりの人が、ぎょっとした目でこちらを見て行く。
……ええいもう、見るなら見るがいいわ。通行人の好奇の視線など、この際どうということもない。
どうせこの中に入ったら、とてつもなく性質の悪い人に視姦するように眺め回されて、持って回ったような嫌味でいたぶられるに違いないのだから。
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