第14話 煮るなり焼くなり好きにして


 自邸に戻って来て馬を下りようとしたところで、泡を食ったメイドのマーサが駆けつけて来た。


 ……何を慌てているのかしらと訝しく思う。いつもはもっと肝が据わっているのに。


 当家は使用人が極端に少ないので、ベテランのマーサは大抵のことをこなしてくれるありがたい存在である。


 ざっくりとあれこれ、それなりのレベルでこなしてくれるだけで、セレステは大変感謝しているのだった。万能な人間なんてこの世に存在しないと心得ているから、余計に。


「お、お嬢様、大変でございます! あ、あ、あー……なんとか伯爵様が!」


「あ、あ、あー……なんとか伯爵様?」


 誰だろう。そんな愉快な名前の伯爵がいたかしら。しかもわざわざ当家を訪れるなんて。


「お嬢様、とにかく急ぎ、仮病のふりをしましょう」


「仮病のふりって、言葉がおかしくない?」


 病気のふりなら分かるけれど。


 セレステは自分がアディンセル伯爵に宛てた手紙の内容――仮病設定をすっかり忘れていた。だからマーサの言うことに揚げ足を取るような真似ができたのだ。


 呑気に「ふふ」と、マーサに向かって微笑みかける。


「もう、ちょっと、お嬢様! 早く馬を下りて!」


「はいはい、分かりましたよ」


 なんていう呑気なやり取りをしていたら、庭のほうから長身の青年が姿を現したので、セレステはぎょっとしてそちらに視線を向けた。


 は――な、なぜ、エリシャ・アディンセル伯爵がここに!? セレステは馬上でピキリと固まった。驚天動地のパニック!


 彼が歩み寄って来たのを見て、ほとんど脊髄反射で馬からひらりと下りる。


 セレステの身のこなしがあまりに俊敏だったため、エリシャは呆気に取られたようだった。かなり近い距離まで詰めたあと、こちらをじっと見おろしてくる。


 金の髪に日の光が反射して、キラキラ、キラキラと輝いていた。彼の理知的な青い瞳が、今はしっかりとセレステを見つめている。


 ……どうでもいいが、異様に距離が近い。


 以前の自分だったら有頂天になっていたに違いないわ……セレステはこっそりとそう考えていた。視線が絡んだだけで運命的な繋がりを感じて、夢見心地になっていたはずだ。


 けれど以前の無邪気だった自分はもういない。今のセレステは現実を知っている――彼はこんなにも澄んだ瞳で、セレステのことを眺めて、『何ひとつ魅力がない』と考えているのだ。だから浮かれはしない。浮かれられても、彼も迷惑だろうし。


「……君がセレステ?」


 問いかけられて、セレステは困惑する。え……先日、会っているよね?


「ええと、はい。あの、先日、感謝祭で……」


 実はその前にも救貧院で会ってはいるのだが、一度目の時は名乗っていないので、エリシャは覚えていないだろう。セレステは印象に残りやすい鮮烈な美人ではないし、あの時だって彼は、ほとんどクローデットしか見ていなかったのだから。


「しかし感謝祭での君はまるで違っただろう。老婆のような格好をしていた。顔だって、もっと偏屈そうに見えたし、所々くすんでいたはず。それに今よりふた回り以上は大きく見えたのだが」


 ああ、と合点がいった――そういえば彼は「救貧院で仮装をしようだなんて」と、大層おかんむりだったっけ。


 あの時はお姫様の仮装をやめたという流れだったが、これで魔法使いの仮装をしていたことがバレてしまったことになる。あとでまたなんだかんだと追加で嫌われても困るので、正直に悪事を白状しておくことにした。どうせ軽蔑されるなら早いほうがよい。


「救貧院の子――先日一緒にいたアンという子から、『三番目の姫と醜い魔法使い』の仮装をしてほしいと頼まれていたのです。アンはどうやらお姫様のほうをリクエストしていたようですが、私が勘違いして、魔法使いのほうを選んでしまいまして。メイクやら何やら、物語の挿絵に寄せるように頑張ったのですが、どちらにせよ魔法使いのほうはアンの希望と違ったので、無駄な努力でした」


「そうだったのか……」


「私――あの私――」


 ぐっとこぶしを握る。緊張で頬が赤らむのが分かった。慌てていたし、これらの態度すべてがみっともないはずなのに、意外にも彼は優しい瞳でセレステの言葉を待ってくれる。


 それで少しだけ勇気づけられて、続きを口にすることができた。


「私、色々と世間知らずでした。救貧院で仮装する意味を深く考えもせず、馬鹿でした。それに今回の婚約のことも、ボンディ侯爵夫人に縁談を勧められて――私は一生結婚できないと思っていたので、浮かれてしまっていたのです。身のほど知らずでした。恥ずかしいです。本当にごめんなさい。それに」


 ぐっと熱いものが喉に込み上げてきて、慌てて口を閉じる。


 ……危ない、泣いてしまうところだった。


 アディンセル伯爵からしたら、嫌っている醜い女に目の前で泣かれたりしたら、ドン引きよね。


 落ち着こうとして俯く……余計に恥ずかしくなってきた。耳がかぁっと熱を持っている。


 立て直しにはかなりの時間を要した。不思議なことに、エリシャは早くしろと腹を立てたり、無理に先を促したりはしなかった。


 たっぷり時間を置いてから、ひとつ深呼吸をして、セレステは顔を上げた。


「言い訳に聞こえるでしょうけれど、クローデットさんのことも転ばせるつもりはなくて。本当にごめんなさい。アディンセル伯爵はクローデットさんを大切にしていらっしゃるから、とても嫌な気持ちになったと思います」


「クローデットの怪我はたいしたことなかった。わざとではなかったのなら、まったく問題ない。むしろ私の態度のほうが良くなかった。一方的で、君に対して攻撃的だったと思う。申し訳なかった」


「いえ、そんな……そんな」


 涙が一粒ポロリとこぼれ落ちた。セレステは慌ててハンチング帽をぐいと引き下げて、手の甲で頬を拭った。


 ……泣いたのがバレていないといいけれど。


「あの、私、お水を……その、ちょっと、いただいてきてもよろしいでしょうか?」


「ああ」


 セレステはその場にエリシャを残し、顔を伏せたままテラスのほうへ向かった。動揺していて、体裁を取り繕うのも難しかった。


 ハラハラして様子を窺っていたメイドのマーサが、慌ててレモン水の入ったコップを差し出してくる。


「お、お嬢様、大丈夫ですか?」


「分かんない」ぐすぐすと鼻をすする。「だめかも」


「しっかりなさってください」


「……アディンセル伯爵、こちらを見ている?」


 尋ねられたマーサはチラリとセレステの背後を窺い、ビクリとして視線を戻した。


「え、ええ、じっと見ていらっしゃいますよ」


「そういえば私、病気設定だった。面会を断っておいて、なんで乗馬していたんだ? と思っているよね」


「思っているでしょうね」


「怒っている感じ?」


「分かりません……なんだかものすごく凝視していますが」


「絶対、怒ってるぅ」


 セレステは眉尻を下げ、マーサに縋るような視線を向けた。


「泣くくらいなら、どうして嘘をついたんですか」


「だってぇ」


「ほらしっかりなさってください。伯爵を言いくるめて、帰さないと」


 無理だとセレステは思った。早く帰ってほしいのはやまやまだが、今の自分にはあそこまで引き返すガッツは残っていない。コップを両手で挟み、絶望を覚えた。


 ――頼みの父は屋敷から出て来る気配もない。そもそも自分のまいた種だ。セレステはがくりと肩を落とし、トボトボとエリシャのもとまで引き返していった。気分は絞首台に上がる罪人のそれだった。


「あの、アディンセル伯爵、あの……仮病の件、誠にすみません」


 仮病と認めたことが可笑しかったのか、エリシャが微かに笑った気配がした。


 これは怒りすぎて笑えてくるという現象かもしれないわ……セレステは気が遠くなってきた。


「今日は私的にもう限界です。緊張しすぎて、その、すみません」


「私はもう少し話したい」


「無理です。私、無理でふ」


 無理すぎて噛んだ。ハンチング帽を両手でぎゅーっと押さえて足をもじもじさせる。


 こ、殺してくれー! もう無理! いっそ殺してくれ!


「セレステ――」


「無理です。すみません。もう限界」


「落ち着け、大丈夫だから」


「大丈夫じゃないです」


 恥も外聞もない。セレステは思わず、がしっとエリシャに縋りついていた。彼は空色の瞳を見開き、ドン引きしているようだったが、知ったことかと思った。


 無理なものは無理だ。無理なものは無理なのだ……‼


 セレステは夕日のように頬を赤く燃やし、べそべそと涙をこぼしながら、体裁をかなぐり捨てて許しを乞うた。


「次の面会日に、煮るなり焼くなり好きにしてください! でも今日は見逃してください! 後生ですから! お願いします、お願いです!」


「セレステ、分かった」


「よ、よかった! お心遣い感謝します、伯爵――ではごきげんよう。これにて失礼いたします」


 セレステは捨て台詞を残して、サッと身を翻した。玄関まで行くのも無理で、目の前のテラスに飛び込む。


 去り行く彼女のお尻は程良く肉がつき、重力に逆らうように見事にきゅっと上がって、滑らかな曲線を描いていた。ドレスだと分かりようもないが、今はボディラインを強調するようなズボンを穿いている。


 しかし当の本人は、自分の姿形には無頓着だった。


 言いたいことだけ言うと、後ろは一切振り返らない。


 ……ああ、怖かったぁ!


 そのままダッシュで自室に戻り、ベッドにダイブして、セレステはやっとひと心地つくことができたのだった。


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