第12話 彼はうんざりしている


 それからの数日は鬱々としたまま過ごした。


 ボンディ侯爵夫人は知り合いの夫人が病気になったとかで、遠方に見舞いに行っているから、頼りにすることはできない。


 セレステはあの日の出来事をあれこれ思い返しては、苦しい胸のうちを誰にも打ち明けられずに、ああでもないこうでもないと考えるばかりだった。


 クローデットにお詫びの手紙を書いたのだが、返事はない。怒っているのかもしれない。


 ……だけど本当に、セレステとしては、クローデットの体を突き飛ばした記憶がないのだ。むしろ立ち去ろうとしたタイミングで後ろから強引に腕を引かれたので、こちらのほうが転びそうになったくらいで。


 セレステはつい恨みがましいことを考えてしまう――クローデットがもう少し落ち着いて、相手が足を止めるのを確認してから、そっと体に触れてくれればよかったのに。


 たぶんセレステはエリシャに軽蔑されたことがつらくて、自分は悪くなかったと思いたいのだ。


 私ってなんて身勝手なのかしら……セレステは自嘲気味にそう考える。自分を正当化したあとは、また落ち込んでしまう。誰も得をしない、負のループに陥っている。


 ……いつまでも、こんなことをしていてはいけないわ。


 セレステは一大決心をした――そうだ、彼に会おう。もう一度。


 今回の婚約について彼がどう考えているのか分からない。気持ちを訊いてみなければ、前に進めないと思った。


 そこでボンディ侯爵家の執事を頼ることに。夫人は不在なので、その代わりだ。


 執事宛に手紙をしたため、『先日、エリシャ・アディンセル伯爵に失礼なことをしまったので、お詫びしたいのです』とつづった。『どこへ行けばお会いできるでしょうか』――と。


 すぐに返事が来て、『使用人の立場なので中継ぎはできませんが、アディンセル伯爵の予定ならある程度分かります』と前置きがあり、そのあとに日時と場所が書かれていた。


 日時は、今日の午後。


 そして教えてもらった場所は偶然にも、初めて彼の姿を遠目で眺めた例の公園だった。


 幸先がいいかもしれない……セレステは根拠のない希望に縋りながら、公園に行ってみることにした。




   * * *




 馬を気持ちよく走らせるのに便利なため、騎士団に近いこの公園をエリシャはよく利用するようだ。それが日課となっているのならば、先日と同じ場所にいるかもしれない。


 馬車を下りたセレステは広葉樹の下を通り抜けて、外周の乗馬コースに向かった。


 相変わらず植え込みや木々が多く、見通しが悪い。背の高い生垣のそばを進んで行くと、前方に木製のベンチが設置されているのが見えた。


 そこには騎士服を着た男性ふたりが並んで腰かけていた。背中がこちらに向いているので、顔は見えないが――……でも間違いない、彼だ。


 セレステが歩み寄ろうとすると、ふたりの話し声が耳に入ってきた。


 馬車の車輪が石畳を噛む音や、人の話し声など、雑多な物音が断続的にしているので、騎士服姿のふたりは背後にいるセレステの気配には気づいていないようだ。こちらは草の上を歩いていたので、足音が響かなかったせいもあるだろう。


「それで、婚約者殿はどんな感じだったんだ?」


 友人らしき紳士がエリシャにそう尋ねる。


「……思い出したくない」


 エリシャの声は冷ややかだった。


 セレステはドキリと胸が跳ねた。思いがけず、あちらはセレステの話をしていたようだ。


 聞いてはだめだとセレステは思った。盗み聞きなんていけない。すぐに声を出して、ここにいますと主張しなければ。


 でも……。


「そんなに最悪だったのか?」


「彼女には何ひとつ良いところがなかった」


「といったって、さすがに何かひとつくらいはあるだろう? 欠点しかない人間なんていないんだから」


「ところがいたんだよ――見た目には清潔感がなく、人格も卑しい。あれをどうやったら好きになれるというのか」


 まるで光がこの世界から消え失せたかのように感じた。俯き、ドレスのスカートを握り締める。


 ……馬鹿みたい。浮かれて、愛されるんじゃないかと期待して、本当に馬鹿みたいだ。彼はあんなにもうんざりしているのに。


 たった一度しか会っていないのに、彼はセレステに幻滅していた。確かに印象が悪かっただろうという自覚はあったのだが、そこまでとは。


 悲しくなってしまい、その場をそっと離れる。泣きたいような気持であったけれど、どういうわけか涙は出なかった。


 そして時間がたつごとに、どうしようもなく恥ずかしくなってきた。


 やだもう、あんなに嫌われていたなんて……何も魅力がないって。ああ、でも、それはそうか。


 自分はクローデットのように折れそうなほど華奢ではないし、顔立ちもいわゆる美人系ではない。あの日は醜い魔法使いの仮装をしていたけれど、普段どおりだったとしても、あまり変わらなかったんじゃない? だって現にクローデットからは「いつもどおり」だと言われたではないか。他人から見れば、そんなものなのだろう。


 髪を切っただとか、メイクを変えただとか、本人からすると一大事であるかもしれないが、別の人間からするとたいした違いはないというのは、よくあること。


 それに彼の大切なクローデットを傷つけてしまった。自分がもっと貴族令嬢らしく優雅に振舞えていたなら、腕を掴まれてもゆっくり振り返れたはずで、あんなふうに揉みくちゃにはなっていなかっただろう。


 ……嫌われて当然だわ。


 自己嫌悪をし終えると、今度はエリシャのことが気の毒になってきた。


 彼は名家の出で、騎士として立派に責務を果たしている。それでいて彼は最悪の花嫁を迎えようとしているわけだ。


 なんてひどい話……彼のような人は、もっと報われていいはず。


 こんな女と婚約させられたエリシャが、とにかく不憫で仕方なかった。




   * * *




 ボンディ侯爵夫人から手紙が届いた。


 知人宅に滞在する期間が延びたので、しばらく帰れそうにないとのこと。それでふたりが上手くやっているか心配なので、エリシャと定期的に顔合わせをするように、と書かれていた。


 一気に胃が重くなる。サボらないようにというスパルタ的な圧力なのか、ご丁寧に日時まで決められていた――初回は三日後――次はさらに三日後――その次はまた三日後、という具合に。


 三日ごとに会うというのは結構な頻度である。形式だけは愛のある婚約のようで、皮肉なものだと感じた。


 セレステは二日後の午後、アディンセル伯爵宛に手紙をしたためた。


 仮病を使うのが無難だろうと考え、『どうやら体調を崩したようで』というような内容にしてみた。『軽い風邪らしく、ひどくはないのですが、アディンセル伯爵にうつしてしまうと申し訳ないので……』というようなことを、のらりくらりとした貴族特有の文体で書いておいた。


 エリシャと会うのが怖かった。もしもまた、あの冷たい目で見られたら……たぶん耐えられずに泣いてしまうと思う。


 仮病の手紙に対して、エリシャから返事がきた。表向きは紳士的な、お見舞い文章がつづられている。


 よかった……嫌なことが書いてなくて。たったそれだけのことで、ものすごくほっとする。『あなたのような不快な女性に会わずにすんで、せいせいしています』みたいな内容だったら、相当落ち込んでいただろう。だけどよかった。第一関門突破である。


 セレステは楽な解決方法を見つけたので、二回目の面会も同じ方法で回避した。繰り返しのように、エリシャからは同じような見舞いの文言が返された。


 ああ、助かった……もうこのまま延々とこれでいいかもしれない。結婚したあとも極力顔を合わせないようにして、手紙でやり取りする。そうすれば彼はこれ以上セレステを嫌いになりようがないし、セレステは彼の直筆の手紙をゲットできるしで、互いにハッピーなのではないか。


 ――三回目の面会を回避するのも、慣れたものだ。前日に体調不良の旨、手紙を出しておいた。


 当日の朝、手紙の返事が来ていないことに気づいたが、セレステはあまり深く考えなかった。あちらもさすがに仮病だということは気づいているだろうし、もう見え透いた返信はしなくてよいと判断したのかもしれない。あるいはなんらかの理由で手紙の配達が遅れていて、もう少ししたら到着するのかも。


 セレステは馬に乗るため、いつものピッチリしたズボンとベストに着替えた。


 落ち着いたチェック柄は、やはりなかなか素敵に思える。体の線が出てしまうのが難点であるが、これはこれで流行りそうな気がしなくもない。


 セレステはボンディ侯爵夫人からいただいた愛馬にまたがり、湖へ向かった。


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