第11話 嫌われて、みじめで……
衝撃を受けた様子で、エリシャがこちらを凝視している。
セレステは居心地の悪さを覚えた。
彼と会えたら、こんなふうに挨拶をして、こんな話をして――と事前に計画していた想定がすべて頭から吹っ飛び、あとに残ったのはハリボテの残骸のみ。そうなってしまったのはたぶん、彼の冷たい目つきのせいかもしれない。
セレステは急に怖くなった。彼に好かれようだなんて、自分はとんでもない思い違いをしていたのではないかしら。
けれど、そうだ……先日、強く決心したではないか。二度目に会ったら、ちゃんと挨拶するのだと。ただ名乗るだけではなく、婚約者として特別な気持ちを持っているのだと伝えると決めたじゃない。
「私はセレステ・ホプキンスと申します。エリシャ様のお名前はボンディ侯爵夫人から伺っておりました。夫人からは、エリシャ様と親しくするようにと――」
セレステのたどたどしい台詞を、エリシャが遮る。
「ここでボンディ侯爵夫人の名前を出すのは感心しませんね。あなたは大変なやり手のようですが、時と場所を考えるべきではありませんか? 今日は働く人をねぎらうための日です。しかも場所は救貧院ですよ。世界はあなたを中心に回っているわけではない」
ぴしゃりとやり込められ、セレステは心臓を氷で貫かれたような心地になった。
ああ……思わずうめき声が漏れそうになる。確かにここでボンディ侯爵夫人の名前を出したのは軽率だった。どうしてボンディ侯爵夫人から親しくするよう言われただなんて、口にしてしまったのだろう?
たぶんセレステはエリシャに確認したかったのだ……あなたの伯母様が仲介してくれた話だから、こちらもそのつもりでいていいのですよね? と。
けれどそんなのは自分勝手な都合だ。彼が怒るのも当然だわ……セレステはすっかりまごつき、ここに存在していることが恥ずかしくなってきて、かぁっと頬を赤らめた。
「エリシャ、そんな言い方ってないわ」
クローデットが得意の博愛精神を発揮して、仲裁に入る。
「セレステさんはこれでも思い直してくれたのよ。彼女、本当は今日、お姫様の仮装をするはずだったの。だけど救貧院でそんなことをしたら、子供たちが粗末な自分の格好と比べて、『自分と貴族はこんなにも違うんだ』と悲しい思いをするものね。だからお姫様の仮装をやめてくれて、こうしていつもどおりの格好をしてくれて、本当によかった。それだけでも私はありがたいと思えるの」
ちなみに『お姫様の仮装をするはずだった』云々については、アンが同室の子供に喋り、その子供がクローデットに……という具合に伝わってしまったのだが、セレステはもちろん経緯を知らない。
それよりもセレステにはほかに気になることがあった――「仮装をやめてくれて本当によかった」という、先の台詞である。
違うのだ――仮装はやめていない――している。現在進行形で、している。
しかし「いいえ、私は魔女の仮装をしています」と言い出せる雰囲気ではなかった。
……というかそもそもクローデットには、この格好が『いつもどおり』に見えているのだろうか? 本当に?
だとすると、先日散々「可愛い」と褒めてくれたのは、なんだったのか……アンが言うところの「クソばばぁ」なこの格好も、クローデットには可愛らしく見えているということ? それって視力は大丈夫?
アンが小声で、
「おいおい……これが仮装をやめたように見えているのか?」
と呟きを漏らしたのが耳に届いた。ちらりと彼女を見ると、アンはやれやれというようなげんなりした顔をしている。
「あのー」アンが気乗りしない様子で口を挟む。「仮装については、あたしがセレステさんに無理に頼んだだけなので……」
「アンちゃん、大人に気を遣わなくていいのよ。あなたはいつもセレステ様の顔色を窺いすぎだわ」
と眉尻を下げるクローデット。
セレステはこっそりと、『いいえ、この子はもっと大人に気を遣うべきよ』と考えていた。仮装をオーダーしておいて、出来栄えが気に食わないからって、散々文句を言ってきたのよ? 伸び伸び振舞いすぎじゃない?
セレステだからこの程度ですんでいるけれど、ほかの人にやったら大変なことになるからね――生意気を言う子供には鞭をくれてやろう、みたいな貴族もいっぱいいるから。
「……救貧院でお姫様の仮装をしようだなんて、信じられない」
エリシャが嫌悪感を滲ませてそんなことを呟いたので、それを聞いたセレステは今度こそ泣きそうになってしまった。
とにかく恥ずかしい……この仮装をするのに、はしゃいでいたのは事実だ。朝早くから頑張って支度して、アンは喜んでくれるかしら、と年甲斐もなく張り切ってしまった。
だって家族以外の誰かから、何かを強くお願いされるなんて、これまでほとんどなかったことだから。
ずっと孤独だった――……弟がいなくなってから、ずっと。だから役割を期待されて嬉しかった。
救貧院で仮装をする意味を、クローデットみたいに深く考えることができなくて、情けない。それに結局このとおりの有様で、アンもがっかりさせてしまった。これならばいっそ、お姫様の格好をしてきたほうがマシだった。そうしていたなら、エリシャとクローデットに軽蔑されたとしても、少なくともアンにだけは喜んでもらえたのに。
「……セレステ、もう行こう」
アンが強引にセレステの腕を引く。セレステのほうも異存はなかった。とにかくこの場にいるのが苦痛だったし、ここから連れ去ってくれようとしているアンに対し、心から感謝した。
歩き始めると、クローデットの慌てたような声が追いかけてくる。
「あっ、ちょっと待って、セレステ様!」
え……セレステは後方から強く引っ張られ、バランスを崩した。
セレステが肘から提げていたカゴを、クローデットが掴んだらしい。カゴを軸に反転する形になり、体の向きが変わる。
それで撥ねのけたつもりはなかったのだが、どうやらセレステの腕がクローデットの体を押してしまったようだ。
彼女が悲鳴を上げて石床に倒れ伏したのを見て、セレステは血の気が引いた。華奢な女性がクタッと伏せているその姿は痛々しく映った。
クローデットの背後では円形広場の噴水が優美に吹き上げていて、こちらの修羅場とのコントラストがすさまじい。
「ご、ごめんなさい! ああ、やだ、どうしよう」
慌ててクローデットのほうにかがみこもうとすると、エリシャがそれを冷たく制する。
「――近寄るな」
「本当にごめんなさい、突き飛ばすつもりはなかったの」
オロオロと震えながら謝っても、クローデットは泣きそうな顔で唇を噛んでいるし、エリシャにいたってはこちらを見てもくれない。
彼はセレステの言葉を完全に無視していた。セレステは自分が透明人間になったような気分だった。
「……大丈夫か?」
彼が床に跪き、クローデットだけの騎士であるかのように、彼女に問いかける。クローデットは心細そうに彼を見返した。
「どうかセレステさんを責めないであげて……私がドジだったのよ。興奮している彼女に触れようとした、私が悪いの」
「気を遣わなくていい。どこか痛めたところは?」
「足を、ちょっと捻ったかしら。手も痺れているみたい。もう……だめね、私」
クローデットは細い眉を痛々しげに顰めて、左手首を反対の手で押さえている。
エリシャはクローデットの膝裏に片腕を回し、彼女の体を軽々と抱き上げた。
クローデットが羽根のように軽そうに見えるのは、エリシャの身のこなしがあまりに優美なせいだろうか。
彼は傍観を決め込んでいたメティ神父に尋ねた。
「医務室はありますか?」
「ええ……こちらです」
メティ神父がなんともいえない表情で頷き、彼らを案内するため歩き始めた。
セレステはただただみじめな気持ちで、立ち去る彼らをぼんやりと見送っていた。
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