第8話 エリシャさん、可愛すぎません?
「エリシャ、来てくれてありがとう!」
クローデットは瞳をキラキラと輝かせながら嬉しそうに笑った。それは同性のセレステから見ても、素直で可愛らしいと思える笑顔だった。
「アディンセル伯爵――意外なところでお会いしますね」
メティ神父はエリシャに対しては改まった態度を取っている。セレステに対する例のあの『針の先でちょっと突いて泣かせてやろう』というような、いじめっ子モードな部分はおくびにも出さない。
「クローデットに用がありまして」
「仲がよろしいのですね」
「家族のようなものですので」
ところでセレステはこれらのやり取りが交わされているあいだ、ほとんど心ここにあらずでぼんやりしていた。憧れの大天使様がこんなに近くにいるのだ――正気を保てというほうが無理だろう。
こうして彼が話しているところに立ち会ってみると、先日は気づけなかった新しい発見があった。
彼は声も良い――落ち着いていて品がある。
聞き心地が良いのは、発音が綺麗だからだろうか。早口ではないし、のんびりもしていない。言葉の響きの中に、深い知性を感じた。
……もしかすると、彼の内面は驚くほど質素なのかもしれない。
外見はこの上なく華美なのに、中身とのギャップがある。正反対の属性が、内と外とで、ギリギリのバランスを保ちながら綱引きをしているような印象を受けた。
エリシャ・アディンセル伯爵が人を強く惹きつけるのは、この大いなる矛盾が彼の中でなんらかの葛藤を生み、それが正体不明の霧のように彼の周囲に漂うことで、相対した者の心を惑わせるのかもしれなかった。
「……まさか君が救貧院にいるとは」
エリシャが怜悧な瞳をクローデットのほうへ向ける。彼は一見クールなのに、クローデットに対しては空気がふわりと柔らかくなるような気がする。
それはほんの少しの変化であるけれど、女性というのはこの手の機微には目ざといものだ。だからセレステはすぐに、彼にとってクローデットは特別な存在なのだと悟った。
クローデットはある種の美人が時折見せる、無邪気なようでいて妖艶な、不思議な笑みを浮かべてみせた。クローデットの明るい声がフロアに響く。
「ボランティアで編みものを教えているのよ。ほら――この子とはもうすっかり仲良し」
クローデットが繋いでいた手を持ち上げると、アンは気まずいのかなんなのか、微かに頬を引きつらせている。アンは少し困った様子で瞳を彷徨わせたあとで、ゆっくりと騎士服姿のエリシャを見上げた。その頃にはアンも落ち着きを取り戻し、いつもの人を食ったような顔つきに戻っていた。
エリシャは膝を折り、アンに目線を合わせた。彼の青い瞳が、秋晴れの空のように穏やかな光をたたえている。
「――食事はお腹いっぱい食べている?」
尋ねられたアンはパチリとひとつ瞬きをした。彼女にとってあまりに意外な問いかけだったのだろう。珍しく素の表情を浮かべている。
確かにエリシャは冷たそうな印象があるので、彼が子供に視線を合わせて親切に声かけしたこの行為は、かなり意外に感じられた。
「ええと、はい、大丈夫です」
「困っていることはない?」
「特には」
「そうか」
エリシャが微かに瞳を細める。
「君は良い面構(つらがま)えをしている――目が負けていない。もう少し大きくなったら、私の騎士団に来るといい。努力の方向を間違えなければ、出世できるだろう」
おや、これは……セレステはちらりとアンを見遣った。
たぶんエリシャはこの子を男の子だと勘違いしている。この国には女性騎士もいるにはいるけれど、独立した隊にまとまっているので、男女混成にはなっていない。「私の騎士団に来るといい」という言葉から、彼がアンの性別を見誤っているのは明らかだった。
確かにアンは髪も短いし、その上男装をしている。だけどよくよく見れば、顔立ちで気づきそうなものなのに。
訂正したほうがよいのか迷い……チラリと本人の様子を窺うと、『しなくていい』 とアンが視線で語ってきた。それでセレステは黙っていることに決めた。
当のアンは腹を立ててもいないし、むしろ面白がっている。彼女の口元にニンマリとした笑みが浮かんでいるのを、セレステは呆れながら眺めていた。
あれは面白いものを見つけた時の顔だ……こんなふうにアンが誰かに強い興味を抱くのは、珍しいことだった。
「ありがとうございます、頑張ります」
内心では絶対に悪いことを考えていそうなのに、表向きは礼儀正しく答えるアン。
なんだか良い感じに話がまとまりかけたところで、クローデットが高い声で口を挟んだ。
「ねぇ、ちょっと! 冗談でしょう、エリシャ!」
何が……というようにエリシャがクローデットの顔を見上げる。彼は今しゃがんでいるので、クローデットのほうが視点は高い。
「アンは女の子なのよ! 見れば分かるじゃない! あなたはどうして気づかないの? 無神経だわ」
クローデットは怒っていた。女の子に対してそんな言い草はひどいわ、許せないわ、と言わんばかりだ。
セレステはこれに感心してしまった――彼女は自分の意見をはっきり言うタイプなのね。
エリシャに媚びることもできるのに、彼が間違えたことに対し、それは失礼だとストレートに意見している。彼女の見せた正義が適切かどうかは別として、このことからクローデットとエリシャが対等な関係であるのが伝わってきた。
ほかの誰かがおいそれと割って入れないような深い繋がりが、ふたりのあいだには確かにある――そのことをセレステは悟った。
叱られたエリシャは動揺した素振りを見せることもなかった。それはおそらく彼が感情を表に出さないタイプであるからで、まるで平気というわけでもないようだった。彼が長いあいだ身じろぎひとつしなかったことからも、それは明らかである。
やがて睫毛を伏せた彼は、小さくため息を吐いてから呟きを漏らした。
「……こういうところだな」
言葉自体は淡々としている。けれどなんだか妙に味わい深い響きだとセレステは思った。
「こういうところが、なんですか?」
当事者のアンが物怖じせずに尋ねる。エリシャはなんだか億劫そうに答えた。
「自分の鈍感ぶりに呆れただけだ。申し訳なかった」
「謝る必要はありませんよ。言われた内容は嬉しかったです」
「うーん……」エリシャがさらに小声になる。「いや……君の気遣いを鵜呑みにしてはだめだということくらいは、さすがに分かっている」
視線を逸らすエリシャの端正な面差しを、アンが優しい瞳で眺めている。
かたわらで成り行きを見守っていたセレステは身悶えしそうになってしまった。
え……か、可愛い……勘違いして反省しているエリシャさん、可愛すぎません?
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