第7話 クローデット嬢
「ごきげんよう!」
薄い唇からこぼれ出たのは、綺麗な発音のハキハキした言葉。
クローデットがチャーミングな笑顔でこちらを見つめてくる。
セレステは眩暈がしそうだった――……この美しい令嬢の瞳に、自分はどう映っているのだろう?
悲しくなるくらいに着古した地味なドレス。『お洒落』の『お』の字も見当たらない。それでも本体が派手であれば、包んであるものが多少まずくても、なんとか見栄えは保てるかもしれない。しかしセレステの場合は本体も例外なく地味である。
ブルネットの髪――なんとか褒め言葉を捻り出そうとしても『目に優しい』くらいしか思いつかない。髪質にしてもゴージャスにウェーブがかかっているわけでもなく、癖がなくストンとしている。専属の侍女なんてもちろんいないので、凝った髪型もできず、髪はおろしっぱなしのまま。
瞳も地味な焦げ茶色。髪と目の色の組み合わせが、茶色&茶色――食べものに置き換えたら(まぁ置き換える必要性もないけれど)、焦げたパンに、プレーンの苦い紅茶って感じだ。
セレステはすっかり気後れしながら、小さなか細い声で挨拶を返した。
「私はセレステ・ホプキンスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「はじめまして、ですよね? 私たち」
「そうですね」
ほとんどの貴族と『はじめまして』なのです、こちらは。
ところがクローデットのほうは見るからに社交的であるから、そうなると『この人とは初対面か? 過去に会っているのか?』の判別は、記憶力を試されるかなりの難問かもね……セレステはそんなことを思った。
――ふと横手から強い視線を感じて、視線を斜め下に動かす。
するとクローデットに手を繋がれている孤児のアンが、物言いたげにこちらを見つめていることに気づいた。
アンはD区画の収容者のひとりだ。セレステが編みものを教えている。黒髪をばっさりと短くしてハンチング帽を深くかぶっているので、パッと見は綺麗な男の子のようにも見える。
「アン、あなたどうしたの?」
作業部屋から出て、こんなふうに就業時間中に出歩いているなんて、珍しいこともあるものだ。
救貧院に体罰のたぐいはないものの、労働に関しては『働かざる者、食うべからず』という厳格な空気が流れている。監視つきで、サボれないシステムになっているのだ。
セレステ自身も編みものを教えている際に、監視員の視線から常に圧力めいたものを感じていた。こちらはボランティアであるが、お客様扱いをしてもらったことは一度もない。むしろ運営側から『風紀を乱すな』という鋭い視線を向けられる立場だった。とにかく軽い雑談すら許されない空気がそこにはある。
「施設内を案内するように頼まれました――こちらのクローデット様に」
「そ、そう……よくゲーツ監視員が許してくれたわね」
ゲーツは四十代半ばの神経質な男で、とにかくルールにうるさいタイプだ。院の規則を端から端まで熟読していて、何かあると杓子定規にそれを持ち出しては、ネチネチと責めてくる。
……あんな分厚い規則本、隅から隅まで目を通しているのはあなたくらいのものじゃない? セレステは彼に厳しく注意をされた日などは、こっそりとそんなことを考えてしまう。
ゲーツはこの救貧院の監視員という仕事に誇りを持っているようである。彼は貴族階級の人間ではないのだが、セレステの腰が低いせいなのかなんなのか、たとえ伯爵令嬢といえども、ゲーツにとっては取るに足らない存在であるらしい。セレステのことを常に下に見ているような節(ふし)があった。
「クローデット様は交渉がとても上手で、ゲーツ監視員から仕事中に出歩く許可を取ってくださいました」
驚いてクローデットに視線を転じると、彼女は小首を傾げて、なんてことありませんとばかりににっこり微笑んでいる。
すごいわ……セレステは感嘆のため息を漏らした。あの偏屈なゲーツ監視員に言うことを聞かせただなんて。
「ゲーツ監視員は怒っていませんでしたか?」
「いいえ、まったく」クローデットがゆったりと首を横に振る。「むしろご親切でしたわ」
ゲーツ監視員と親切――まるでそぐわない組み合わせだ。ハバネロとケーキ、みたいな。
彼は未婚で女性全般に冷ややかなので、極度の女性嫌いなのではないかとセレステは考えていたのだが、そうではなかったらしい。
「なんてこと……季節外れの雪が降りそう」
「ゲーツさんって気さくな方ですね! 私のつまらない冗談に声を立てて笑ってくださって、とても気配り上手だと思いましたわ」
な、なんですってー! あいつ笑ったのー? とんでもない衝撃を受けて、セレステは膝から崩れ落ちそうになった。あまりに動揺してしまい、会話がおろそかになる。
「き、気さく? 気配り上手?」
「普段の彼は違うのですか?」
「私にはスパルタですね……」
「あら――セレステ様はとてもお可愛らしいので、対面すると、男性は緊張してしまうのかしら?」
「そんな馬鹿な」
「異性を強く意識すると、かえってツンケンしてしまう場合がある――そんな話を聞いたことがございますわ」
「そんな馬鹿なぁ……」
なにこれしんどい。褒められて死にたくなるってあるのね……セレステは絶望を感じた。怖すぎてメティ神父のほうを見ることができない。
おい、今のはクローデットの見え透いたお世辞だからな、ブスが本気にするなよ、みたいな目をしていそうで、背筋がゾッとする。もう震えが止まらないよ。
クローデットはさすがにやりすぎたと思ったのか(?)、凍えるセレステを気遣うように朗らかに続けた。
「私が頼りなく見えたから、ゲーツさんはいつものペースを崩してしまい、『らしくない態度』を取ったのかもしれませんわ。だって新参者の私が、古株のセレステさんよりも贔屓(ひいき)されるわけがないもの」
「え――それは単にあなたがものすごい美人だから、親切にされただけかと」
この会話を終わりにしたくて、つい本音が口からこぼれ出ていた。
するとアンが下方から半目で、『あなた、この状況でそれ言っちゃだめでしょう』という視線を送ってきたので、遅ればせながらセレステも自らの失態に気づいた。
優遇を受けた相手に対し、「あなたがものすごい美人だから、親切にされた」は少々含みのある台詞である。『あらあら、それは結構ですこと! 殿方から優しくされたことをわざわざ自慢してくれて、ご苦労様!』みたいに聞こえていたらどうしよう。
オロオロするセレステを眺め、クローデットが「うふふ」と笑う。
「やだわ、セレステ様ったら――ねぇメティ神父? 私よりもセレステ様のほうが魅力的ですよね? だって私、人からよく『面白味のない顔』って言われるんです。キュートなセレステ様はきっとおモテになるでしょうから、うらやましいわ」
平然とメティ神父を巻き込もうとする、怖いもの知らずのクローデット。こんなふうにされてはもう、セレステとしてはお手上げだ。
「やだもう……お願い、ひと思いに私を殺してぇ」
これなんの刑罰? 豚一頭丸ごと盗んだ罪人に与えられるくらいのひどい罰じゃない? こちらは何もしていないのに、これからメティ神父に「いいや、セレステのほうが断然ブスだ」って言われるわけよね? あんまりじゃない?
「セレステ嬢――心の声が漏れていますよ」
メティの囁き声が耳に入り、俯いていたセレステは顔を上げた。
「……え?」
ぽかんとする。先ほどの「お願い、ひと思いに私を殺して」の部分は、セレステとしては心の中だけで呟いたつもりだった。実際には声に出てしまっていたのだが、セレステ本人はその失態に気づいていない。そしてメティ神父に指摘されたあとでも気づけずにいた。
視線が絡むと、メティ神父の普段は冷淡な瞳に、嗜虐的な色が交ざったような気がした。彼は腕組みをして、物言いたげにこちらを見おろしている。
「あの、あれ……?」
「うん」
「ええと、私、何か変なことをしましたでしょうか」
「どう思う?」
「す、すみません」
どう思うのかをひとことでは言い表せそうになかった。そして尺を取ってまで、いじめっ子に伝えたいことなどありはしない。
「何がすみませんなの。具体的に言ってくれる?」
メティ神父の意地悪な追及が終わらない……すごい……荒縄でジワジワと首を絞められているような心地になる。
「な、何もかもすみません……」
いたたまれずに、す……と視線を逸らす。
このあたりで快活なクローデットが何かフォローをしてくれないだろうか……と期待したのだが、彼女は突然ポンコツになってしまったらしく、無言を貫き通している。
地獄の静けさがエントランスに漂い、セレステは臓腑をねじ上げられるような苦痛を味わわされた。そしてとうとう限界を感じ始めた頃――不意に玄関扉が開いた。
その場にいた全員がそちらに視線を向ける。
入って来た人物を見て、セレステは驚きのあまり声を上げるところだった。
けれど声を上げたのは、セレステではなく――。
「――エリシャ!」
登場した彼の名前を甘やかに叫んだのは、可憐なクローデット。彼女の弾むような声音がホールに響き渡る。
セレステは金色の光が玄関ホールに降り注ぐ幻影を見た気がした。
そう――救貧院に入って来た人物は、大天使様こと、エリシャ・アディンセル伯爵その人だった。
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