第6話 メティ神父


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 セレステが二日酔いで目を覚ますと、ベッドの上に可愛いくまちゃんが座っていた。


 上半身を起こしたセレステは、目の前のくまちゃんを穴が開くほどじっと見つめた。


 ……まだ赤ちゃんくまだろうか。体長はおそらく、セレステの膝の高さくらいまでしかなさそう。


 短めなみっちりした茶色い毛。悪戯っ子のようなつぶらな瞳。まぁるいお耳は離れていて、頭の斜め横にちょこんとくっついている。控えめなお鼻の周囲は少しだけ毛の色が薄い。


 くまちゃんはよっこらしょっ……とお尻をシーツから持ち上げ、二本足で立ち上がった。


 足が短い。お腹がぽっこりしているのと、膝を不格好に曲げているせいもあり、余計に重心が下がって見えた。


 くまちゃんが口をカパッと開き、声を発した。


「――セレステ、腹減った!」


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 さて――人語を話すくまちゃんが現れる、半月ほど前のこと。この日セレステは救貧院(ワークハウス)を訪れていた。


 ここに収容されている人々は貧困層の男性が多いものの、女性や子供もいる。老若男女問わず、寝床と食事を与えられる代わりに労働をして、院に貢献する仕組みになっていた。


 振り分けとしては、男性は肉体労働、女性は針子仕事など。そして子供はそのどちらかに割り振られる。


 建物は明確にいくつかのブロックに区切られ、収容者は労働内容によって居場所を割り振られているらしい。管理上の都合なのか、区画の行き来は原則できない決まりになっていた。


 セレステはここで週に一度ほど、院にいる子供たちに編みものを教えている。これは仕事ではなく、ボランティアだ。


 まだ幼い子供に仕事をさせるのはいかがなものかと、初めのうちセレステは戸惑いを覚えた。


 しかし院が、『子供のうちから手に職をつけさせて、将来彼らが困らないようにする』という方針を掲げているのだと知り、色々と考えさせられた。


 そもそもの話、貴族子息だって毎日遊んで暮らしているわけではない。貧困層の生活の厳しさと比べてはいけないのかもしれないが、裕福な家に生まれた子供だって、決して楽はしていないのだ。幼い頃から英才教育を叩き込まれ、のんびり遊んでいるような時間などありはしない。


 社会の枠組みを作っている側の人間が、自身の子供を自由気ままに遊ばせていないのだから、貧困層の子供の情操教育を気にするわけもない。


 それに結局のところ、綺麗事で腹が膨れることはないのだ。ならば救貧院での子供の労働については、ある程度の割り切りは必要なのかもしれなかった。


 そしてセレステは院の運営費をまったく負担していないのだから、何かをつべこべ言う資格も持っていない。子供たちが人道的に問題のある扱いをされているのなら話は別であろうが、ここの救貧院は綺麗事を言わないわりに、ある程度の節度を持って運用されているように思われた。


「――ミス・ホプキンス」


 西翼に向かおうとしたところでそう呼びかけられ、セレステは足を止めて振り返った。


 すると廊下の向こうから、線の細い二十代後半の紳士が歩み寄って来るのが見えた。


「神父様、ごきげんよう」


 セレステはなんとなく気後れしながら挨拶した。


 メティ神父は伯爵家の次男であり、本職は司祭である。そして救貧院を監督する委員もしている。


 彼は丁寧な物腰をしているのだが、なんとなく言葉にできない取っつきにくさがあるように思われた。


 その原因のひとつは、彼のたおやかな外見にあるのかもしれなかった。ダークブロンドの髪を長く伸ばし、後ろでゆったりと束ねている彼は、地味令嬢のセレステには気安さを感じづらい存在である。


 古典的二枚目であるサイツ侯爵にも初めは気後れしたものだが、あちらはもっとずっと気さくな雰囲気があったので、セレステとしては目の前のメティ神父のほうがよほど緊張してしまう。


「いつもご苦労様です」


 メティ神父が落ち着いた声音でそうねぎらってくれても、セレステの緊張は解けない。


「あの、いえ、とんでもない」


「立ち話で申し訳ないのですが、少々お時間よろしいですか」


「はい」


 気分的には『いいえ』だが、もちろんそんなことは言えやしない。


 セレステが了承したので、メティ神父は淡々とした調子で説明を始めた。


「あなたが受け持っているD区画の指導ですが、本日から新しいボランティアの方が来ています」


「そうでしたか」


 ボランティアというからには、おそらく上流階級に属する夫人、もしくは令嬢だろう。D区画の労働者は年を召した女性と、何人かの子供で構成されているので、ボランティアのほうもいつも女性があてがわれる。


「あの、その方はこれから毎日いらっしゃるんですか?」


「いいえ、週に一度。あなたと同じ日になる予定です」


 ん……おかしなことを言うなぁ、という感想が浮かぶ。


 どうせなら日を分ければいいのに、なぜに同日にしたのだろう。不可解すぎて、じっとメティ神父の顔を見上げてしまう。


「何か気になることでも?」


「差し出がましいようですが、せっかくですから、私とは別日に来ていただいたほうが効率的かと」


「しかし初めからその人をあてにしてしまって、二、三回で来なくなると困るのですよ。元々いない者として扱っておいたほうが、こちらとしては都合が良いので」


 うーん……分かるような、分からないような。だったらやはり、別日でいいんじゃないかしら。


 セレステは引きこもり生活が長かったせいで、若干人見知りの気(け)があった。そのボランティアの女性が癖の強い夫人だった場合に、いびられたら嫌だなと思ってしまった。


 そもそもの話――こちらがボランティアで編みものを教えるのは、救貧院からすれば『教えてくれれば助かる』程度の話であったはず。それがあってもなくても、収容者たちが日々の仕事をこなすのは変わらない。


 ただ、こうした研修で少しずつスキルを上げられれば、将来的により難易度の高い仕事をこなせるようになるので、収益が見込めるだろうというだけのことで。


「メティ神父がこのようなことを采配なさるのは珍しいですね?」


 セレステはつい疑問を口にしていた。


 メティ神父はここの管理運営を監視する独立機関に籍を置いているだけで、院長という立場ではない。労務管理的なことに口を出し、こうしてセレステを呼び止めて説明し……と、なんだかやっていることが彼らしくなかった。そもそもメティ神父はここの常駐ではなく、何かあれば立ち寄る程度の立場だったはず。


 考えれば考えるほど謎すぎる。セレステが戸惑っていると、メティ神父が苦笑いのような、なんとなく面倒そうな表情を浮かべた。


「そのご令嬢とは知り合いなのです。個人的に頼まれてしまったので仕方なく、こうしてお節介を焼いているわけでして」


「なるほど、そうでしたか」


「彼女の名前はクローデット・マーチ子爵令嬢です。ご存知ですか?」


 どこかで聞いたような……一拍置き、セレステはすぐにその名前を思い出した。


 おお、なんと、クローデット・マーチ子爵令嬢! よりによってミス・クローデット・マーチとは!


 先日ボンディ侯爵夫人の口から飛び出した名前だ――あのエリシャ・アディンセル伯爵の、亡くなったお兄様の婚約者だった女性。


 俗物で有名な(?)ペッティンゲル侯爵が、傘下のマーチ子爵家を操って、今度はエリシャに狙いを定めているという話だった。


 となると……このタイミングでセレステとクローデットが顔を合わせるというのは、果たして偶然なのかどうか。


 もう嫌な予感しかしないとセレステが考えていると、賑やかな音を立てながら、廊下の向こうから見慣れぬ令嬢が近づいて来た。その令嬢は、十に満たない利発そうな子供の手を引いている。


 あれはもしや。


「――メティ神父!」


 弾むような声。やって来たのは、とても綺麗な女性だった。妖精のよう、といったらよいのだろうか。体の造りはどこもかしこも華奢である。それでいて物腰は溌剌(はつらつ)としていた。


 新緑のような瑞々しい色をした瞳に、クリーム系の柔らかなブロンド。鼻がツンと高くとがっていて、唇は極端に薄い。けれど笑うと驚くほど口が大きく横に開くので、そういったアンバランスさが彼女の魅力になっているようである。


「こちらがクローデット・マーチ子爵令嬢です」


 メティ神父がセレステに彼女を紹介してくれる。


 やはりくだんの女性だった。


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