過去編-3 あなたは彼が嫌い
アルベールは優美な貴公子と呼ぶに相応しい、絵本に出てくる王子様みたいな外見をしていた。――とはいえそれはあくまでも造形だけの話であり、彼のまとう退廃的な雰囲気は、裏稼業の人が放つもののような気もした。
イヴはなんと切り出したものか迷ったが、彼を探そうと思った動機があまりに不純であったことに思い至り、下手に取り繕うのをやめることにした。ただただ下世話な好奇心から彼に話しかけたのだから、まともな人間ぶるのはアンフェアだと思ったのだ。
「あなたに会ってみたくて、探していたのよ」
「それはご苦労なことだね。君は暇なのか?」
彼の口元には優美な笑みが浮かんでいるのに、顔にはちゃんと『くだらない』と書いてある。かといって安っぽく小馬鹿にされている感じもせず、彼の振舞いはなんとも気まぐれで、不思議な色気があった。
「そうね、暇人だと思う」イヴは微かに眉を顰めて答えた。「だって私、ちょっと前まで病気で死にかけていたんだもの。この国に来たのは療養のためなの。出身はあなたと同じ国で――」
「知っている。イヴ・ヴァネルだろう」
彼は眼下に広がる森のほうを眺めながら、どうでもよさそうに話す。ゆったりした綺麗な声だが、まるで温度が感じられない。これっぽっちもこちらに関心がないんだわ。イヴは彼の潔さに、なんだか感心してしまった。
「初対面でこんなことを訊くのは不躾(ぶしつけ)だと思うのだけれど、本当にカンニングをしたの?」
ズバリ尋ねると、アルベールから初めて感情的な反応を引き出せた。彼は呆れ返った様子で、こちらを振り返ったのだ。
アルベールの優美な眉は顰められていて、口元には笑みすら浮かんでいる。――この娘、イカれているんじゃないのか? そんな心の声が、相対するイヴにも汲み取ることができた。
「そんなこと聞いてどうするんだ? この会話、正直、面倒臭いんだけど」
「不思議に思ったの」
話を打ち切られてしまいそうだったから、早口に続ける。
「叔母さまはあなたのことを、とても頭が良いと言っていたわ。――頭が良いなら、カンニングなんてする必要なかったんじゃないかって」
どうしてもそこが引っかかる。素直に疑問をぶつけてみたら、彼は苦いものでも呑み込んだように、押し黙ってしまった。それから手元にあった草をむしり、やけになったようにポイと放り投げる。それはなんだか年相応の可愛らしい仕草に見えた。
「――濡れ衣だ、嵌(は)められた。大体さ、本気でカンニングしようと決めたなら、もっと上手くやるさ」
でしょうね。彼の言い分は筋が通っている。この人ならきっと、絶対にバレないようにやってのけるだろう。
「無実だと弁解した?」
発覚後すぐに逃げ出してしまったと聞いているが、潔白を証明するために戦ったのだろうか。
「言っても、誰も信じてくれなかった。僕はランクレ家の子供だもの」
「そう」
イヴの打った相槌はとても小さかった。そしてふとあることに気づいて、伏せかけていたおもてを上げる。
「――あ、それじゃあ暴力事件のほうは? それも冤罪?」
「いや」
アルベールは今度こそにっこりと綺麗な笑みを浮かべた。イヴが初めて見る、心底楽しそうな笑顔だった。
「そっちは本当。嵌めたやつを思い切り殴りつけてやった。退学になったらもうチャンスは巡ってこないだろうから」
「そう。じゃあよかったね」
イヴもくすりと笑みを返す。
「うん。――ああ」
アルベールの表情が暗いものに変わる。
「ちっともよくない。僕は小川を流れる草の葉みたいなものだ。寄る辺ない。すべてが煩わしく感じられるのに、それらを綺麗に取り払ってしまったら、あとには何も残らないんだ」
聞いているうちに、イヴは心細くなってきて、膝を抱えて俯いてしまった。――彼と自分はどこか似ている気がする。今日のことで手一杯な身の上とか。自分にはどうしようもない何かに振り回されて、袋小路に追い詰められているところとか。
彼は迷惑に思うかもしれないけれど、どうしようもなく共感を覚える。
イヴのほうがずっと素直で分かりやすい性格をしていると思うのだが、とはいえ彼のほうだって、相当正直な人に違いなかった。淡々としていて、あまり本気が感じられないのに、語る言葉のリズム、声音が、聞いていて心地良い。――それはたぶん彼の根底に、正直さや善良さがあるからではないかしら。
「――ジャンをどう思った?」
問いかけられたので顔を上げると、いつの間にか彼がこちらを眺めていた。口の端を上げ、どこかからかうような調子だった。瞳が陽だまりのように淡く光っていて、とても綺麗で、イヴは問われた内容よりも、彼の物腰に感心してしまった。
「人気者って感じだったわ。男女問わずモテそうな人ね」
「だろう。彼は政治家向きだ」
称賛というには、突き放したような物言い。そこに漠然とした距離を感じる。
「あなたは彼が嫌いなのね」
思わずそう呟けば、アルベールは驚いたようだ。
「どうしてそう思う?」
「なんとなく」
「ふーん」
彼が何事か考え込んでしまったので、イヴのほうも考え込みながら、探り探り言葉を続けた。
「彼は悪い人ではないわね。――私の病気を思いやってくれたし、何かあったらいつでも相談してくれと言ってくれたし。リーダーシップがあるわ」
「お優しい彼らしい」
アルベールの呟きに、イヴは小首を傾げてしまう。
「そうかしら?」
「そうだろう?」
噛み合わないなというふうに、彼は顔を顰めている。少し苛立っているようでもあった。彼自身、正体の分からない感情を持て余しているかのような。
――もしかすると彼は、ジャンのことが嫌いな自分を認めたくないのだろうか。肝心なその部分に蓋をしているから、彼自身、混乱してしまうのではないか。
イヴはもどかしく感じた。
「彼はいつでも相談してくれと言ったけれど、具体的な相談先は教えてくれなかった。――もしも私が彼の立場で、本当に相手のことを心配したのなら、手紙の宛先だとか、連絡方法をもっと具体的に伝えたと思う。あるいは初対面の時はそこまで踏み込まずに、自分のほうで気に留めておいて、あとでこちらから手紙を出したでしょうね。相手に『手紙をくれてもいいよ』、なんて許可を与えずに」
つまりイヴはできもしない約束をする人間が嫌いなのだ。潔癖すぎる考え方かもしれないが、こればかりは性分なので、自分ではどうしようもない。
気遣うつもりがないのなら、気遣うつもりはないという態度でいてくれたほうが、よほど好感が持てると思ってしまう。こんな考え方しかできない自分って、さすがにひねくれすぎだろうか。
「だから私、彼の申し出は完全に社交辞令なのだと受け取ったわ」
イヴが苛立ったようにそう締めくくると、アルベールは興味深そうにこちらを見つめた。
「なるほどね。でもその考え方って、少し辛辣じゃないか? 円滑な人間関係を築くためには、社交辞令もある程度は必要だ」
――え、それ、あなたが言うの? もっとも社交辞令から縁遠い感じがしますけれど? ていうか誰かから社交辞令を言われたら、冷笑で返しそうなタイプよね?
あなたのそのお綺麗な顔であしらわれたら、社交辞令の皮をかぶって半ば本心で口説きにかかっていた相手は、おそらく相当なダメージを負うはずよ。
「だけど私、子供のくせに社交辞令を言うような、調子の良い人間が好きじゃない。――それにね、彼は私のことを『可哀想』と言ったの」
イヴの表情がさらに不機嫌になった。
「君って可哀想なのか?」
アルベールは虚を衝かれたようだ。――知らないわよ、もう。ふんとイヴは口をへの字に曲げる。
「つらい病気と闘ってきたから、可哀想だって。――ねぇ、私は可哀想なの?」
「さぁ、どうだろうな。彼がそう言うなら、可哀想なんじゃないか?」
何よ、その投げやりな台詞。――だけど困ったような彼の声音が、なんだかくすぐったく感じられて、アルベールには何を言われても本気で腹も立てられない。
イヴは瞳をきらめかせて彼を見返すと、とっておきの憎まれ口を叩いてやることにした。
「じゃああなたも可哀想ね。だってランクレ家の子供だから」
こんな酷いことを言っても、彼はたぶん怒らない。イヴが本気で言ったんじゃないって、ちゃんと読み取れる人だから。
「そうだね。いいから遠慮せず、もっと憐れんでくれよ」
案の定、アルベールは腹も立てずに、力の抜けた調子で応じた。
――彼は意外と面白い人だと思う。イヴが思わず噴き出すと、アルベールのほうも悪戯な笑みを返した。
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