6話。水銀って銀でしたっけ?
血を啜って得た記憶で、吸血鬼はシスターヘレナの左手にはめられている指輪を神の残り香――”ヘルメスの指輪”と呼んでいた。
ヘルメスとはギリシャ神話に登場する商人や旅人の守護神であり、ローマ神話ではメリクリウス。そしてメリクリウスの象徴は”Mercury”すなわち水星であり”水銀”でもある。
つまりはあの指輪は吸血鬼の弱点だった――”銀”を操る神の遺物と言う訳です。
(てっきり銀が弱点な化物って人狼や狼男だけだと思ってた。――そもそも水銀って銀とは全く異なる物質じゃなかったけ?)
「ッ」
自分で投げたボールを自分で打つ様に、シスターヘレナは鉄鎚を振って釘を飛ばす。水銀がどうとか銀と違うだとか――そんな事を考える余裕もなく何とか横に避ける。
が、今度は銀一色の獣が一匹、大きく口を開けて飛び掛かってきた。
「リンクスの身体は銀で出来てます。そんなリンクスに傷を負わされたらどうなるか……廊下にあった化物共の亡骸を見たのなら分かりますよね?」
「知ってるよッ」
釘同様に、間一髪で避けて大きく後退する。
シスターヘレナの言う通り、銀で身体を傷つけられると回復を阻害されてしまう。しかも完治するまで傷口は火で炙られ爛れていく様に熱くなるみたい。
(吸血鬼の性質上、銀で身体を傷つけられると凄く痛い。だから本能的に逃げてしまう)
吸血鬼の本能にはまだ逆らえそうにない。仕方がないので大きく後退したついでに礼拝堂から外へ出る。
壁や椅子、遮蔽物を利用されると非常に厄介なので。
それとどの道、今のままじゃ勝ち目は無い。なら逃げ回りやすい外の方が気分的にも余裕が生まれて良い筈だ。
「これはこれは。建物の中では無く、逃げ隠れも出来ない平地で私達と戦うと? それとも校舎まで逃げるつもりですか? 蝙蝠の姿にすら為れない新月の夜に?」
「あぁ……そうでしたね」
化物は、その多くが夜に生まれた。だから月から祝福され、月の満ち欠け具合によって力の増減が発生してしまう。
今日は新月。月の光が一切降り注がれない無の周期。あの廊下で死んだ吸血鬼達にとって最悪の月齢である。
「まぁ今宵が新月であっても吸血鬼は吸血鬼なので。人並以上の体力があると信じて頑張ります」
「この場合は信じるべきは運ですよ? 私の気まぐれが校舎まで続くかどうかの運。でもまぁ? こうして私と話している時点でそんな気無いってわかります。――でも良いんですか? このままだと死に場所が教会前に。下手をすれば私の気まぐれで死にゆく貴方を礼拝堂に連れ戻すかもしれませんよ?」
「おやおやまあまぁ。今度も膝枕をしてくれますか?」
「残念。本来、神と違って私に慈悲の心はありません。元が殺人鬼なので。廊下でのあれは単なるお礼であり、口にした慈悲はシスターらしい言葉を言いたいな? と思って言ってみただけです」
「これは酷い。――あれ? もしかして信仰心すらない感じですか?」
もはや修道服のコスプレをしただけの殺人鬼にしか見えません。例え神が描かれた絵であろうと邪魔になったら平気で油を掛けて火を点けて処分しそうである。
「信仰心……ですか? 神の存在は信じています。また感謝もしております。――が、神に依存し縋り付く程、私は不幸ではありません。壱百夜君、貴方と同じで恵まれて殺人鬼となったのです」
予想外の質問だったのかシスターヘレナはキョトンとし表情を浮かべては、最後の最後に笑みを浮かべて凄い台詞を言い放つ。
(おやおやまあまぁ。最後の、なんと素敵で強烈な口説き文句なのだろう。これには別の意味で蕩ける様に熱いです)
「素敵な口説き文句に昇天しそう」
「なら……その言葉通りにイかせて上げましょう!」
「ッ――痛ッ」
今度はテニスのサーブの如く釘を撃ち出す。野球と違い正確に僕の右肩を捉え、骨ごと肩の肉を消し飛ばした。
(想像の数倍の痛みッ)
肩が熱い。痛いんじゃなくて頗る熱い。まさに火で炙られ爛れているみたいだ。
「化物風情が人間みたいに痛みに悶えてはいけませんよ?」
「! ッハ――」
どっちが化物だ!! と、訴えたくなる程の銀色の軌跡を描きながらする跳躍。無我夢中で避けるとさっきまで居た場所のコンクリートがまるで銃弾で撃ったガラスの様に皹が入って凹んだ。
「ッア――!?」
避けた先にシスターヘレナが使役する獣が待ち構え、その鋭利な爪が僕の背中を刻もうとする。
「クッ!」
僕の背中を刻もうと飛び掛かった瞬間、身体を捻って獣の前に肩の激痛を噛み締めながら右腕を前に出す。駄目になった方の腕を更に駄目にして何とか生き残る事に成功した。
「あぁ……良いですね? 痛みで汗が噴き出す。傷口から血が流れる――その全てが死へのカウントダウン。滴り落ちる汗と血がまるで底が壊れた砂時計の様です」
「おやおやまあまぁ、破壊の美学をお持ちで?」
「破壊ではなく――死への美学です……よっ!」
「っ――なっ!?」
撃ち出された釘は2m付近で砕け散り、広範囲に広がった破片は散弾となって僕の身体を刻んだ。
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