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よくわからないままに伍郎は車を走らせていた。わかったと答えたにもかかわらず、実はよくわかってなどいない。中島公園に向かわなければならないということだけは理解したが、なぜ中島公園に向かうのかは、いまいち理解できていない。
まだ昼食も済んでいないのだ。頭も鈍って当然なのだと伍郎は思うことにした。
車でおよそ二〇分。中島公園に来たのは良いが、肝心の駐車場がわからない。わからないままに近隣をうろうろした挙句、仕方がないので、迷惑ではないと思えるような場所に路上駐車して、直接コンサートホール―この時点で伍郎はコンサートホールの名前がわかってはいない―の事務室かどこかで、どこに車を停めたら良いのか確認しようと思ったが、車を停められそうな場所には既に何台も車が停まっていて、さらに伍郎はうろうろすることとなった。
「……」
流石の伍郎も次第に表情が暗く、というより、剣呑になっていく。仕方がないので開き直って路駐。どうにかコンサートホールの入り口にある受付の窓口に行くと、
「すみませんがここには専用の駐車場がないので、近くで営業している駐車場に停めていただきたいのですが」
伍郎の何かがブチギレた。
ヤクザまがいの言葉こそ出ないが、頭に血が昇るのが自分でもわかる。ここで駄目押しされたら危険なので、咄嗟にその場を離れて建物の外に出た。
降ったり止んだりを断続的に繰り返していた雨は、今は止んでいる。あえて深呼吸を繰り返して荒い呼吸をどうにか整ええると、伍郎はサッと踵を返して車に戻った。幸い駐車違反の切符は切られていない。車を走らせると、
「仕方ない……仕方ない……」
と、自分に言い聞かせた。
苗穂駅に向かう車中の伍郎にかかってきた電話では、ビビは友人に誘われてしまい、どうしても抜け出すことが出来なくなってしまったので、中島公園のコンサートホールに来てほしい―とのことだった。その時はそうかと納得したものの、よくよく考えてみるとまるで意味がわからない。
今日はそもそも僕との待ち合わせの約束だったのではないか。なぜに友人なのだ?僕との待ち合わせの方が優先ではないのか?まあでもそこまではいい。いいとして、中島公園まで向かったのはいいが、駐車場がどこにもない。聞けば専用駐車場もない。しかもこうして車を走らせても、近くの駐車場はどこも満車で停められる場所がない。
伍郎は思った。
怒ってもいいよね。むしろ怒るべき状況だよね。さっきは怒りを我慢したけど、これは怒らない方がおかしいよね。
しかし一方では、ここで怒っても仕方がないという思いもあり、伍郎の思考は"ごちゃ混ぜ"になってしまった。
なんでこうなった?
これは何かの罰か?
僕は何かしでかしてしまったのか?
これからどうしたらいい?
危うく目の前の赤信号を無視しそうになり我に帰ると、伍郎はガムを探した。まだあるはずなのだ。そして実際に見つけると、とりあえず口に放り込む。
まずは落ち着くこと。これが大事なのだと自分に言い聞かせた。
そうだ。とりあえずは駐車場なのだ。ビビはあのコンサートホールにいる。ならばそのコンサートホールに行かなければならない。そのためにはこの車が邪魔で、だから駐車場に停めなくてはならないのだ。
実際にはこんなまどろっこしい考え方などせず、ただ
とにかく駐車場!
なのだが、それにしてもその駐車場が全く見つからない。見つけても満車。
一体全体、これはどうなっているのだろう?またも伍郎の頭に血が昇りそうになったため、新たなガムを口の中に放り込んだ。
落ち着けー落ち着けー
呪文のように唱えながらも、車はどんどん進む。ようやく見つけた駐車場は、住宅地の中にポツンとあり、がらんと空いていた。
「よかった」
とにかく考えてなどいられない。そんな暇はないのだ。しかし、またしてもハプニング。
またも雨が降ってきたのだ。
伍郎は傘を持ってきてないし、車にも積んでない。雨を遮るものなど何もない。わーもうなんだよこれは!と発狂する暇もない。近くにあるコンビニに咄嗟に駆け込むと、ビニール傘を買い、コンビニを出ると雨は小降り。そして止んだ。
わーもうなんだよ!
ここに至って、伍郎はふと思った。
僕とビビを何が何でも合わせたくないという"何かの意志"か?
漫画の見過ぎだと笑われそうだが、伍郎は大真面目に思う。
そもそもおかしいんだよ。なんでこんなにハプニングが続くのか?いくらなんでもおかしすぎる。まるで物語の世界の主人公にでもなったかの如くにハプニングの連続なのは、やはりおかしい。
中島公園から駐車場までは車でおよそ十分かかった。ということは、自転車では三十分。歩きだとさらにその三倍かかるとすると、中島公園までは一時間をゆうに超えるではないか。
わーもうなんなんだよ!
歩いてなどいられない。タクシーを呼ばなければどうにもならない。しかし大きな通りにもかかわらずなかなか空いてるタクシーに出会わない。しかも土地勘が狂ったのか、はたまた計算違いなのか、中島公園まではそんなに時間がかからないのではないかと思い始めた。
実際には駐車場を探しながらの運転だったため、その分時間のロスがあったのだが、頭に血が昇っていた五郎はそれをすっかり忘れていた。実は五分もあれば辿り着ける駐車場だったのであり、伍郎は大前提を間違っていたのだ。
しかしこの時点ではこの間違いに気づかず、伍郎は大いに混乱した。
あれ?何かがおかしい。
そしてまたも思った。
これは間違いなく"何かの意志"が働いているのだ。そうに違いない!何が何でもビビに会わせたくないのだ。
伍郎はブチギレた。
なんだよそれ!
こうなったら、絶対に会うぞ。僕はビビと絶対に会うぞ!"何かの意志"とかふざけるな!
頭に血が昇っている伍郎ゆえに、空車のタクシーを数台見逃していることに気づかない。そして気づいた時には、もう数ブロックで中島公園という交差点であり、伍郎はタクシーを諦めた。そしてなんとか先ほどのコンサートホールの受付にたどり着く。
しかし。
そう。伍郎は肝心なことを聞き忘れていた。ここまで来たのはいいとして、これからどうすればいいのか?誰になにをなんと言えば良いのか。
よくわからないのであたりを見渡すと、ポスターなどが貼ってある掲示板を見つけた。その掲示板には新聞紙見開き一面程度の大きさのポスターが貼ってあり、五郎が近づいてみると、
Kureba十周年記念コンサート
と書いてある。
「……これのこと?」
今までは全く気づかなかったのだが、改めて見ると、あちらこちらに何やら着飾った人たちが大勢いて、所々で固まって談笑している。三々五々というやつだ。どうやらこのコンサート目当ての人達らしい。伍郎はドレスコードという言葉はわからないが、何かちょっと違う空間に自分がいるということは分かった。
「ちょっと待て。本当にここか?」
伍郎は携帯電話を取り出す。ビビに電話。しかしビビは電話に出ない。
伍郎は焦った。自分の今の服装は黒のTシャツとハーフパンツ。つまりは"いつもの服装"なのだ。いや、これでもビビとのデートなので、清潔感はイメージしている。しかし、足はスニーカーだし、なんなら今ガムを噛んでいる。ガムに関してはトイレに行けば解決するが、服装はそう簡単には解決しないではないか。
伍郎はビビにメールした。
着いたよ。けど、本当に場所はここでいいのかな?
しかし、いつまで経っても連絡が来ない。どうしたらいいのかわからない伍郎は一旦トイレに駆け込んだ。とにかくガムをなんとかしよう。しかしトイレットペーパーのある個室は満室。こういう場合、伍郎は待つという選択肢を選ばない。サッとトイレから出ると、そのまま建物からも出た。
入り口付近にも人がたくさんいて、その服装からコンサート目当てなのが分かる。しかし伍郎はコンサート目当てではない。ビビとのデート目当てなのだ。しかし、未だビビにも会えず、それどころか状況は混乱しっぱなし。ついには携帯での連絡すらつかなくなってしまった。雨はすっかり止んでおり、所々にうっすらと青空が見えるが、伍郎の心はずっと灰色だ。
噛み続けていたガムはすっかり味気なくなり、捨てたいにもかかわらず捨てることができない。
どうしたらいいのか全くわからないが、とりあえずこのガムをどうにかしよう。それ以外にすることなど何もないではないか。
伍郎はコンビニに行くことにした。そこに行けばトイレがあるしゴミ箱もあるからだ。何もせずにただ時間をやり過ごすのは伍郎の主義ではないし流儀でもない。それに――
「腹へったなぁ」
金曜の夜からまともに食べてないのだ。流石にそろそろ何か食べたい。おにぎりでもいいから口に入れたかった。
まだ雨の匂いの残る中島公園をテクテク歩く。中島公園はススキノ地区に隣接する割と大きな公園で、日本の都市公園百選、日本の歴史公園百選にも選ばれている、歴史のある公園だ。敷地内にはさまざまな施設があり、重要文化財である豊平館や八窓庵もあれば天文台や体育センター、そしてコンサートホールもある。コンサートホールはKureba(クレバ)という名称で市民のみならず音楽関係者からも愛されている。「近代的なコンサートホールとしては世界一」と評する指揮者もいるほどであり、ナナコの父親で指揮者でもあるジョゼフ・スロニムスキーもまた、このKurebaを愛していた。しかし、知名度で言うならおそらくはイマイチで、その原因はやはり"クラシック"だからなのであろう。もちろんクラシックファンがいるのは否定しない。それどころかマニアだっている。しかし、ロックやポップスに比べたら、やはり人気という点では劣るだろう。ライブ会場としての"札幌ぐっドーム"や"きたえんどーむ"の方が知名度は上なのだ。少なくとも伍郎の中ではそうだった。
園内の整備された小道をススキノ方面に向かって進み、ちょっとした橋を越えると"こども人形劇場こあら座"の建物が見えてくる。その建物の正面には地下鉄中島公園の入り口。日曜で天気が悪いにも関わらず、人通りはそれなりにあった。
伍郎は疲れた。人混みの中にカップルを見かけたからだ。本来であれば自分もとっくにビビと一緒に出かけていたのだ。どこに行こうか?という会話だけでも楽しいひとときだったのだ。それが今はどうだろう?
ビビとは会えない。食事もしてない。よくわからないままに一人でぶらぶらしてる。
こんなことをするためにわざわざ出張先から一時的に札幌に帰ってきたわけではないのに、現実はこんな有様なのだ。
時折見る携帯にもビビからの返事はなかった。
どうしたんだろう?
とうの昔に怒りのレベルは沈下し、今の五郎を支配しているのは疲れとか疑念、不安とか心配になっていた。
本当にビビはあのコンサートホールにいるのだろうか?いや、そもそもビビは今どこにいるのだろう?こんなことなどこれまでは一度もなかったのだ。ひょっとしたら、ビビが住んでいるアパートに様子を見に行った方がいいのかもしれない。どこかで調子が悪くなってアパートに帰ったかもしれないのだ。
疑念や不安は放っておくと、どんどん増殖するものだ。それどころか、放っておかなくても増えたりする。しかもこういう場合、一度増えてしまうと、なかなか減らないし、元にも戻らない。
ビビに対して「なにか良くないことが起きた」のではないかという思いは、伍郎の中で増殖し、そして固定されつつあった。その証拠に伍郎自身、意識しないままに車を停めた駐車場に向かっていた。まずはビビの住むアパートに行かねばならない。ぐずぐずしている暇はないのだ。ススキノ交番を通り過ぎ、市電を横切り、コンビニまできたが、もはや伍郎は目もくれない。噛んでいたガムはいつの間にか飲み込んでしまっていた。
視野狭窄というのは、こういうことを言うのだろう。伍郎は自分の携帯電話が鳴っていることに気づかないでいた。信号が赤になり、立ち止まったところで、ようやくそれに気づく。
普段であれば決して出ることのない知らない電話番号なのに、伍郎はあっさり出てしまった。
「はい、もしもし」
「あ、床侶伍郎さんの電話ですか?」
「そうですけど」
「あーよかった。すみません。私はナナコ・スロニムスキーと言います」
すろ……なんとかすきーって誰だ?
「私、阿木野ビビちゃん、いやビビさんの大学の友達なんです。突然の電話ですみません」
「え、あ、そうなんですね。どうしたんですか?ビビに何かあったんですか?」
「あーその何かというか、床侶さんは今、Kurebaにいますか?」
「くれば……」
「クラシックコンサート会場なんですけど。中島公園にある大きなコンサート会場なんです。わかりますか?」
「あーはい、わかります」
「そこなんですけど、そのあたりにいますか?」
「いや、ちょっとまだ……」
「急いで来てほしいんです。Kurebaに行って"ジョゼフ・スロニムスキーの関係者です"と言えば案内してくれるので」
「けど、なぜ……そこにビビも居るんですか?」
「ええ。伍郎さんを待ってるんです」
「本当ですか?」
「はい、この電話もビビちゃんが出れないので、私が代わりにかけてるんです」
「わかりました!すぐ行きますので」
「ビビちゃんに伝えます。必ず来てくださいね」
見知らぬ女性がなぜ自分の電話番号を知っているのか、普段であれば疑ったはずだし、内容についても怪しんだはずだろう。しかし伍郎にはそんな余裕などなかった。
伍郎は踵を返し、中島公園に戻る。こんなことならもう少し中島公園で粘ればよかったなどと思うがもう遅い。とにかく戻るのだ。
もどかしいほどに全ての信号が赤になり、その都度待たされ、その都度イライラしたが、それでもようやく中島公園に辿り着くと、今度はコンサートホールに向かう。先ほどより人が多くなっているが気にせず進み、建物を見つけると迷わず中に入り何度も来た受付に向かう。
が。
「すみません。ちょっと尋ねたいのですが」
「はい、なんでしょうか?」
「ええっと……」
伍郎は愕然とした。先ほどの女性からの電話の内容は覚えている。しかし名前がわからない。確認しようと思って忘れたのだ。ジョゼフ、までは覚えている。その下のなんとかスキーがわからない。いや待てよ。ジョゼフ、だったかそれとも、ジョセフ、だったかもわからなくなってきた。どうしたらいいものか。
「あのう。今日のコンサートにジョセフさん……って出てるんでしょうか?」
「ジョゼフさんですか?」
「外国の方なんです。すみません、わからないのですが、なんとかスキーって言ったような……」
「……はぁ、ちょっとお待ちください」
伍郎はいかにも不審者を見るような目線を感じたが、どうしようもない。
かなりの時間待たされたような気がしたが、実際には一分経たずにスーツ姿の職員とおぼしき人物が伍郎に歩み寄ってきた。
「お待たせしました。失礼ですが、もう一度お名前をお聞かせ願えませんでしょうか?」
気後れしながらも伍郎は先ほどの会話を繰り返す。
「名前……私のですか?」
「いえ、関係者のお名前です」
「ああ、ええっとジョゼフ……もしくはジョセフ、なんとかスキーさんです」
「なるほど、それはジョゼフ・スロニムスキーではないですか?」
「あーそれです!そうですそうです」
「よかった。失礼ですが、どのような関係でしょうか?」
「電話で呼ばれたのです。そのお、ナナコさんから、ジョゼフさんの関係者ですと言うようにと言われまして」
「あーはい、ナナコ・スロニムスキーさんですね。お知り合いなのですか?」
「私の彼女の友達なのです」
「そうですか。わかりました。では、私と一緒に来ていただけませんか?」
職員はそう言って伍郎を誘導した。伍郎は従うほかない。あちらこちら、よくわからない通路を通って進むと、やがて、
「こちらでお待ちください」
と言い、職員は正面のドアを開けて中に入ってしまった。伍郎が周りを見渡す暇もなく、すぐに中から「ほんと?」「今行きます!」と声がしてすぐにドアが開く。
伍郎は驚いた。
ドアを開けたのは、日常生活では絶対に出てこないようなド派手なドレスを身に纏った白人女性だったのだ。
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