第30話 百鬼夜行 参

 見ざる、言わざる、聞かざる。


僕は、

「真ん中だと思う」

そう主張した。


「左の『見ざる』の扉は、中が真っ暗だ。淀橋は僕らにわざわざ鏡を持たせたんだ。中に光源がなければ、鏡の意味がない。それに、これ以上視界が悪くなったら探索も危険だ」

「じゃあ『聞かざる』は?」

「前、『百鬼夜行』の中で声を聞いたんだよ」

 僕は2人にかい摘んで説明した。あの日聞いた、「おいでおいで」と呼ぶ童女の笑い声。淀橋が残した本にも、思えばその描写があった。

「少なくともその時『百鬼夜行』は無音じゃなかった。そう考えると、中で何も聞こえないというのはおかしい」

「なるほどな」


 それで真ん中の、『言わざる』の扉を推したのだ。犬飼は納得したように頷いた。だけどマッスルさんは、厳しい表情のままだった。


「確かに筋は通ってる。けど、それも罠かもしれないよ。それに鬼や妖怪ってのは、『正解』よりもむしろ『間違い』の方に潜んでるもんじゃないかい?」

「それはそうかもしれないけど……」

 僕はちょっと言葉に詰まった。

「……でも、それを言い出したらキリがないよ。この場合、当たった方が良いのか外れた方が良いのか……」

 考えれば考えるほど分からなくなってくる。もしかしたら、その時間稼ぎこそが淀橋の狙いなのかもしれなかった。

「こうしましょう」

 結局結論に至らないまま、しばらくして、マッスルさんが静かに切り出した。


「アンタら2人で、真ん中の『言わざる』の扉に入りな」

「え……」

「私は1人で『見ざる』と『聞かざる』両方調べる」

「で、でも……」

 マッスルさんが両脇に手を当て、白い歯を見せた。

「1人1人、バラバラに行動した方が危険だよ。誰か1人でも生き残ればそれで良い、って話じゃないんだからね。それに、他の扉を調べない訳にもいかないだろう?」

「だからって、マッスルさんが1人で行かなくても……」

「この中で1番強いのは誰だい? こんな時だけ女扱いは御免だよ」

 

 そう言ってマッスルさんは豪快に笑った。僕と犬飼は顔を見合わせた。2人とも言い返せない。


 実際マッスルさんの言う通りだった。それぞれ扉の先に、どんな危険が待ち受けているか分からない。仮に『正解』だったとしても、そこで出逢うのは『百鬼夜行』、大勢の幽霊や妖怪の行列なのだ。ここは3人バラバラになるよりも、固まって行動した方が得策だろう。かと言って選択肢が3つある以上、誰かが調べない訳にはいかなかった。


「だったらアンタたち、ここで待ってなさい」


 それで、まずマッスルさんが1人で『聞かざる』の扉に入ることになった。先遣隊を買って出てくれたのだ。僕らは扉の前で待機。彼女が途中まで探索して、何事もなければ引き返してくる。それで改めて3人で探索を続ければいい。もしある程度まで待って、それでもマッスルさんが戻って来なかったら……。


「……その時は、2人で『言わざる』に入るんだよ」


 彼女はそう言い残して、慎重に『聞かざる』の扉を開いた。ゆっくりと足を踏み入れる。僕らは息を飲んで、そばでそれを見守った。彼女の足が扉を跨いだが、しかし、それだけでは特段変わったことは起こらなかった。

「……じゃ、行ってくる」

 中でマッスルさんが手を振った。橙色の灯がぼんやりと揺れる。筋肉質な彼女の背中が、その時はとてもたくましく見えた。彼女の影が徐々に遠ざかって行く。


「マッスルさーん!」


 僕らは扉の前から彼女を呼んでみた。しかし、マッスルさんは振り返ることなく奥へ奥へと消えていった。


「きっと聞こえないんだ。これが『聞かざる』なんだよ」


 僕の言葉に、犬飼は黙って頷いた。扉は、開けっぱなしにしておくことにした。



 それから、どれくらい待っただろうか。



 僕の腕時計は相変わらず4:44で止まっている。この霧の影響か、犬飼の時計も機能してないから、正確な時刻はもはや分からない。マッスルさんを待つ間、僕らは何度かトイレや食事を済ませた。別に食欲はなかった。だけどこれから先、いつまともな食事の時間が取れるのかも分からない。僕も犬飼も、扉の前に座り込んで、黙々とミルフィーユを口に放り込んだ。


 重たい沈黙が辺りを包む。僕は膝を抱え、目の前の扉を眺めた。開け放たれた『聞かざる』の扉からは、何の音沙汰もない。


 後どれくらい待つべきだろうか……。


 それから僕はもう2度トイレに立ち、犬飼は5個目のミスフィーユを平らげた。僕が3度目のトイレに立とうとした、その時だった。


「……オーイ! アンタたち!」


 突然後ろから大きな声がした。僕らは驚いて顔を見合わせた。

 マッスルさんが戻って来たのだ。嬉しそうな顔で僕らに手を振っている。ただし、『聞かざる』の扉からではなく、何故かさっき来た道、後ろの方からやって来た。目を白黒させつつ、僕らは急いで彼女に駆け寄った。


「マッスルさん!」

「良かった! 無事だったんですね!」

「アンタたちこそ!」

 僕らは再会を喜び合った。

「どうして後ろから?」

「きっと道が円になっていたんだろう。ぐるぅっと廻って、一周して来たみたいだね」


 マッスルさんは笑った。驚いたが、ホッとしたのもまた事実だ。


 『聞かざる』の扉は外れだった。残るは『言わざる』と、それから『見ざる』の扉である。


「じゃあ……次は『見ざる』を見てくるよ。アンタたちは、そこで待ってなさい」


 ほとんど休む間も無く、今度はマッスルさんが右の扉に手をかけた。

 1番危なそうな『見ざる』の扉。

 中は禍々しいほど暗い闇に覆われていた。それでもマッスルさんは、『聞かざる』からの生還で自信をつけたのか、別に怖気付いたりはしなかった。彼女の燃えるような赤い体が、漆黒の中に溶けて行く。彼女の体が敷居を跨ぎ終えた途端、

「あっ!?」

 何と『見ざる』の扉が、壁に吸い込まれるように消えてしまった。後には壁だけが残された。


「お、オイ!? 消えたぞ!?」

「そんな……」

「『見ざる』って、そういう意味か!?」


 消えてしまった扉の前で、僕らは狼狽えた。しかし、どうすることもできなかった。叩いても擦っても、壁は壁のままウンともスンとも言わなかった。『見ざる』は文字通り見えなくなってしまった。


「しばらく待ってみよう。また後ろから戻ってくるかも……」

 その可能性は低いと思いつつも、僕はすがるように呟いた。そう何度も、自分たちに都合よくことが進むはずもない。僕らは不安げに顔を見合わせ、マッスルさんの無事を祈った。


 再び長い時間が過ぎた。残念ながら、扉が再び現れることはなかった。創業者のおじいさんが持たせてくれた、ミルフィーユもそのうち底をついた。


「……行こうぜ」


 有限の時が刻一刻と過ぎ去って行く。これ以上、待っていても何も起こりそうに無い。犬飼が腰を上げ、静かに僕を促した。僕は俯いたまま、黙って頷いた。


 残された扉は、『言わざる』だ。慎重に扉を開く。中の空間は、こちら側と大差ないように感じられた。それでも警戒心は怠らずに、ゆっくりゆっくりと、僕らは震える足を踏み入れた。


 『扉』の中は、変わらず白い霧に包まれていた。振り返ると、くぐった扉はまだそこにちゃんと存在していた。僕はホッと胸を撫で下ろした。先を歩いていた犬飼が振り返って、僕に何事か言おうとした。しかし……。


「…………」

「…………」


 ……声にならない。僕も言葉を発したつもりだったのに、口からは何の音も出て来なかった。『言わざる』の扉。これくらいは想定済みだった。僕は伊井田から受け取ったスマホを取り出し、画面に文字を打ち込んで犬飼とコンタクトを取った。


『急ごう』

『そうだな』


 そこから先は自然と駆け足になった。後どれくらい時間が残されているかも分からない。進むにつれ、道端に転がった骨や肉も、次第に量を増して行っているような気がした。


 不意に、前方を走っていた犬飼が立ち止まった。霧の先に、再び壁と扉が現れた。今度の壁は白かった。それに、扉は1つだけだ。中央に猿の絵も描かれていない。何の変哲も無い、ただ真っ白な扉だった。向こうの様子を窺おうと、犬飼がドアノブに手をかけた、その時だった。


 声にならない叫び声が、白い霧の中に木霊した。

僕は何事かと首を伸ばした。前方で、犬飼が驚いたように手元を見つめていた。

そこに、真っ白な蛇がいた。

手をかけた瞬間、ドアノブが真っ白な蛇へと姿を変えたのだ。蛇は大口を開け、鋭い牙で犬飼の手首に噛み付いてきた。さらにそれが合図だったかのように、空中から、白い蛇が何匹もボトボトと落ちてきた。硬かった地面はいつの間にか波打ち、何匹もの大蛇へと形を変えた。足元が揺れ、それ以上、立ってられなくなった。僕は腰を抜かして悲鳴を上げた。悲鳴は虚空へと吸い込まれ、無音だけが僕たちの耳を貫いた。


 犬飼は顔を苦痛に歪ませ、それでもドアノブを離さなかった。白蛇の胴体ごと引き寄せ、扉を強引に開ける。それからもう片方の手で、僕の首根っこを捕まえ、扉の向こうへと力強く放り投げた。


「……犬飼ッ!」


 今度は声が出た。白い扉の向こうには、硬い地面があり、僕は受け身を取り損ねて腰を強かに打った。白蛇の何匹かが、チロチロと赤い舌をクネらせ、僕を追って向こうから這い寄って来る。犬飼は蛇の侵入を防ごうと、向こうから力任せに扉を閉めた。


「犬飼ッ!?」


 白い扉は閉まった瞬間、煙のように消え失せてしまった。僕は尻餅をついたまま、何もなくなった空間をただ呆然と見つめていた。一瞬の出来事だった。

 

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