第27話 校舎裏の幽霊の謎・解決編 参
夜も更け、その日は解散となった。
翌日。
「見てもらいたいものがある」と言い、僕はみんなを学校の美術室に集めた。
金曜日の放課後。
雨はまだ続いている。外は暗い。窓を叩く雨粒が、少しずつ強くなって来た。
幸い、美術室は
「……えぇと。僕がこう言う推理に至ったのには、あの夜、何点か気づいたことがあって。まずみんなに知っておいて欲しいのは、『ミステリー』にはある程度の『ルール』があると言うことです」
「ミステリーのルール?」
「えぇ。有名なのは、『ノックスの十戒』とか……」
僕の説明に熱が帯びた。例えば、
犯人は、物語の当初に登場しておかなければならない。
とか、
解決方法に、探偵が超自然的能力を発動してはならない。
とか、
探偵は、偶然や第六感で事件を解決してはならない。
……などである。
昔ロナルド・ノックスと言う作家が、ミステリーをフェアに楽しむために、読者を愚弄するようなことがあってはならない、と定めたルールである。他にも有名な物に『ヴァン・ダインの二十則』などがある。もっとも、ミステリーを知らない人にとっては、「へぇそう」くらいのものだ。
「じゃあ、ダメじゃねえか」
周りに集まった大勢の幽霊を見渡して、犬飼がずっこけそうになった。確かに、関係者がほぼ超自然的存在である今回の事件は、純粋なミステリーとは口が裂けても言い難い。僕は頷いた。
「もちろん、これは絶対に守らなきゃいけないって訳じゃなくて。あえてその『ルール』を破った作品もたくさんあるし……とにかく僕が言いたいのは、これはミステリーでもなんでもない。だけど犯人によって、そう言う風にミスリードされたんじゃないか……っていうこと」
「どう言う意味……?」
「『ルール』がどうのこうの言われると、何か
僕は淀橋をちらりと見た。
彼はみんなの輪から少し離れたところに座っていた。静かな微笑を携え、今のところ黙って僕の推理を聞いている。
「……自ら『自分は犯人です』と名乗った。そう言われると、僕なんかはどうしてもミステリーを思い出してしまう。最初、彼が自ら『犯人です』と名乗ったので、僕はてっきり彼が七不思議の謎を解いて欲しいんだとか、そう言う風に思い込んだんだ」
「違うの?」
「いいや。『事件を解決させる・させない』と言うミステリーの
これを閃いたのは、昨晩、淀橋がやたらと『ルール』を強調したからだった。『ルール』とはつまり、『枠内』だ。『枠の外』に知られたくないものがあるから、『
「本当の目的って?」
「
僕は言いながら美術の教科書をパラパラと捲った。
「なぜ犯人は、わざわざ僕らの前に姿を現したのか?
『クイズ形式』なんて、手間のかかる方法で僕らに七不思議を解かせようとしたのか?
それはきっと、『事件を解決させる・させない』と言う
「事件を広めてもらう……?」
「なんで?」
「その前に、まずはこれを見てくれ」
僕は教科書のあるページを開き、みんなに見せた。机の上に開いた教科書を、全員が覗き込んできた。
「これは……」
「幽霊の、掛け軸?」
「おりょうさんに、ちょっと似てるわね」
それは、美術の資料として掲載された一枚の写真だった。熊本県・永国寺にある『幽霊の掛け軸』。このお寺は幽霊が出るとして有名で、僕らの教科書にも最初の方に資料として載っていた。
そこでようやく淀橋が口を開いた。
「オイオイ。まさか荒草探偵。この掛け軸の写真が、おりょうさんの正体とでも言う訳じゃないだろうね?」
「……ちょっと違う。だけどこれはひとつの……
「きっかけ? なんの?」
「『霊感を得る』きっかけさ」
僕は淀橋に向き直り、彼の手に持っている古びた本を指差した。彼に読ませてもらった、あのおとぎ話だ。淀橋の表情は変わらなかった。
「例えば、その本」
「……この本が?」
「それに、この掛け軸」
淀橋が目を光らせた。
「まさか君……『おりょうさんは本の中の登場人物で、その中から飛び出してきた』なんて、メルヘンなこと言いださないだろうねえ?」
僕はゆっくり首を横に振った。
「……それもちょっと違う。僕が思うに、おりょうさんの正体はきっと……
「……うわさ?」
「おりょうさんなんて幽霊は、つまり、
「え?」
「存在しない??」
「でも……待ってよ。私たちは確かに彼女の姿を……」
「うん。彼が持っている本や掛け軸の写真が、霊感を得て、『おりょうさんの姿を見る』きっかけになったんだ」
「……なんだかややこしくなってきたな。じゃあ何か? 俺たちは、幻覚でも見てたのか?
犬飼がイライラと頭を掻いた。僕はゆっくりと言葉を吐き出した。
「幻覚っていうより、噂が形を持って、実体化した姿かな」
「噂が実体化?」
「どういうこと? もっとはっきり言ってよ」
「それを話す前に、そもそもまず、どうして僕らは急に霊感に目覚めたのか。何かその、きっかけがあると思ったんだ」
僕は掛け軸を指差した。
「つまりこの美術の教科書だよ。選択科目。霊感に目覚めた人には、共通項があったんだ。つまり、全員『美術』選択だった」
「選択科目……!?」
「美術選択の一年生は、教科書を配られ、まずこの掛け軸を『見た』。それこそがきっかけだったんだ。犬飼や、僕のクラスの沢田さんなんかは、音楽選択だった。だからこの幽霊の写真は『見ていない』。同じ生徒でも、見える人と見えない人に別れたのは、そう言う共通項があったんだ」
「じゃあ、俺が急に霊感に目覚めたのは……」
「淀橋が手に持っている、あの本を直接『見た』から。
七不思議について書かれたあの本や、この写真。
『おりょうさんの正体』っていうのは、つまり、彼女自身の噂の存在を広める
「媒体……!?」
……正直僕も、この部分に至っては確たる証拠はなかった。
そもそもおりょうさんが純粋な幽霊じゃないんじゃないか、と思ったのは、夏の合宿所でのことだ。合宿所のおじいさんには、おりょうさんの姿が見えなかった。幽霊のおじいさんには霊感がないから。何か引っかかるが、その時はそう納得した。おりょうさんは、他の幽霊から姿を隠しているんじゃないか、とさえ思った。
だけど、実際おじいさんがおりょうさんを見えなかったのは、単純に噂を知らなかったから……『媒体』に触れていなかったからじゃないか。
そう思うに至るきっかけは、立花さんと交わしたあのミステリーの話だ。
僕らはあの日、図書室でイマイチな出来のトリックについて語り合った。僕にはそれが嬉しかった。ミステリーを語れる人は多くない。当たり前の話なんだけど、同じ本を読んでいなければ、その内容について詳しく語ることなんてできない。
フィクションの事件は、本の中で起きている。本を読んでない人にとっては、トリックがどうのこうの言われても、何のことだか分からない。事件そのものが
『おりょうさん』についても、同じことが言えるんじゃないか。そう思った。つまり存在するはずのない彼女の存在が見えるのは、その噂を『知っている』から。彼女について書かれた本や写真が媒体となって、その存在を感じられる……つまり霊感が目覚めるから。
僕は頭を振った。
「……いや。媒体自体は別に本や写真じゃなくても、何でもいいんだ。きっかけは何でもいい。要するに、おりょうさんに関するものだったら。クイズの、おりょうさんを『持ってくる』っていうのは、その噂の媒体を何かしら持ってくるってことじゃないかって」
しばらく美術室が静まり返った。僕は黙って淀橋を見つめていた。僕の話をじっと聞いていた淀橋は、まだ何も言わなかった。
「なるほどね……媒体……」
「噂そのものがその正体、か」
「だけど……噂が実体化する? それで幽霊が見えるようになる? そんなことがあり得るのか?」
犬飼が頭を抱えた。
しかし考えてみれば、おりょうさんに限らず、幽霊や都市伝説の作りそのものが、噂の実体化なんじゃないかと思う。口裂け女しかり、メリーさんしかり。みんなどこからか噂が広まり、口頭でその存在が
そして僕らの住む町では、噂が広まるのは非常に速い。里中さんなんて最たるものだ。彼女もどこかで噂を聞きつけ、そして媒体に触れた。だから霊感が目覚めた。噂はそれ自体が娯楽として、尾ひれをつけて急激に広まって行く。そうして元は単なる噂だったものが、ある日突如現実のものとなる。おりょうさんしかり、百鬼夜行しかり。
「……だから犯人は、あえて『クイズ形式』にしたんだ。答えを教えるんじゃなく。クイズにすれば、僕らはそれを調べ、あるいは誰かに尋ねる。そうやって『百鬼夜行』の噂をどんどん広めてもらう。そうすれば、おりょうさんの存在はより強く、形を持って実体化して行く。みんなの頭の中で。あるいは本になって。七不思議になって、心霊スポットになって。噂が広まる。それこそが、犯人の真の目的だったんだよ」
「……どうなんだ?」
犬飼がしかめっ面をして淀橋に尋ねた。
「お前の話、どっからどこまでが本当なんだよ?」
今や全員が淀橋を見つめていた。淀橋は、相変わらず笑みを携えたまま……突然ボンッ! と大きな音を立て、白い煙を残して消えてしまった。後には、彼が手にしていたあの古びた本が残された。
「あっ!? 逃げた!」
「オイ、どうすんだ羊! 犯人が逃げたぞ!」
「……とにかく」
僕はゆっくりと落ちた本を拾い上げた。2つ目の鍵。これが噂の媒体、おりょうさんの正体だ。
「犯人を追おう。鍵は揃った。ここまで来たら、行ってみるしかないよ。実体化した噂の中……『百鬼夜行』の中に」
「……だな。どっちみち立花さんは、その中にいるんだもんな」
僕らは顔を見合わせ、頷き合った。
金曜日の放課後だった。明日から土日だから、遠出するには丁度いい。
早速その日のうちに、救助隊が組まれた。クラスメイトが幽霊に誘拐されましたなんて、まさか警察に相談する訳にも行くまい。
七不思議のほとんどはお留守番になった。『百鬼夜行』の中に入ると、幽霊は問答無用で人間を襲うようになる。淀橋が語ったこの話が、果たして本当かどうか分からない。だが、試してみるにはあまりにリスクが大きすぎた。
それから僕らは通用口に移動した。以前僕が『百鬼夜行』と出くわした、あの通用口だ。通用口の前に立つ。鏡と、それから古びた本を掲げると、周りに白いモヤモヤが出来始めた。噂の実体化……『百鬼夜行』の入り口が開いたのだ。僕らは息を飲んだ。この中に、立花さんがいる……。
白いモヤモヤに入る前、『ミルフィーユ店』のおじいさんや、合宿所の管理人が激励してくれた。
「がんばっといで!」
「必ずや我が店の子孫を、助けてくるんじゃぞ」
「あんまり心配し過ぎるんじゃないぞ。万が一の時は、ワシら、先にあの世で待ってるからのう」
「それ、シャレになってません」
餞別として、トイレの……もとい花屋の花子さんからは『花のお守り』や、それからタケゾウからはリコーダーを手渡された。例のおとぎ話にも出て来た『花のお守り』はともかく、リコーダーが妖怪相手に武器になるかは、正直怪しい。だけどまぁ、有り難く受け取っておくことにした。里中さんは、連絡係として外で待機してもらうことにした。
「何かあったらすぐに連絡してね。もし中が圏外だったら……」
「圏外だったら?」
「……その時は、ダイイング・メッセージでも遺しておいて」
「それも、シャレになってません」
「俺たちは行くぞ。元々備品だからな。鏡にもちゃんと映る」
「任せといて! 多分アンタたちより、全然私のが強いよ!」
白いモヤモヤの前で、骨野郎と『マッスルさん』がドンと胸を叩いた。僕は頷いた。実際その通りだろう。少なくともリコーダーよりは頼りになりそうだ。
「行くぞ。これこそ、霊界大戦争だ」
「現代科学の力を、見せてやりましょうぞ」
伊井田と犬飼が意気込んだ。
こうして
人体模型2つに、
しゃべるダビデ像と、
スマホを片時も離さないゲームオタク、
それから、『人を殺す方法』が書かれた本を散々読み込んだ僕
という、どう取り繕っても
「『サザエさん』までには、戻って来られるんでしょうな?」
「え?」
緊張感に包まれる中、僕の隣で、伊井田が真顔で尋ねた。僕は目を丸くした。『サザエさん』と言えば……日曜の午後6時半。2泊3日くらいでパパッと妖怪を退治して。それまでに立花さんを助け、戻って来られれば。後はゆっくりご飯を食べて、お風呂に入ってぐっすり眠り。月曜には意気揚々と登校できる。もっとも、意気揚々と登校したことなど、これまで一度もなかったけど。僕はちょっと驚いて伊井田を見返し、一呼吸置いてニヤッと笑った。
「冗談言うなよ。『ちびまる子ちゃん』までには、だろ?」
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