第17話 自販機
『トイレの花子さん』
『しゃべり出すベートーヴェン』
が空振りに終わった僕らは、次に『4時44分44秒』の謎を調べることにした。もう直接、その時間帯に学校に行ってみることにしたのだ。早朝4時手前に目を覚ました。枕元には、昨日の晩途中まで読みかけたミステリー小説が転がっている。僕は寒空の下、白い息を吐き出しながら原付に跨った。回転し出したエンジン音が、朝の澄んだ空気を波打って響いた。
日の出はまだまだ遠く、学校へと続く道はひたすら暗い。ときどき新聞配達の原付とすれ違うくらいで、田んぼ道は異様なほど静寂に包まれていた。七色に光り輝くネオンサインも、24時間鳴り止まない歓楽街の騒音も、僕の生活する半径数10キロの世界には見当たりそうもない。代わりに道に佇んでいるのは、
何を祀っているのか良くわからないお地蔵さま
だったり、
『飛び出し禁止』のプラカードを持った不気味な人形
だったり、
カラスよけに掲げられた巨大な目玉の案山子
だったりする。
日常生活がホラーに片足突っ込んでいると言っても過言ではない。鎌を持った半裸の老人が、(農作業のため)昼間っから平然とウロウロしているような世界である。そりゃあ、トイレには『花子さん』も出るし、『ベートーヴェン』だって、しゃべりたいことはたくさんあろうというものだ。
4時半手前に、何とか学校にたどり着いた。
「おはよう」
「おはよう。よく眠れた?」
駐輪場に行くと、すでに伊井田と立花さんが僕を待っていた。2人とも冬服姿で、寒そうに風除けの下で身を縮こまらせていた。何処から調達してきたのか、伊井田は『安全第一』と書かれた黄色いヘルメットに、業務用の巨大な懐中電灯を装備していた。
「5時からログインボーナスが配布されるんだよ」
「え?」
「ゲームの話」
「あぁ……」
「だから異世界に飛ばされるにしても、10分程度で終わらせてほしいでござる」
彼ならたとえ目の前で地獄の門が開こうとも、最期のその時までスマホの画面を見ているに違いない。
「4時44分に、何か起きると思う?」
「う〜ん……」
僕は笑った。今までの経験上、何も起きないとはとても言えない。それに、たとえ幽霊じゃないにしろ、この世に怖いものはたくさんある。例えば此間の中間テストの結果とか、将来の事とか、それと後、僕と立花さんの関係がどうなるのか、とか……僕は立花さんをそっと覗き見た。立花さんは、あったかいお茶をホッカイロ代わりに両手で包み込み、少し不安げに視線を落とした。
「あれから私、親に聞いてみたのよね。おりょうさんのこと……でも」
立花さんの両親は、立花洋菓子店のパティシエだ。2人とも僕らと同じ仁馬山高校出身だから、僕らの
「でも『何も知らない』って言うんだよね。いや、知らないって言うか、なんかはぐらかされてるような……」
「あぁ、僕の親もそうだったよ」
僕は頷いた。あれから一度、夕食の席で両親に尋ねてみたのだ。だけど芳しい答えは返ってこなかった。むしろ何か隠しているような、微妙な気まずさが食卓を包んだだけだった。何か妙だ。
「……何か知ってるのかな?」
「かもしれないね。箝口令が敷かれているのかも……」
何れにせよ、素直に教えてくれそうもない。その態度がますます怪しく、ますます僕らを謎解きに夢中にさせた。『見るな』と言われると、俄然見たくなるのが人間の心理である。
「知ってて黙っているのかもしれない。何か話せない、話したくない理由があるのかも……」
「だったらおりょうさんが現れたのは、今回が初めてじゃないってことね。何だろう? 同じ幽霊でも、見えるひとと見えないひとがいるのが不思議よね……」
立花さんが小さく首を傾げた。
「私、霊感なんて持ってないはずなんだけどな」
「僕もだよ」
ぼんやりと話しているうちに、44分が近づいてきた。僕らは校門の前に移動した。3人で寄り添って、正面の東棟の壁に設置された巨大なアナログ時計を見上げる。重力に逆らって、ゆっくりと針が登って行った。44分になった。
「……何も起きませんなあ」
伊井田が間延びしたように呟いた。実際、目の前の校舎は何ら変哲もなく……突然屋上の空が破け、異形の化け物がその隙間から鋭い眼光でこちらを睨み、さらに校庭からは何本もの腐敗した手が生えてきて、校内のスピーカーから「うひひひひひ……」なんて不気味な嗤い声が響き渡り、それから人間と妖怪を二分する、霊界大戦争が幕を開けた……りはしなかった。時は止まらなかった。近くのあぜ道を、トラックが通ってゴトゴトいった。校舎の間を夜風が通り抜けてびゅうびゅう鳴って、僕は身を竦ませた。
すると、どこからともなくおりょうさんが現れた。
「こんばんは。みなさんお揃いで……」
おりょうさんは少し驚いた顔で僕らを見た。最近じゃ、よく驚く側と驚かす側が逆転している。”幽霊あるある”だ。いや、本当に”あるある”なのかどうかは知らないけど。
「何してるんですか? こんなところで」
「何してるも何も、おりょうさんの謎を調べてたんだよ」
僕は『4時44分44秒』の七不思議について詳しく彼女に説明した。話を聞き終わると、途端におりょうさんは笑い出した。いかにも幽霊といった不気味な笑い方……ではなく、「うふふふふ……」みたいな、心底可笑しいと言った感じの笑い方だった。
「まぁ、『七不思議』なんて。怖いと言うより、可愛らしいと言うか、なんて言うか……」
「おりょうさんが言わないでよ」
僕はちょっと恥ずかしくなって、照れ隠しに口を尖らせた。元はと言えば、おりょうさんのせいではないか。
「ちょうど良かった。おりょうさん、飲み物買ってきてよ」
「え? 飲み物?」
「自販機の使い方は、この間教えたでしょ。はいこれ、お釣りは好きにしていいから。僕、あったかいお茶がいい」
「あ、私もお茶お代わり」
「ワイはオニオンスープが良いでござる。海老のビスクがあれば、そっちの方が……」
「贅沢言うな」
「……何だかみなさん、最近私の使い方荒くありません?」
「早く! 1分しかないんだから!」
「もう……」
ブツブツ言いながらも、おりょうさんは暗闇の中にふわふわと消えていった。我ながら、おりょうさんのあしらい方も大分板についてきた感じである。少なくとも、もし霊界大戦争が始まっても、温かいお茶には困らないだろうなと思った。
「おい、羊」
すると伊井田が、不意に僕の肩を叩いた。見ると、校舎の奥を指差している。校門の中はまだ仄暗く、よく見えなかった。
「……何だよ?」
「さっき、一瞬中で明かりがついたような……」
「えぇ?」
「私も見たわ」
立花さんが頷いた。僕は暗闇に目を凝らした。すると、明かりはつかなかったが、校舎の中からガラガラと、扉を開けるような音が微かに聞こえてきた。
「……誰かいるんだ」
僕らは緊張した面持ちで顔を見合わせた。
「警備員じゃない?」
「残業の先生? 宿直とか?」
「一体何でこんな時間に……もうすぐログインボーナスがもらえるってのに……」
「行って見ましょう」
ログインボーナスはどうでもいい。話し合いの結果、僕らは中に入ってみることにした。もしかしたら幽霊か、仮にただの警備員だったとしても、せっかく早起きしてここまで来たのだから手ぶらで帰るのは何だか癪だ。何か手応えとか、手がかりみたいなものが欲しかった。
「万が一見つかっても、早めに宿題しに来ましたって言いましょう」
立花さんがいたずらっぽく笑った。授業が始まる前に、わざわざ学校に勉強しに来る生徒なんて見かけた日には、警備の人も仰天して気絶してしまうかもしれない。何だか悪いことをしているような気分になって、僕はちょっとだけ、ワクワクしながら校門をよじ登った。
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