第16話 音楽室の謎・解決編

「あぁ、確かに。あの絵画は、2、3年前に買い直されてる。今貼ってあるベートーヴェンの絵は、新しいやつだよ」


 音楽担当の川端先生がそう告げた。


 僕らは今、職員室にいた。別に、素行不良で呼び出された訳ではない。例の音楽室の肖像画について、自分なりに調べていたのだ。川端先生は、モーツァルトのなりそこないみたいな巻き毛をユッサユッサしながら、高音のソプラノボイスを響かせた。


「昔のは破損が酷かったから、処分したんだ。次の絵を買う予算が下りるまで、中々時間がかかってねぇ……」

 

 それからしばらく川端先生の愚痴に付き合った。僕らはお礼を言って職員室を出た。結局話をまとめるとこうだ。つまり当時、『七不思議』としてしゃべっていたベートーヴェンは、もはや僕たちのあずかり知らぬところにある。新しい方のベートーヴェンは、今のところしゃべり出しそうな気配もない。1つの『七不思議』の終わりを知って、案外呆気ないものだな、と思った。


 その代わり、入れ替わるようにまた別の『七不思議』が現れた。沢田さんが話していた、例の『勝手に鳴り出す楽器たち』である。


 真夜中に、亡くなった生徒や先生が勝手にピアノを弾いていた……なんて怪談話は、きっと全国どこにでもあるのだろう。何となく僕も聞いたことがある。


「私……私が1人残って練習してると、急に……ピアノが鳴り出したりするんです……!」


 沢田さんは軽音楽部だった。

 楽器を弾き始めたのは高校生になってからで、ほぼほぼ初心者だった。部活に入った当初はそれこそ夢中になって活動に励んでいたらしい。部員が帰った後に、1人だけ残って楽器を弾いていることも多かったとか。だけど最近になって、周囲の異変に気がついたのだと言う。


「棚にしまってある楽器とか……私が触ってもいないのに。最初は気のせいかとも思っていたんですけど……もしかして」


 そう言って沢田さんは声を震わせた。彼女に霊感はなかった。見えないからこそ、勝手に物が動いたり音を出されたりするのは、そりゃあ不気味に違いない。


 それからまた別の放課後、僕らは音楽室に向かった。

今日は軽音楽部のメンバーが揃っていた。部活動としても文化祭の出し物を企画しているみたいで、どうやら演奏会を行うらしい。沢田さんもその練習に明け暮れていた。先日の会議の時、夢中で楽譜を読み込んでいたのもそのせいだろう。


 僕と伊井田は端に座り、しばらく練習風景を見学させてもらった。開けた窓から秋風が吹き込む。それと入れ替えに、ブオーとか、バオーとか言う重低音がひつじ雲に向かって飛んで行った。楽曲がfullで演奏されることはなく、時々確認するように立ち止まっては、また音を再開するを繰り返していた。僕はトランペットを吹いている沢田さんを見つめた。顔を真っ赤にして息を吹き込んでいる姿は、とても一生懸命で、だけど何だか思い詰めているようにも見える。


 練習が終わるのは、午後8時を過ぎていた。窓の外はもう暗く、星が瞬いている。音楽室特有の、分厚い大きなカーテンに隠れて様子を窺おうとすると、はいた。


「うわァ……!?」


 体育座りをして、こちらを見上げているのは、何だか古めかしい制服を着た男子生徒だった。明治時代にいた学生って感じだ。歳は自分たちと同じくらいだろうか。黒縁眼鏡をかけたその男子は、体が青白く半透明になっている。どうやら幽霊らしかった。腰を抜かした幽霊男子が、慌てて眼鏡をずり上げた。


「びっくりしたァ……!」

「こっちのセリフだよ」


 僕は呆れた。どうして僕の周りに出てくる幽霊たちは、いつも自分たちの方がびっくりしているのだろうか。


「お主……誰でござるか? 一体何の用でここに……」

 伊井田が恐る恐る尋ねた。ようやく落ち着きを取り戻したその男子生徒は、ポツポツと自分のことについて語り始めた。

 

 彼の名前はタケゾウと言った。明治時代。タケゾウはウチの近くの学校に通っていた生徒で、ある日、ふとした事故で亡くなってしまったらしい。タケゾウは生前ピアノを習っていて、どうしても音楽の道が諦めきれなかった。それで夜な夜な出身校に忍び込んでは、ピアノを弾いていたようだ。全体さえ分かれば、なんてことはない、良くある怪談話だ。


「そしたら、その子が……」

 半透明の指で、タケゾウが沢田さんを指差した。沢田さんには幽霊男子が見えていないらしく、彼女はぽかんと口を開けたたままだった。


「何やら一人、一生懸命練習していたから……へへ。つい応援してやりたくなって」


 タケゾウが頭を掻いた。彼にも悪気はなかったらしい。彼がピアノを鳴らしていたのは、沢田さんを励ますためだった。練習に熱を出す沢田さんを見て、幽霊なりに何とかしてやろうと思ったのだろう。


「でも、彼女怖がってるからね。完全に逆効果だよそれ」

「ありがた迷惑ってやつでござるなあ」

「すみません……」


 僕はため息をついた。タケゾウは恐縮したように体を縮こまらせた。どうやら分かってくれたようだ。おりょうさんの件は相変わらずだったけど、『七不思議』の謎がまたひとつ解けて、これで沢田さんも一安心というところだろうか。


「沢田さん、ということで……」

「ひぃいっ……!?」

「え?」


 僕が沢田さんの方を振り返ると、しかし何故だか彼女はドン引きしていた。


「ど、どうしたの沢田さん……?」

「いやぁっ、怖いッ!?」

「大丈夫でござるよ。この幽霊は別に悪さをするような者ではござらんから……」

「幽霊!? あなた達、さっきから誰としゃべってるの!? 幽霊なんて、いる訳ないじゃない!?」

「へ?」


 沢田さんは怯えるように僕らから遠ざかった。


「だって、沢田さんが『急に楽器が鳴り出す』って言い出して……」

「私、楽器の故障かと思ったんです! それか、小動物が忍び込んでるとか……幽霊だなんて! 信じられない! 何なのこの人達!?」

「いや、だから『七不思議』が……」

「七不思議……? 何それ、怖っ!」

「えぇ……」

「怖っ!! 私そんなこと一言も言ってないのに! 幽霊って何!? この人たち、幻覚を見ているわ。疲れてるのかしら? きっと疲れてるのよ。はっ!」

「沢田さん、なんか吹っ切れ過ぎてキャラ変わってない……?」

「私もちょっと、コン詰め過ぎてたのかも! いけない! このままじゃ、楽しかったはずの演奏会も、楽しめなくなってしまう。休まなきゃ! しっかり休んで、楽譜を覚えるのはそれからだわ! じゃないとこの人達みたいに、幻覚を見てしまう。そうよ私!」

「ええぇ……」

「こうしちゃいられないわ! 今すぐ体調管理よ!」


 沢田さんはトランペットと楽譜を抱え、大急ぎで音楽室を飛び出して行った。後には静寂が残された。


「あの〜……これって僕のせいですかね……?」

 タケゾウが申し訳なさそうに頭を掻いた。僕はもう、苦笑いしか出てこなかった。


「まぁ、霊感がない人からしたら、あれが普通の反応なのかなぁ……」

「確かにちょっと怖がらせてしまったかもしれないけど、これでまた元気になったなら結果オーライじゃないでござるか?」


 伊井田がうんうんと頷いた。確かに、彼女は傍目にも疲れているように見えた。何だかあらぬ誤解を受けてしまったようだが、これはこれで良かったのだろう。実際、沢田さんはそれから見事に復活して、演奏会は無事成功したらしい。ちなみに僕らのクラスではカフェをやったが、こちらはあんまり繁盛しなかった。


「勿体ないですねぇ。こんなに美味しそうなのに……」


 おりょうさんが出来上がったカプチーノを覗き込みながら、不思議そうに小首を傾げた。きっとそれは、おりょうさんやタケゾウがガンガン音を立てているせいではないのかな? と僕なんかは思ったが、言わないでおいた。こうして、『音楽室の勝手になる楽器』の謎は解決したが、その代わり生徒達の間では、『あのカフェにはらしい』なんて噂が、まことしやかに囁かれるようになった。

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