第15話 音楽室の謎

 季節は10月になり、緑の眩しかった真夏の木々にも、所々黄色や橙が色付き始めた。

仁馬山高校では、文化祭が近づいていた。僕のクラスでも生徒たちの一部が張り切って、どんな出し物をするか、放課後になると毎日のように居残りして話し合っていた。


「はいみなさん! うちのクラスは一体何が良いと思いますか? 劇? 出店? それとも……お化け屋敷?」


 クラスの文化委員が甲高い声で取り仕切っているのを尻目に、僕は毎回席の後ろの方で、会議に参加するふりをしてミステリー小説を読んでいた。別に文化祭自体が嫌いな訳ではない。ただこう言う大人数での『一体感』みたいなものが、僕は微妙に苦手だった。『ホラ! 楽しいでしょう!?』とか、『みんなで頑張ろう!』みたいなこの感じ……楽しかったら自然と楽しむし、頑張りは誰かに強要されるものではない気がする。


 かと言って、群れを飛び出してしまうほど、尖った不良にもなりきれない。大体ミステリーでも、わがままを言って1人身勝手な行動をする奴から殺されていくのだ。生き残りたかったら皆と一緒にいるしかない、しかしこの中に、真犯人が紛れ込んでいるかもしれない……このジレンマ。最もウチの文化祭で、そんな血を見るようなことには、ならないと思うけど。


「そこ! 真面目にやってる!?」


 不意に金切り声が響き渡った。ビクリと体を跳ねさせて顔を上げると、クラス全員が窓際の席を見つめていた。


 大勢の視線に糾弾されていたのは、僕……ではなく、名前もよく知らない、クラスの地味目な女子だった。確か

沢田さん……

斉田さん? 

残念ながら、そこまで他人に興味がない僕は、クラスメイトの名前を全員分キチンと把握している訳ではない。とにかく彼女は全員に見つめられ、蛇に睨まれたカエルのように硬直していた。


「……ご、ごめんなさい」

「沢田さん、ちゃんとやらなきゃダメでしょ? 皆真剣なんだよ?」


 委員の子が口を尖らせた。それで名前が分かった、彼女は沢田さんだ……沢田さんはボリュームたっぷりの毛髪を執拗に撫で付け、顔を真っ赤にして俯いた。


「ごめんなさい……」

「まったくもう……何見てんのよ? それ、楽譜?」

 ガタンッ

、と次の瞬間、僕の隣から音がして、伊井田が立ち上がった。さらに彼が手に持っていたスマホから、とんでもない爆音でゲームの”ファンファーレ”が鳴り響いた。伊井田がスッと手を挙げた。


「……スンマセン、ゲームやってました」

 静まり返った教室を、場違いな電子音が包んだ。僕は伊井田の考えがなんとなく読めて、続いて席を立った。


「すみません、僕もちょっと小説を読んでて……話聞いてませんでした」

「……もうっ! 何なのよ、アンタ達ッ!?」


 金切り声がさらに1オクターブ高くなり、僕ら3人は罰として教室を追い出され、他のクラスの出し物の偵察に行かされる羽目になった。

僕はチラと伊井田を横目見た。

沢田さん1人に非難が集中するのを恐れて、伊井田はわざとゲーム音楽を鳴らしたのかもしれない。いやもしかしたら、素でゲームに熱中していたのかもしれない。まぁ、僕はどちらでも構わなかった。教室中のクスクス笑いや、冷ややかな目を背中に浴びながら、それでも僕らはまんまと会議を抜け出すことに成功した。さすがにちょっと恥ずかしかったが、あのままあの場に僕らがいても、きっと最後まで何も生み出さなかっただろう。


「ごめんなさい……ごめんなさい」

 沢田さんは相変わらず顔を真っ赤にして謝っていた。僕は伊井田と顔を見合わせた。謝るのは僕らの方である。見方によっては、彼女を利用して会議を抜け出したと見れなくもない。


「別に気にしなくていいでござる」

「ござ……!?」

「気にしないで。いやホントに」


 伊井田の語尾にショックを受けている沢田さんを残して、僕らは音楽室に向かった。他のクラスの出し物を偵察する気などさらさらない。それよりも『七不思議』について調べて回る方が何だか魅力的に思えた。目指すは音楽室に飾られている、『しゃべりだすベートーヴェン』の肖像画だ。


 僕らの高校はそもそも音楽は選択科目だった。音楽、書道、美術の中から好きなものを選べる。僕は美術を選択した。別に絵画に興味があった訳じゃない。立花さんが美術を選んだから、僕も美術にしただけの話だ。だから、思えばこの高校に入学して以来、一度も音楽室に足を運んでいなかった。


 学校中が文化祭の準備に夢中になっているせいか、幸い音楽室には誰もいなかった。電気をつけると、なるほど奥の壁際にずらりと、教科書に載っているような『偉大な音楽家』たちの肖像画が飾られていた。目当てのベートーヴェンは教室の左側、窓の方から数えて5番目だ。手に楽譜や指揮棒らしきものを持ち、キリッとした目でこちらを見つめている。


 それからしばらく僕らは絵の前に立ち、ベートーヴェンに話しかけた。しかし……

「……しゃべり出しませんなあ」


 伊井田が拍子抜けしたように肩を落とした。絵画はウンともスンとも言わなかった。もしや時間帯や、話かけ方が悪いのかと思い色々試したが、しかし結果はいつも同じだった。『トイレの花子さん』は実在したから、まるっきり嘘だとも思えない。だったらこの絵は、当時とは別物なのか……。


「あの……」


 その時だった。教室の扉がガラガラと音を立てて開き、声をかけられた。振り向くと、さっき別れた沢田さんが、俯き加減でこっちを眺めていた。沢田さんはふわふわヘアーを撫で付けながら、か細い声を絞り出した。その顔は相変わらず真っ赤なままだ。


「あの……」

「何か……?」

「……もしかして音楽室の謎を、探ってるんですか?」

「え?」

「謎?」


 沢田さんの伏目は、期待と不安がごちゃ混ぜになっていた。


「私もなんです……実はここ数ヶ月、ずっと悩まされてて……」

「それって……」

「お願いです……私がここに来るたび、妙なことが……。楽器が、勝手に鳴り出すんです……!」


 沢田さんは怯えるように言った。僕らは顔を見合わせた。沢田さんの悩みは、だけど僕らが探していた『しゃべりだすベートヴェン』とは、全然違うものだった。

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