第14話 フェス
「あ……」
しばらくの間、僕らは足に根が生えたようにその場に立ち尽くした。狭い個室の隙間から、仄かに青白い輪郭が浮かぶ。探るような目でこちらをじっと見ているのは、小学生くらいの幼い少女だった。ややあって、立花さんが恐る恐る喉を震わせた。
「あなたが……花子さん?」
「……うん」
少女はこくんと頷いた。それから硬い表情のまま口をぎゅっと結び、一言も喋ろうとしない。気難しい子のようだ。七不思議になって怖がられるくらいの幽霊なのだから、当然かもしれない。これで仮に、陽気でヒャッハー!! な花子さんが出てこれらても困る。それはそれで、逆に恐怖を感じるかもしれないが……。
「あの……花子さん」
僕は手短に用件を切り出した。小学生相手に『さん付け』と言うのも妙な気分だが、しかし『花子ちゃん』だとまたニュアンスが変わってしまうし、ましてや『花ちゃん』なんて気軽に呼べる程近しくもない。
「花子さんは、おりょうさんって知ってますか?」
「…………」
「ウチの高校に、おりょうさんって幽霊が出て」
「…………」
「それで『花子さん』なら、何か知ってるかなって……」
「…………」
「…………」
「あの……」
「…………」
「…………」
だけど花子さんは押し黙って、伏し目がちに床を見つめるのみだった。トイレの中を、重たい沈黙が包んだ。
「……違う」
「え?」
「違う」
やがて少女の口からポツリと転がった言葉は、しかし僕らが期待したような答えではなかった。
「……花子は、おりょうさんなんて知らない」
「どう言うこと?」
「知らないの?」
「知らない」
「変ねえ……。同じ七不思議同士だから、何か知ってると思ったんだけど」
「違う」
「違う?」
「花子、
「え……」
僕らは顔を見合わせた。
「あの、花子さんって、仁馬山高校にいたんじゃ……」
「違う。花子、ずっとここにいたってば」
花子さんがぷくうとほっぺを膨らました。機嫌を損ねてしまったみたいで、立花さんが慌てて『ミルフィーユ』を差し出した。さらに詳しく話をしたが、どうも会話が噛み合わない。どうやら本当に人違い……いや幽霊違いのようだった。
「どうしよう?」
「じゃあ一体どこに……」
「連れてきてくれないかしら。他の花子さんたちも」
立花さんが当然のようにそう言った。僕と伊井田は顔を見合わせた。おかっぱの少女は、小さく頷いた。
「いいよ」
こうして翌日、海浜公園に全国から約50000人の花子さんが集結した。
「圧巻ですな……」
次の日。
秋晴れの空が澄み渡っていた。広い公園に所狭しと並んだ花子さんたちを見て、流石の伊井田も足がすくんでいるようだった。僕も同じだ。荒れ果てた芝生の上に隙間なく、『花子さん』たちが大挙している。まるでこれから野外フェスでも始まるかのような雰囲気に、圧倒されてしまった。『会場』は恐ろしいを通り越して、もはや和気藹々としている。
「すごいわね。これみんな花子さん? この中から、ウチのOG花子さんを探すとなると、一大事……」
「な、何よこれ!?」
僕らが呆然としていると、不意に後ろから悲鳴が上がった。振り向くと、昨日の抗議集団がそこに立っていた。
「どう言うこと……!?」
集団の中でも
「
「何……?」
「26年前、大津波で亡くなった人々の霊が、今ここに集結しているんです。『もうこれ以上、この土地で騒ぎ立てないでくれ』ってね……」
「そ、そんな……」
立花さんの言葉に、50000人の花子さんたちが一斉にこっちを見た。
「ひぃい……っ!?」
抗議集団はさすがに恐れをなして、その日はそそくさと逃げ帰ってしまった。
「あっはは。これに懲りたら、少しは大人しくすることね!」
立花さんのハッタリは功を奏したみたいだった。公園課の松原さんの話だと、それから抗議集団は以前のように激しめの詰問ではなく、やって来てもどこかビクビクとしているのだという。何人かは、怖がって抗議をやめてしまった。
「君たち、何かしたかい?」
霊感のない松原さんは、不思議そうな顔で僕らを見つめた。僕らは曖昧に返事をしておいた。これで良かったのかは分からないが、これから海浜公園は、人間ではなく幽霊の溜まり場として栄えることだろう。
約50000人の花子さんが集まったその日、公園は本当に祭りになった。時が経ち、成人した花子さんや、花子さんの旦那さんが幽霊屋台を出し、会場は大盛り上がりだった。海からは津波で亡くなった人々の霊や、撤去されたシーソーやブランコの
僕らが探していた仁馬山高校のOG花子さんは、既に時が経ち大人になっていた。
「悪いね! 力になれなくてさ!」
結婚して、片腕に3歳児くらいの子供を抱く花子さんは、何だかたくましく見えた。背も高い。花子さん要素は、おかっぱヘアーくらいだ。今はトイレではなく、旦那さんを手伝って花屋を経営しているらしい。花屋の花子さんは快活に笑った。
「同じ七不思議って言っても、別に交流とかなかったしさ。おりょうさんって、わたしゃ知らないねえ。あ、でも……」
海の方で花火が打ち上がった。花子さんの中に、花火師になった人でもいたのだろうか。どーん、と言う力強い音が耳に響き、色とりどりの光の花が夜空を彩った。
「他の七不思議なら、何か知ってるかもしれない。悪いけど、他を当たってくんな。まぁでも、とりあえず今夜は楽しまなくちゃね!」
結局、花子さんは
「わぁ……!」
4時過ぎ、そのおりょうさんが会場を見て目を輝かせた。おりょうさんは童心に戻ったみたいに、屋台から屋台の間を走り回り、ふわふわと駆け抜けて行った。今夜くらいは、約束の1分間だけじゃなくもっといてもいいのに、と僕なんかは思ったが、彼女はその後どうしただろうか。人混み……ではなく幽霊混みに紛れ込むおりょうさんの背中は、とても楽しそうだったのは確かだ。
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