第13話 海辺公園

 数日後。僕らは原付に跨り、夕暮れの田んぼ道を駆け抜けていた。


 数10キロ先まで広がる平野に、実った稲穂がずっしりと敷き詰まっている。そよぐ風が心地良い。遠くに聳えるS山に、橙色に染まった夕陽がゆっくりと沈んで行くところだった。

 閑静な住宅街を抜け、細くあぜ道を進んだ。家や店などが集まる密集地帯から次の密集地帯まで、大体数10キロは移動しないといけない。その間はほぼ田んぼである。この街づくりについて、伊井田なんかは、

『県の中に小さな組合ギルドがたくさん集まっていて、ポツンポツンと点在しているようだ』

と良く言っていた。あながち間違いではない。とにかく何処に行くにも、歩きでは辛すぎる場所にみんな建っているのだ。


 僕らが目指しているのは、県境にある海浜公園だった。自分のおじいちゃんおばあちゃんが子供だった頃からある、古い県営公園だ。昔は『海の見える公園』として、県外からも観光客で賑わっていたらしい。だけど最近じゃ遊具は全て撤去され、海と公園の間には、高いフェンスが設置されてしまった。昔、『子供達が遊具で怪我して危ない』とか、何かしら抗議活動が行われたらしい。おかげで今では、誰もその公園に寄り付かない。


 そんな寂れた公園のトイレに、例の『トイレの花子さん』が出る、のだと言う。噂を聞きつけたのは立花さんだった。彼女の友人の母親が、偶然この公園の近くに住んでいるらしく、噂を知っていたのだ。その人曰く、


『古い公園でしょう。もう1日中、誰もいなくって。そのくせ、ボール遊びも犬の散歩も禁止だってんだから。雑草が生え放題なのよ。それにあのトイレ。他の遊具は全部撤去しちゃったのに、あのトイレだけポツンと残っててねえ。壁は薄汚れてるし、とにかく不気味なのよ。それで……』


 ……とにかく、『出る』のだと言う。それで僕らは放課後、その公園に向かっていたのだった。


「ここね」


 公園に辿り着いた。なるほどただっ広い公園だった。海側には、高さ8メートルはあろうかと言う壁が、ずしりと聳えて建っていた。防波堤の役割も果たしているんだろうか。無機質な壁は、まるで国境か、刑務所の壁のようにも見える……実物をこの目で見たことはないんだけれども。人はいないと聞いていたが、その日の駐車場には、数台の車が並んでいた。


「見て……あれ」


 立花さんが公園の東端を指差した。そこには、小さな四角い箱が建っていた。他に建物が何もないから、それがトイレなんだと分かった。そのトイレの周りに、数10名程度の人だかりができている。一体何事だろうか。僕らは顔を見合わせ、ゆっくりとその箱に近づいて行った。


「……だから、おかしいって言ってるでしょうが」


 近くまで寄ると、件のトイレが、汚れまではっきりと見えた。コンクリートは所々砕け、壁は四方八方、スプレー缶でこれでもかってくらい落書きされてあった。落書きの上からさらに落書きが重ね掛けられていたりして、もはや一種の芸術アートのようになっている。実に幾何学的サイケな仕上がりになったそのトイレの前で、人々が大騒ぎしていた。どうやら何か抗議活動をしているようだ。


「いくら『危ない』からって、遊具を何もかも無くしちゃうのは、変だと思うよ!」

「ホント。何でも過敏に反応しすぎなんだよな、今の行政は」

「それにあの壁。景観が台無しじゃない。この公園は、海が見えるって言うのが売りだったのに。あれじゃあダメよ」


「公園について抗議してるみたいね」

 立花さんが僕にこっそり耳打ちした。僕は無言で頷いた。

 僕らの親世代くらいの年齢の人々が、数10名、先ほどから口々に文句を捲し立てていた。それに対応しているのは、20代くらいの比較的若い男性たった1人だった。半袖の白いワイシャツの胸には、S市の紋章が入ったワッペンが付けられている。市役所の職員か何かだろうか。


「ですから、都市計画では2年後に遊具の設置を再検討する予定で……」

「予定って何よ。そうやっていつも逃げるくせに」

「あの壁なんとかしろよ。じゃないと話にならない!」

「市長を出せ! ここに呼んでこい!」

 若い男性は汗を拭った。

「あの壁はですね、決して嫌がらせで建っている訳ではなく。えぇと、26年前の大津波の被害から学んで……」

「26年前って、アンタ生まれてたのか」

「……いいえ。まだです」

「じゃあアンタが学んだ訳じゃないだろう。そんな、見てきたような話されても」


 押し問答はそれから数10分続いた。若い職員が、只管ひたすら責められ、終始劣勢な感じだった。


「また来るからな! それまでに、市長に話をつけておけよ!」

「なんだかカチンと来る人たちね」


 立花さんが頬を膨らませた。しばらくして、抗議集団はプリプリしながら帰って行った。プリプリしている大人と言うのは、いつだって近寄りがたいものだ。


「参ったなあ……そんなこと僕に言われても困るんだよ。僕1人で決めてる訳ないじゃないか……」


 ガックリと疲れ果て、肩を落とす若い職員に、僕らは恐る恐る声をかけた。


「あのう……」

「ん? 君たちは?」

 職員はキョトンとした顔で僕らを見つめた。面長の、何となく馬に似た顔の男性だった。


「何の話をしてたんですか?」

「……あぁ。見苦しいところを見せちゃったね」

 馬面の職員は気を取り直して眉をキリッと釣り上げ、咳払いを1つした。馬の職員は名刺を差し出し、松原と名乗った。別に僕らにカッコつけたって仕方ないと思うが、そこは大人としてのメンツがあるのだろう。馬は、表情がコロコロ変わる。ひょうきんと言うか、根は悪い人じゃなさそうだったので、僕なんかは好感を持った。


「この海浜公園の遊具について、市民から抗議を受けていたんだよ」

 松原さんは小さくため息を漏らし、さっきキリッとさせた表情をもう曇らせた。


「『遊具がなくちゃ、子供たちが遊べない』、『可哀想だ』ってね」

「確かに、何もないですからねこの公園」

「ボール遊びすら禁止でござるし。そう言う公園は、結構全国にも多いって」

「でも僕に言わせりゃあ、ね」

 馬の鼻息が一際荒くなった。

「その遊具を『子供たちが危ない』からって片付けさせたのは、また別の親御さんたちなんだよ。また昔の話なんだよね」

 松原さんが、今度は唇をひょっとこのようにしてグチグチ言い始めた。


「つまり、数10年前に『危ない』って抗議されて。その数年後に『可哀想だ』ってまた抗議されて……」

「誰かが親になるたび、この公園に文句を付けられる訳ね」

「そう。なんかずっと、彼らは『抗議』を繰り返してるような気がするんだよなあ」

「ははぁ」


 だとすれば、数年後に遊具が揃った公園を見て、今度は『やっぱり危ない』と抗議されるんだろうか。僕は笑っていいのかどうか分からなかった。数世代に渡り、壮大なコントでもやってるような話だ。僕なんか新卒だよ、と松原さんは唸った。


「9月に初めて公園課に配属されて……まだまだ知らないことばっかりなんだよ。それなのに『可哀想だ』って言われても……正直、僕1人にどうこう出来る話でもないんだよ」

 あの壁なんか、と言って松原さんは防波堤を指差した。

「僕の生まれる前だよ、作られたの。津波による被害が起きたのだって、その前。そりゃ話としては知ってるけどね」

「結局、どうするんですか?」

「だから僕が決める話じゃあないんだけどね。市長は絶対撤去しないと思うよ。これで言いなりになって撤去して、その後津波が来てごらんよ。それこそ抗議どころじゃ済まなくなるよ……」

 どっちにしろ文句は言われるんだから、と言って、松原さんは力なく笑った。あっても無くても文句を言われる壁。抗議し続ける方も、それに対応する方も、どちらも大変そうだな、と思った。


 松原さんが帰った頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。僕らは散々迷った挙句、『トイレの花子さん』を呼び出してみることにした。周辺には照明も少なく、巨大な防波堤の影が、のっぺりと公園全体を包み込んでいる。暗闇が思いの外怖かったが、せっかくここまで来たんだから、何もせずに帰るのはもったいないと言う話になった。


「花子さん、いらっしゃいますか?」


 奥から3番目の扉をノックして、立花さんが凛とした声をトイレに響かせる。僕と伊井田は入り口の方で砕け腰だった。幽霊はもう見慣れているつもりだったが、素性の知れない、初対面の方と会うのはいつだって緊張する。それについては人間も幽霊も大差なかった。


「……花子さん、いらっしゃいますか?」


 ……しばしの沈黙。それに耐えかねて、立花さんが三度扉に問いかけた。もしかして、ガセだったんじゃないか……そんな思いが僕の頭を掠めた時、不意に扉の向こうから

ガサガサ……

と、何かが擦れる音が聞こえてきた。。何かいる。僕はブルっと体を震わせた。古びた板が軋む音がして、扉がゆっくりと開いて行った。僕らは3人とも、息を飲んでそれを見守った。


「……何?」


 やがて蚊の鳴くような、か細い声が狭いトイレに木霊した。おかっぱの少女が、顔を半分覗かせてこっちを見ていた。とうとう出会えた。『トイレの花子さん』だった。

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