第10話 バス
「
不意に耳元で囁き声がして、僕は微睡みの中から目を覚ました。見ると、窓ガラスの向こうに、おりょうさんの顔がぼんやりと浮かんでいた。16時44分。いつの間にか僕は眠っていた。
「見てください、あれ」
おりょうさんは嬉しそうに僕に耳打ちし、それから外の景色を指差した。
僕は今、バスの中にいた。一週間に及ぶ合宿を終え、(幽霊だった)管理人のおじいさんと別れを告げて、僕らは地元の町へ帰っている途中だった。車内は静まり返っている。連日の疲れからか、大部分の生徒が眠りについているようだった。僕もなんとなく、体が怠かった。
おりょうさんは窓の外にいた。山道を走るバスと並走するように、ふわふわと浮かびながら
「きれいですね……!」
おりょうさんが少し興奮したように顔を綻ばせた。
彼女の指差す先には、見渡す限りの草原が広がっていた。時々やってくる南風が、草花を撫でるようにそよいで行く。そのたびに、夕陽の光が反射して、草原の海をキラキラと黄金色に輝かせた。僕は目を細めた。
肝試しは、結果的に大成功だった。
おりょうさんと、それから(幽霊の)おじいさんの協力もあって、野球部員たちは見事に心霊現象を怖がり、楽しんでくれた。まぁやってる事と言えば、
誰もいないのに目の前で勝手に食器が動く
だとか、
後ろにいつの間にかおりょうさんが立っている
だとか、ほとんど些細ないたずらに近い。
タネを知っていれば別になんてコトないモノなのだけれど、部員たちはやっぱりノリがいいのか、ちょっとした出来事にも大騒ぎしてくれたので助かった。終いには自分たちから物陰に隠れて脅かしあったり、『心霊現象』を自作するようになったので、合宿の後半は混沌此処に極まれり、といった具合だった。
「また来年も、来られるといいですね」
おりょうさんがそう言ってほほ笑みかけた。僕はまだ目を細めたまま、黙って黄金色の景色を眺めていた。気になる事があった。それは、
窓の外を時速60キロ超で白装束の少女が走っている
だとか、
まさか来年になっても僕に取り憑いているつもりなのか?
だとか、そう言う事ではなく、出発する前、昨日の晩おじいさんに言われた一言だった。
「おりょうさん?」
おじいさんはそう言って首を傾げた。
肝試しのお礼をしようと、僕は夜中の4時過ぎにこっそりベッドから抜け出した。もちろんおりょうさんも呼んだ。きっかり4時44分に、彼女は僕の隣に現れた。おりょうさんは実質1分間しかいないので、中々機会に恵まれず、2人はお互いまだ会った事がなかった。最後に幽霊同士の顔合わせをしようと、そのつもりだったのだが、しかしおじいさんは僕の隣にいる幽霊の姿が、明らかに見えていないようだった。これには僕も驚いた。
「見えませんか?」
「あぁ、何も……」
おじいさんは少し戸惑ったように白髪頭を掻いた。おりょうさんもまた、困ったように首を横に振るだけだった。お互いの姿が見えていない。幽霊同士であろうと、見える訳ではないのだ。
「生前から、私には霊感なんてなかったからねえ……。死んだら見えると言うものではないのかもしれないねえ」
その辺のルールも、良く分かってないんだ。おじいさんはそう言って苦笑した。霊感のない幽霊……幽霊にだって、霊感があるとは限らない。人間味のない人間、のようなものだろうか。矛盾しているようだが、案外そんなものなのかもしれない。その時はそう納得した。
「羊さん? あの……」
ふと気がつくと、おりょうさんが不思議そうな顔で僕を覗き込んでいた。少女の幽霊は、次第に輪郭を失って行って、終いには草深い景色の向こうに溶けて消えた。16時45分。1分間経ったのだ。ほとんど会話する暇もないまま、彼女は現れては消えていく。
……果たして
後に残された黄金色の草原を眺めながら、僕はぼんやりと物思いに耽った。
幽霊同士だと、姿が見えない……本当にそれだけか。本当は、他の幽霊から姿を隠すため、敢えて1分間だけしか姿を現さないのだとしたら?
……単なる僕の考え過ぎかもしれない。実際あのおじいさんの前には、別に嫌がる素振りもなくおりょうさんは現れた。でもそれは、おじいさんに霊感がないのを見越しての事だったかもしれない。あの日、おりょうさんが1分間で姿を消した後、管理人のおじいさんは確かにこう言ったのだ。
「
ダメだ思い出せない、とおじいさんは残念そうに頭を振った。あんまり昔の事過ぎる、と。
「確か君も、私と同じ高校だったよねえ」
そう、管理人も僕らの母校出身だった。おじいさんは生前から霊感がないと言った。だけど学生時代に、おりょうさんについて何か見聞きした記憶が、微かにあると言う。つまりおりょうさんは、やはりウチの母校に纏わる幽霊なのかもしれない。だとしたら彼女の秘密を解く鍵は、僕が取り憑かれた意味は、きっと学校の中にあるのだ。
いずれにせよ、おりょうさんには何かがある。
バスはそれから草原を抜け、高速道路へと入って行った。雄大な景色は遮蔽物に遮られ、次第に空は夕暮れから夜へとその色を変えて行った。蛍光灯に反射して、窓に自分の顔が写し出される。けれど僕の頭の中には、まだおりょうさんの思案顔が張り付いたままだった。加速していくバスの中で小刻みに揺られ、僕はそれ以上は何も考えられず、再び微睡みの中へと落ちて行った。
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