第7話 合宿

『T県T市・青少年の家』


 と名付けられた宿泊施設は、最寄りの駅から数十キロ離れた山奥にひっそりと建っていた。近くのコンビニまで、車でも数十分はかかる辺鄙な土地だ。来る途中、マイクロバスに揺られながら、放牧された牛が悠々と草を食んでいる光景を見て、僕はとんでもないところに来てしまったと後悔した。ここに住む人々は、もし夜中に急にアイスを食べたくなったらどうするのだろう?


 緑の尾根に、青い空。その間で大きく胸を張る、大きな白い入道雲。夏だった。絵葉書にしたら喜ばれるような雄大な景色が、小さな僕らを熱烈に迎えてくれた。


 犬飼の誘いに乗った僕らは、『特別企画委員』として、一週間の野球部合宿に参加させてもらうことになった。大げさな肩書きだが、何のことはない。合宿の三日目だか四日目だかに開かれるレクリエーションで、

肝試し

を主催すると言うだけの話だ。


 当然野球の練習に参加する訳ではない。彼らがグラウンドで青春の汗を流している間、僕らはブラブラ山を散策したり、部屋でトランプに興じたりしていれば良い。この機会に、僕は読みたかったミステリ小説を10冊くらい持ち込んだ。伊井田は液晶モニタと据え置きゲーム機、それからクリアーするために90時間くらいかかるゲームソフトを数10本アタッシュケースに詰め込んで、「この夏に全てクリアーする」と豪語した。何も外で汗を流すだけが青春ではないのだ。


「でも、簡単よね」


 立花さんがクスクス笑った。立花さんが持ってきたのは、料理道具と洋菓子のレシピ本だ。野球に読書に、ゲームに料理。同じ人間なのに、人生と言うのは、一体どこで枝分かれするのだろうと、時々不思議に思うことがある。


「なんてったって、こっちにはおりょうさんがいるんだから」


 僕は同意しかねた。彼女は1分間限定だ。よっぽど計画を練って、スケジュールをきちんと組まないと、最悪の場合『見逃す』と言った事態に見舞われかねない。何よりおりょうさんは、これまで僕が知っている限り、人を驚かすのが非常に不得手だった。


 しかし今回の肝試しで、一番やる気になっていたのは、他ならぬおりょうさん本人だった。


「とうとう私の、本領を発揮する時が来ましたね!」

「うん」

「絶対、ぜったい怖がらせて見せますから! 幼気な少年少女たちを、恐怖のどんぞこに叩き落としてやりますよ!」

「うん」


 合宿に参加する前、おりょうさんは用もないのに僕の前に現れては、そんな風に気合を入れて1分で消えていった。僕はその間、読みかけの本に目を落としたまま、生返事を繰り返した。残念ながら本人のやりたい事と、実際に出来る事は別だ。それは幽霊とて例外ではない。


 炎天下の中、僕らは荷物を運んだ。 


 施設の管理人は、僕らの高校のOBの方だった。どうやら施設の経営者が先代校長の血縁者か何かで、ウチの高校とも、深からぬ縁があるらしい。


 管理人のおじいさんに部屋に案内してもらい、野球部員たちは本館、僕らは西側にある別館の、二階の部屋をそれぞれ割り当てられた。僕と伊井田は同室だ。南側に大きな窓があって、陽の光が眩しかった。壁際には二段ベッドが備え付けられている。僕が二階、伊井田が一階に決まった。伊井田の持って来た荷物(アタッシュケース3個分だ)があまりにも重たかったので、管理人のおじいさんが運ぶのを手伝ってくれた。


「それで」

 伊井田が尋ねた。

「何か良い案でもあるんでござるか?」


 僕は正直に首を横に振った。知らない土地に行って、いきなり肝試しを企画しろと言われても、考えれば無茶振りもいいところだ。そもそもこの土地に、何があるのかさえ僕は知らない。


「とりあえず、明日から近くを散策してみようと思う。寂れた神社とか、共同墓地とかあれば良いんだけど」

 そういうのがあれば、肝試しのコースには出来る。最悪、心霊写真でもいい気がして来た。4時44分にみんなで集まってもらって、おりょうさんと一緒に記念撮影するのだ。そうすれば、出来上がった写真には当然幽霊が写っている。今時心霊写真なんて珍しいから、みんな驚き喜んでくれるんじゃないだろうか。


「そもそもおりょうさんって、写真に写るのでござるか?」

「さぁ……」


 僕は首を捻った。その時だった。荷物を運んでいた白髪のおじいさんが、部屋の入り口でアタッシュケースを取り落とした。


「す、すみません!」

「大丈夫ですか?」


 ケースは大きな音を立て、中身のケーブルやらゲームソフトやらを畳の上に散らばらせた。おじいさんは狼狽した様子で、顔中に吹き出た玉のような汗を拭い、ひたすら謝っていた。伊井田はショックを受けたようだったが、僕もつい先日『立花洋菓子店』で同じようなミスをしたため、それ以上おじいさんを責める気にはなれなかった。それでも、おじいさんの慌てっぷりには、妙な違和感を覚えた。


「何か知ってるのかな。もしかしたら、おりょうさんについて……」


 おりょうさんの名前を出した途端、動揺したように思えたのだ。ウチの高校のOBなら、もしかしたら彼女のことを知っているのかもしれない。だが、伊井田は答えなかった。彼は早速ケースからゲーム一式を取り出し、きちんと起動するかチェック作業に明け暮れていた。僕は諦めて荷物を二段ベッドの上に引き上げた。窓の外は相変わらず日差しが強く、蝉の音がシャワーのように止め処なく降り注いでいた。しばらくしないうちに、僕はおじいさんのことも、それからおりょうさんのことも忘れてしまった。


 その晩、僕は夢を見た。

 僕らが泊まっている部屋で、おりょうさんが殺されている夢だ。

 死体になって血まみれになっているおりょうさんを見て、

 僕はそれが夢だと気がついた。

 どうして一度死んでいるはずの幽霊が殺されることがあるだろうか。それでも彼女の虚ろな瞳と、床をてらてらと濡らす赤黒い血に、僕は夢の中で声にならない声を出して叫んでいた。


 飛び上がるように目を覚ますと、来ていたシャツが汗でびっしょりになっていた。何だか妙に生々しい夢だった。時間を確認した。3時37分。おりょうさんが出てくるには、まだちょっと早い時間帯だ。ゾロ目でもなければ、不吉な数字の並びですらない。気の抜けたため息が出た。下の階で、伊井田が大きないびきを掻いているのが聞こえる。僕は急に喉の渇きを感じ、外の自販機までジュースを買ってくることにした。


「行くな……」


 不意に伊井田の声が聞こえ、僕はどきりと心臓を跳ね上がらせた。伊井田は寝たままだった。寝言だった。寝言に返事をしてはいけない、という迷信を思い出し、僕は伊井田のを無視して部屋を出た。別館の廊下は、全て電気が消され、非常灯の緑の光がぼんやりと輝くのみであった。

シン……

と静まり返った暗闇の廊下は、何だか見ているだけで不安になってくる。僕は身震いし、音を立てないように、ゆっくりと一階へと向かった。


 星のよく見える、蒸し暑い夜だった。生ぬるいジュースを買って、部屋に戻ろうと思ったその矢先、別館の向かいに広がる森の中に、蠢く妙な人影を見つけた。僕は目を凝らした。

 

 暗闇の中でぼんやりと浮かぶ白髪。

 先ほどの管理人に違いなかった。

 

 一体こんな夜中に、森の中に何の用だろう……?


 そう思ったが、さすがに後をつける気にはなれなかった。

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