第6話 店先

「へぇぇ……これがその、”あぷり”と言うやつなんですか!?」


 先ほどからおりょうさんが口を半開きにし、スマホの画面を覗き込んでいる。伊井田が得意げになって、「これがカメラだ」とか、「これがゲームだ」などと一つ一つアプリを解説する。そのたびに、おりょうさんはこの世のものではない何かを見るような顔つきで飛び上がった。


「一体何が何やら……全く、驚かされることばかりですね……!」


 おりょうさんは冷や汗を拭った。

夕方4時44分。

僕らは教室の隅で、授業もほったらかしにして、幽霊に「スマホのアプリ」の使い方をレクチャーしていた。僕も伊井田も、もはや現実の風景とスマホの画面と、どっちを長く見ているか分からないほどの「スマホ世代」である。何よりおりょうさんが一々青天の霹靂と言った具合に驚いてくれるので、有る事無い事教えるのが楽しくてしょうがない。しかし肝心のおりょうさんが、1日約1分しか持たないため、アプリ講座は一向に進まなかった。


「おりょうさんもスマホを持てば、毎日羊と連絡が取れるようになりまするよ」

「えぇ……っ!?」


 伊井田がニヤニヤしながら得意の軽口を叩いた。おりょうさんは青白く透き通った肌をポッと赤らめた。僕は閉口した。いくら異性とはいえ、毎日幽霊から電話がかかってくるのは、僕も御免蒙ごめんこうむるところだ。それはもう、完全に取り憑かれていると言っても過言ではないだろう。


「ちょっと」


 おりょうさんが1分間でいなくなった後、立花さんがこちらの席に寄って来た。


「お店のパソコンが何だか調子悪いの。良かったら見に来てくれない?」

「承知」


 伊井田が二つ返事で大きく頷いた。コンピューター関連といえば伊井田である。彼女もそれが分かっているから頼みに来たのだ。放課後、僕も何だかんだで付き合うことになった。




「何だ、奇遇だなよう


 不意に名前を呼ばれ、僕は顔を上げた。視界の先に、高級そうなクロスバイクが飛び込んできた。

伊井田があっという間にパソコンの修理をしてみせ、ちょうど休憩していた頃合いだった。僕らは店先テラスで、ミルフィーユをご馳走になっていた。少し肌寒くなって来た南風と、橙と薄い青が入り混じった空が、一日の終わりを告げようとしている。


逢魔が時。


この世ならざるものが現れると言う混沌の時間帯に、その男・犬飼賢二郎いぬかいけんじろうは僕らの前に姿を現した。犬飼は大真面目な顔で、その大きな瞳で僕を覗き込んで来た。


よう、お前最近幽霊に呪われたんだって?」

「呪われてねーよ」


 僕は口元にクリームをつけたまま、慌てて首を振った。毎日おりょうさんが姿を見せていることは本当だが、この全身筋肉の、霊感皆無な頭固男あたまかたおに、幽霊についてイチイチ説明するのさえ無駄に思えた。たとえおりょうさんの姿が見えて、目の前でお辞儀されたって、彼は幽霊の存在など一切信じないだろう。


 頭固男……いや犬飼は、同じ高校で隣のクラスの僕の幼馴染だ。幼い頃は、毎日のように一緒に遊んでいたものだ。だがいつの間にか、僕はネクラな読書少年に、彼は野球一筋の、筋金入りのスポーツマンになっていた。


「犬飼くん!」


 奥の方で飾り付けをしていた立花さんが出て来て、一際明るい声で犬飼に声をかけた。立花さんが犬飼に片思いをしているのは、もはや公然の秘密のようなものだった。背も高く顔立ちも良く、ダビデ像のような肉体美を持つ犬飼は女子にモテるのだ。ダビデ像が白い歯を輝かせた。


「立花さん」

「どうしたの?」

「ちょっと妹に頼まれてさ。買い物。絶対ここの『ミルフィーユ』じゃないとダメだって」

「まぁ」


 嬉しい、と頬を赤らめる立花さんを前にして、僕らは苦いお茶を啜った。


「ところで、羊は何でここにいるんだ?」

「伊井田が、店のパソコンの修理を手伝ってたんだよ」


 犬飼とは面識のない伊井田が黙っているので、仕方なく僕が答えた。直接本人に尋ねた訳ではないが、伊井田は『モテる男は、人類共通の敵だ』と思っている節がある。


「へぇ」

 頭の固いダビデ像が、感心したように頷いた。

「それだったら、一度ウチの部活の機材も見てもらいたいもんだ」

「機材?」

「あぁ。よく壊れるんだよ」


 犬飼は困ったように笑った。犬飼が僕らの隣に腰掛け、ミルフィーユをお代わりしながら、さらに詳しく話を聞いた。実は今野球部が、ちょっと困ったことになっているらしい。部費で買ったピッチングマシンが、購入するたびに何らかの故障に見舞われ、一ヶ月以内に使い物にならなくなってしまうのだとか。


「……特に不良品って訳でもない、新型新品なんだけどさ」

 立花さんから、お茶のお代わりも届いた。

 

「部員の中じゃ、『これは心霊現象だ』なんて騒ぎ出す奴もいて。ほら、良く都市伝説で聞くじゃん。【家電を壊す体質の人】とか。霊感持ちの人は、ナントカッつう波動が出てて、すぐ家電が壊れるとか何とか……」

「ケンはそれ信じてるの?」

「いや、全く」


 ダビデ像ケンが笑った。違いない。その都市伝説は初めて聞いたが、僕もにわかには信じ難かった。それは体質じゃなくて、機材の扱い方の問題ではないだろうか。


 『パウリ効果』と言うものがある。


 物理学者ヴォルフガング・パウリは、実験が苦手で、機材をよく壊していた。ある時には、彼が触れただけで機材が壊れたり、近付いただけでものが壊れたりもした。以来、何もしてないのに機材が壊れることを『パウリ効果』と呼ぶようになった。


 ※ただしこれはジョークである。


 パウリは偉大な理論物理学者だったが、絶望的に実験が下手だったのだ。彼のように、機械オンチの人を揶揄うために、『パウリ効果』なんてものが吹聴された。


「大体そんな体質の人が本当にいたら、家電メーカーがほっとかないよな」

 犬飼が笑った。立花さんが首を傾げた。

「じゃあ幽霊が、家電に取り憑いてるとか……?」

「まさか」

 僕は吹き出した。

夕方のおりょうさんの姿を思い出したのだ。良く


『深夜の公衆電話から、聞きなれない女の人の声が……』


なんて怪談を聞くが、そもそも電話機が発明される以前の幽霊は、どうやって電話機の使い方を覚えたのだろう。幽霊たちも、どこかで講習会などやっているのだろうか。あるいは電話くらい使えないと、もう幽霊としては廃業するしかないのかもしれない。さらに

テレビに

パソコン

インターネット

と……時代はどんどん進化していく。『新人の幽霊』はまだいいとして、新たな家電製品に対応できない昔ながらの幽霊は、今後は淘汰されていくのだろうか。幽霊としてのも大変そうだな、と僕は哀れに思った。


「単純に、新型新品だからじゃないかのう?」

 不意に伊井田がボソリと呟いた。

「え?」

 僕も、犬飼もそれから立花さんも、キョトンとした顔で伊井田を覗き込んだ。伊井田はモジャモジャ頭を掻きながら、少し照れたように顔を紅潮させた。馴染みの者以外と話す時、彼はこうなるのだ。


「何で?」

「新品の方が壊れにくいんじゃないの?」

「逆でござるよ。新型はまだ制作工程が効率化されてなかったり、無駄に新機能とか装備されてたりするから、壊れやすいんじゃ。自動車だって、買うなら新型よりモデル末期の旧型が良いんでござる。そっちの方が壊れにくいからのう」

「ふぅん……」


 そう一気に捲し立てると、伊井田は眼鏡をくいっと持ち上げた。立花さんが少し感心したように顎をさすった。僕は目を瞬かせた。

案外そんなものかもしれない。

昔『3D機能』だとか、無駄に高価な機能がついた家電なんかが出ていたが、今や全くと言っていいほど見なくなった。無駄な新機能が足を引っ張って、家電の寿命を縮めていると言うのは有り得そうな話である。


「そういやそのピッチングマシンにも、『サッカーモード』とか妙な機能がついていたっけな……」


 犬飼が苦笑いした。果たして『サッカーモード』なるものがどんな機能なのかは知らないが、早々に他のメーカーに切り替えた方が良いのかもしれない。犬飼はお礼を言って立ち上がった。


「そうだ。今度野球部で合宿やるから、羊たちも来いよ」

「え?」

「余興で、肝試し大会とかやろうと思ってさ。羊、なんか面白そうな企画考えてくれよ。ホラお前、呪われてっから」

「呪われてねぇっての」


 僕は吐き捨てた。犬飼が揶揄うように笑った。

確か野球部の合宿は、毎年県外の山に泊まりで行っている。


「そうでもしないと、お前部屋に籠りっぱなしだろ」

「別に良いじゃん」

「伊井田くんに、立花さんも」

「え、私たちも良いの?」

「もちろん。ピッチングマシンの謎を解いたお礼ってことで」

「嬉しい! 是非行きたいわ」

 

 犬飼が白い歯を浮かべた。立花さんが本当に嬉しそうに笑った。伊井田は黙ったままだった。僕は気づかれないように、犬飼と立花さんの顔を交互に見比べた。なんだかんだ言って、が狙いなのかもしれない。僕としては、籠りっぱなしで全然問題なかったが、避暑地の山中で、静かな湖畔を前にゆったり読書する……なんて光景を思い浮かべて、思わず考え込んだ。それは実にミステリっぽい憧れのシチュエーションだ。無料で旅行に行けるのなら、考えないこともない。


「じゃあ、良い企画期待してるからな」


 ダビデ像はもう決まったような口ぶりで笑った。颯爽とクロスバイクに跨ると、頭固像あたまかたぞうは風のように去って行った。


 逢魔が時はとっくに過ぎていた。もう、夜も深い。僕らも帰ろうと立ち上がった瞬間、うっかり皿を落として割ってしまった。その際、思わず指の先を切った。赤い血がポタポタと木製の床に滴り落ちる。痛みはそれほどでもなかったが、思わぬ失態に僕は焦った。立花さんが目を丸くした。


「まぁ! 大丈夫!?」

「うん。こっちの方こそ、お皿ごめん」

「良いのよ。でも、何だか不吉な予感……」

 立花さんが考え込むように腕を組んだ。

「合宿で何事もないと良いけど。これが『パウリ効果』ね」


 違うと思う。僕は内心を口にせず、割れた皿を片付けて、立花さんのお父さんにひたすら謝った。いつの間にか、僕の様子をじっと見ていたキジトラの杏が、店先テラスに寝転んで、愉しそうにニャアと鳴いた。

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