第4話 杏仁豆腐の謎

「ケーキ泥棒?」


 そうなのよ、と立花さんは頷いた。

 大粒の瞳を悩ましげに細め、ほぅ、と小さくため息を漏らす。

「先日から、ウチの厨房でお父さんが、新作ケーキを作ってたんだけどね……」


 事件のあらましはこうだ。


 立花さんのお父さんは『立花洋菓子店』の社長さんで、自らユニフォームを身にまとって厨房に立つなど、オーナー兼パティシエも勤めている。店の一番人気は『立花ミルフィーユ』だが、最近ではそれに次ぐ新作スイーツを開発しようと張り切っていたらしい。店の中にある厨房に夜な夜なこもりっきりになり、研究に励んでいたのだとか。


「それで、新しく杏仁豆腐を売り出そうとしてたらしいんだけど……」


 立花さんのお父さんはかなりのらしく、スイーツ作りの際も素材から全て現地調達、それが不可能ならネットなどで取り寄せて作り込むなど、相当気合いが入っていたようだ。その日も、グラニュー糖やら生クリームやらをテーブルの上に何種類も並べて、立花さんのお父さんは様々な味の杏仁豆腐を試作していた。


 7時間くらい経った後で、流石に少し疲労を感じ、お父さんは厨房の裏口から外へと出たのだと言う。


「厨房には、扉が2つあるの。今言った外に出るための勝手口と、店内に通じる正面の扉……コッチは、閉店した後だから鍵がかかっていたんだけどね」


 それ以外には、換気用の窓が天井近くについてはいるものの、人が出入りできるような大きさではないらしい。お父さんは外の空気を吸い、軽くストレッチすると再び厨房に戻った。その間、時間にして約10分もかからなかったのではないか、と後で本人はそう言っていた。


「お父さんは、鍵をかけたつもりはなかったみたい。だけど、扉を捻ってみたら開かなかったって。それで、『あれ?』って思って……」

 仕方なく、お父さんはポケットから勝手口の鍵を取り出して開けた。厨房は電気を消していたため、薄暗かった。お父さんが照明を点けると……。


「杏仁豆腐の試作品が、無くなっちゃってたんだって!」


 立花さんがおどろおどろしげに僕らに言った。僕と伊井田は顔を見合わせた。さっきまで、ちょうど白装束と三角巾をした江戸時代の幽霊と話し込んでいたばかりだ。杏仁豆腐の試作品が、この世から無くなってしまおうが、何も恐れることはない。


「怖くない!? きっと誰かが、ウチの商品の企業秘密を知るために持って帰ったんだわ!」

「お待ちくだされ。しかし勝手口には、鍵がかかっていたのでござるよの?」

 口調はともあれ、伊井田は至極当然の疑問を投げかけた。立花さんが困った顔をして頷いた。


「だったら中に犯人がいなくてはおかしいのでは?」

「そうなのよね。だけど、中には誰もいなかったって。3回とも調べたんだけど、人が隠れられるようなスペースは無いし……」

「3回?」

 僕は眉を釣り上げた。立花さんが呆れたように肩をすくめた。

「ええ、そうなの。もう3回も入られてるのよ、同じ手口で。まぁ、盗まれる日とそうじゃない日があるみたい」

「盗まれない日は、鍵は閉まってないの?」

「ううん」

 立花さんが首を振った。

「毎回、閉まってるんだって」

「それも変な話でござるな。盗まない日も、閉まってる?」

「お父さんも、もうちょっと注意しても良いと思うんだけど……」

「じゃあ犯人は、立花さんのお父さんが厨房を離れた隙に、中にあった杏仁豆腐の試作品を盗んで、鍵をかけて出て行った……」

「そう言うことになるわね」

「合鍵は無いんでござるか?」

「無いわ。お父さんが持ってる1本だけ」


 伊井田がぽかんと口を半開きにした。僕は腕を組んだ。密室の厨房、盗まれた杏仁豆腐。確かに彼女の店で、不可解な事件が起きているようだ。それも3回も……。


「じゃあ本当に、お父様が鍵をかけたのを忘れただけ……とかでござるかなぁ?」

「毎回毎回? それに、中の杏仁豆腐は無くなっているのよ?」

「そっか、そうでござるな。じゃあ鍵は、かかっていなかった……待てよ。小窓があったんでござるな? そこから上手く糸を垂らして……」

「残念だけど、今は窓開かないの。去年から、厨房に換気システムを導入したって」

「店内に続く扉も、内側から鍵がかかってた?」

「そうよ。そっちは自動ドアもあるし、もしこじ開けたら警備会社が飛んでくるわ。でも、もしかしたら窃盗のプロか何かが……」

「だったら何で盗んだ後に鍵を閉めたんだろう? 閉まってる部屋をこじ開けるならともかく」

「フヌゥ……。鍵の閉まった部屋に押し入るならまだしも、鍵の空いている部屋から杏仁豆腐を盗み、戸締りをして出て行く……」

「もしかして、幽霊の仕業だったりして」

「んな……」


 散々議論した後、しばらく僕らの間を沈黙が包んだ。陽は沈みかけ、墓地を覆う木々が夜に向かって長く影を伸ばしている。


「……その条件なら、鍵が無くても、密室が出来上がる方法なら大体想像つくんだけどね」

「え?」


 眉間にシワを寄せていた立花さんと伊井田が、まじまじと僕の方を見た。僕はちょっと恥ずかしくなって、顔を赤らめた。


「えぇと……つまり本当に鍵をかけなくても、鍵がかかっていると錯覚させれば良いんだよ」

「どう言うこと?」

 立花さんが身を乗り出してきた。顔が近い。華やかな甘い香りが鼻をくすぐって、僕は思わず目を瞬かせた。


「その勝手口って、横にスライドさせて開けるタイプ?」

「いいえ、普通に手前に引いて開けるやつよ。ネズミ色の、取っ手のところに鍵穴がついてる……」

「要するに、扉が開かないとお父さんが思えばそれで良いんだ。一度ドアノブを引っ張って、動かなかったら、鍵がかかってると思うだろう?」

「えぇ、そりゃあ、まぁ……」

 立花さんが不可解な表情を作った。伊井田が鳥の巣みたいな天然パーマをボリボリと掻いた。


「良く分からんな。結局どう言う理屈で扉が開かなかったんだ?」

「気圧だよ」

「気圧?」

「あぁ。さっき換気システムを導入したとか言ってたろ?」

「そうね」

「締め切ったマンションの一室なんかじゃ、良くある現象なんだ」


 これを負圧という。


 部屋の中が密閉されてしまったため、気圧差で外からの空気が部屋の中に入ろうと扉を押し付ける。すると扉が重くなり、まるで開かなくなったかのように錯覚することがある。実際僕の住むマンションがそうだからだ。24時間稼働の換気システムと、夜間で外が冷え切ったタイミングが、ちょうど上手いこと組み合わさったのだろう。幽霊でも怪奇現象でも何でもなく、自然と密室が出来上がったのだ。とにかく僕はそんな風な推理を披露した。


「なるほど。じゃあ実際には、鍵がかかってたんじゃないんだ。扉が重たくなって、勘違いしてたってワケね?」

「鍵は誰かが意図的に閉めてた訳じゃなくて、自動で閉まってたんだ。それなら、盗まれていない日にも密室が出来る説明がつく」

「でも待ちたまえよ。じゃあ無くなった杏仁豆腐は?」

 立花さんは感心したように顔を明るくした。伊井田はしかし、納得行かない、と言った表情で口を挟んだ。


「それは……」

 僕は口ごもった。それは僕にも分からない。密室のトリックはそれで説明できるとして、厨房から消え失せてしまった杏仁豆腐の謎までは解けなかった。


「やっぱり、ここはアレが必要ね」

 再び訪れた沈黙を打ち破るように、立花さんが胸を張った。


「アレって?」

「決まってるじゃない」

 彼女は少し楽しそうに白い歯を浮かべた。墓地の向かいの路地に明かりが灯った。辺りはすっかり暗くなっていた。


「張り込みよ、張り込み。今夜私たちで、その犯人をとっ捕まえちゃいましょう!」

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