第3話 納骨堂
次の日。
いや……正確にはその3日後くらいに、僕らは重たい腰を上げ、ようやく幽霊調査に乗り出した。
理由は単純。
僕も伊井田も、何かと忙しいからだ。
2人とも部活には入っていないものの、宿題に塾、増え続ける課外授業、未消化のアニメにゲーム……伊井田なんかは、ゲームの『ログインボーナス』を得るために、毎日2時間くらいかけて色々なゲームを起動しては終了するを繰り返していた……とにかくやることが一杯なのだ。
僕と伊井田は、図書室にいた。
四角い窓の外を白い雲が泳いで行く。風は緩やかで、外は心地よさそうだった。こんな良い天気だってのに、僕らは放課後図書室に篭り、身を寄せ合って『S市の歴史』なんて分厚いものを読み耽っている。
「なぁ知っておったか? この街、400年前はまだ海だったんだって」
「今じゃ
「そういや、3丁目の角の『立花さん』ってさ」
「洋菓子店?」
「そうそれ。それも江戸時代から代々この土地に続いてんだってよ。ここに書いてある」
「へぇぇ」
……会話の大半がこんな感じだ。
勿論おりょうさんの件なんて、これっぽっちも進んじゃいなかった。
僕らの住むS市は人口約30万人弱の、県の外れの方に位置する小さな街だった。農業が盛んで、お土産は『立花洋菓子店』と言う老舗が出している、ミルフィーユが一番有名だ。街を国道が二本通っていて、その二つを脇に逸れると、大概数10キロ先まで見渡せそうな
要するに田舎だった。
毎日寂れた無人駅から鈍行に揺られ、あるいは原付で10キロ以上のあぜ道をひた走り、学校の近くにある牛小屋の匂いをこれでもかってくらい嗅がされて登校する。車や原付が無いと移動もままならないから、みんな高校生になるとこぞって免許を取りに行く。僕も伊井田も趣味は専らインドア派だったが、それでも
「海だったんなら、余計分かりませぬな。人魚とか海坊主とかでござるか?」
「そもそもここの土地に住んでいたかどうか……」
ため息が図書室の静寂の中に溶けて行く。学校の図書室では、残念ながらこれといった成果は挙げられなかった。陽は大分傾いていて、西日の熱が背中からじんわりと伝わってきた。伸びた影は次第に薄暗く景色と同化して行く。なんとなく、僕らの間でおりょうさんは『海辺で死んだ人』あるいは『海で遭難して亡くなった人』みたいなイメージが出来上がった。
「明日休みだからさ、地元の民俗資料館とか行ってみようぜ。何か分かるかも」
「いいけど……」
伊井田の呼びかけに、僕は曖昧に返事した。民俗資料館なんて、小学生の社会科見学で行ったっきりだ。この歳になって見に行っても、特に楽しそうな感じは全くしない。そのまま伊井田と本屋やプラモ屋に寄ったりして、ダラダラしながら家路に着いた。レンジで温めた肉じゃがを口の中で転がしながら、僕はぼんやりとテレビを見ていた。
『この辺りに、何百年前から住み着いた悪霊が……』
テレビではちょうど、心霊特集の再放送をやっていた。知らない街の、知らない呪われた土地で、名前も知らない悪霊が暴れているらしい。画面越しに見るにはぴったりの怖さと面白さだ。しかしこれが
『何でも悪霊は数百年前にこの屋敷で殺され、それから人を襲うように……』
僕は人参を飲み込みながら、幽霊らしくない幽霊・おりょうさんについて考えていた。
おりょうさんは、自分が何で幽霊になったのか、どうして死んだのか知りたいのだと言う。だけどもしそれが、自分の望むような理由じゃなかったとして……例えば誰かに殺されただとか……それを知った時に、彼女はその誰かを恨まずにいられるだろうか。
そもそも数百年前の話なのだから、そうだったとしても、恨みの晴らしようも無い気がする。真実を知って悪霊と化すくらいなら、今のままでふわふわしてもらっていた方が、僕としては助かる。
『……これは大変なことになって参りましたッ! 果たして屋敷の運命は!?』
画面の中で、お茶碗が急に宙に浮いて、壁にぶつかって割れた。
……もしかしたら自分は、とんでもないものに巻き込まれようとしているんじゃないか。その時、不意にそんな不安が頭をよぎった。
再放送はCMに入った。
ネットの実況掲示板では、結末をすでに知っている人のネタバレコメントで溢れかえっている。最後は悪霊が除霊師か何かによって無事弱体化され屋敷を離れるのだとか。そこの住人には束の間の平穏が戻ったらしい。全部画面越しの話だ。
空になった食器を慎重に運んで、浮き上がらないように手で押さえつつ、さっさと水で洗い流した。
弱体化したその悪霊はどこに行ってしまったんだろう、と僕はふと思った。
「あっ
次の日。
いや、正確にはその次の日の日曜日に、僕と伊井田は納骨堂にいた。
前日に行った民俗資料館は、見事に空振りだった。狭い空間の中に、読めない字で書かれた本だとか、どう見ても石ころの破片にしか見えない
それで、墓場巡りを思いついたのだった。
近場にある共同墓地を訪ね、おりょうさんなる人物が眠っていないかと二人で探し回っていたところだった。ずらりと並んだ灰色の墓石の間に、白装束の袴姿の女性がいた。おりょうさんだった。僕は腕時計を見た。4時44分。そういえば、
空は晴れ渡り、澄み切っている。三角巾のおりょうさんは、傍にバケツと箒を抱え、綺麗に磨かれた暮石の前にちょこんと座り込んでいた。何やら真剣な表情で、両手を合わせてお参りをしている。墓参りしている幽霊と言うのを初めて見たので、僕は少し驚いた。最近じゃ生身の人間ですら、中々墓参りをしないと聞くのに。
「何それ? もしかして自分のお墓?」
「いいえ、全然知らない人のです」
「何だそりゃ」
僕らはずっこけそうになった。おりょうさんがえへへ、とはにかんだ。
「少しでも、みんなに驚いてもらえますように、って、願いを込めて……」
彼女にとっては、神社の参拝感覚で墓参りしているのだろうか。
「この辺に、おりょうさんのお墓はないの?」
「ええ、私も探して見たんですけど、見当たらなくて……」
おりょうさんは少し残念そうに共同墓地を見渡した。そうするとやはり、彼女はこの辺の出身では無いのだろうか。昨日の心霊番組の再放送を思い出して、僕は少し憂鬱になった。
「貴方達、何やってんのよ」
不意に甲高い声が背中から飛んできて、僕らは振り返った。
「立花さん」
「立花どの」
墓場の入り口に立っていたのは、同じクラスの立花
あの有名な『立花ミルフィーユ』のところの、由緒正しき社長令嬢だ。
地元の豪族で血筋も抜群。
さらに容姿端麗、頭脳明晰で知られる彼女は、クラスでも中心的存在だった。
きっとその分、妬みややっかみも多いのだろうが、彼女はそれを感じさせない。竹を割ったような快活さは、男女関係なく人気を誇っていた。
何を隠そう隣にいる伊井田も、密かに彼女に想いを寄せている一人だ。
僕は彼が、彼女に少しでも近付こうと、放課後毎日こっそり『立花洋菓子店』でミルフィーユを買っていることを知っている。そんな男子は少なくなかった。
立花さんはくるくるにウェーブがかった茶色の巻き髪を揺らし、大きな瞳をビー玉のようにキラキラと輝かせた。立ち姿だけで絵になる。隣から伊井田のほぅ、と言うため息が聞こえた。
「立花さんこそ」
「私は、商品の配達」
立花さんはひょいと片手を上げて、ミルフィーユの入ったビニール袋を掲げて見せた。彼女は暇さえあれば、自ら店頭に立って手伝いをしている。原付に乗って配達することも多く、それがまた地元の人に大変な好評を博していた。
「その子、誰?」
「え……」
立花さんがおりょうさんに興味を示したので、僕らは顔を見合わせた。伊井田が恐る恐る立花さんに尋ねた。
「……立花どの。見えるんでございまするか?」
「え?」
「その、おりょうさんのこと……」
おりょうさんは少し困ったように、おずおずと立花さんにお辞儀した。相変わらず律儀な幽霊だ。そうしているうちに1分が過ぎて、おりょうさんはスーッと姿を消してしまった。これには流石の立花さんも目を丸くした。
「消えちゃった!? 何で!?」
「えっと……幽霊だから……」
僕はとりあえず、納得してくれるか分からないが、事の経緯を説明し始めた。話を聴き終わった立花さんは、綺麗な細い腕を胸の前で組み、難しい顔をした。眉をひそめる顔も様になっている、と僕は思った。
「……なるほどね。400年前に死んだ幽霊の謎、か」
「そうなんだ」
「そんなことより、ちょうど良かった。貴方達にちょっと相談に乗って欲しいことがあるのよ」
「相談?」
「実はウチの洋菓子店で、今ちょっと困ったことになっててね……」
おりょうさんの件は「そんなことより」で片付けられた。白昼堂々、目の前に姿を現した幽霊よりも困ったこととは何だろうか。僕らは身を乗り出した。立花さんは小首を傾げた。
「
これだけは言っておきたいが、ミステリー小説を読んでいるだとか、何か難しい本を読んでいるからと言って頭が良くなるなんてことは決してない。いや、探せばそういう人もいるのだろうが、僕自身は必ずしもそうではなかった。テストの成績は毎回下から数えた方が早いし、何だったら赤点だってバンバン取る。”ミステリー好きは全員探偵になりたがっている”なんて、”日本人は全員朝は白米に味噌汁を食べている”くらい横暴な意見だ。
それでも僕が断らなかったのは、立花さんの笑顔に見惚れてしまったからだ。伊井田も隣で鼻息を荒くしていた。墓地の近くで藤の花が揺れていた。空は高く、天気のいい日が続いている。
事件のあらましは、ざっと言うと次のようなものだった。
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