第17話 アタシもさ、人並みくらいには遠慮ってのが出来るわけよ ①









 その日の朝は、とても気持ちの良いスタートがきれた。


 土曜という、明日の日曜へと続く約束されたホリデー開始日。

 そんな、とくに早起きを強要されるわけでもない一日の始まりに、今、昇る朝日に向かって、アタシの足は歩くのより少しだけ速くアスファルトの上を駆けていく。

 ペース的に、家を出てそろそろ二十分を過ぎたくらいかな。

 あの二つ目の角を曲がって少し。いつもの交差点が見えてきたから、もう一つ先を右に曲がればお決まりの折り返し地点。――馴染みのコンビニは、もう目と鼻の先。

 ポッポッポ。等間隔に吐く息を、冷えた空気が染めていく。

 ほどよく上がった体温が外気の寒さを相殺し、心地よい感じになってきた。


 ――汗をかかないギリギリで、家の近所を約一時間くらい走る。


 流石に夏だとこの限りじゃないけれど、これが、休日の朝限定でアタシがたまにサボりながらも続けている数少ない日課のひとつなわけだ。

 今まで通った習い事は、全部中途半端に三日坊主。そんなアタシがこれだけはなんだかんだと続けているのだから我ながら不思議でしかない。

 まぁ、とは言っても、特段自慢できるものでもないのよね。

 それこそ、胸を張れるほどのなにかしらの目的があるわけでもないし。

 始めたころにはあった目標も、わりかしラクショーで達成しちゃったから、今となってはホントなんにも無いんだもん。

 ただただ亀のようにのんびりと。今となっては惰性っちゃ惰性よね。

 そう。走り始めたきっかけなんてその程度。すぐに叶っちゃうくらいの、些細なものだった。


 ――はじまりは、ほんの数年前。ちょっとしたダイエットが目的で。


 もともと細身ってこともあって、しかも、アタシ的に身体のラインが隠れるような服を好んできていた時期が重なってさ。

 もちろんアタシもさ、自身の体型変化に気づいてなかったわけじゃない。

 周りの友達は分かってなかったみたいだけど、自分としては、あれれ? おかしいぞ? なんだか身体が重いなって自覚はあった。

 ちょうど妹が元気になったタイミングだったし、気が張ってたから安心したというか何というか。全部あの子のせいかと聞かれると違うんだけど。


 ……うん。言い訳は良くないわね。


 えぇ、そうです。そうですとも。妹はこれっぽっちも関係ありません。この場を借りて訂正してお詫びします。

 すべてアタシの気の緩みが原因です。

 まことにお恥ずかしい話ですが、ちょっとだけポチャッとしてしまったわけよ。

 まぁ、お菓子やアイスの食べ過ぎだってのは、なんとなくだけど自分でもわかってたからさ、そろそろなんとかしなきゃね。めんどーだけどしゃーないなってくらいには考えていた。

 ホントよ?

 それにさ、


『あら、どこのタヌキかと思ったら我が子じゃないの。ご立派なぽっこりお腹ねぇ』


 身内に、最大の敵が居たわけ。

 ったく、うちのママって普段はおっとりしてるくせに、口が悪いというか、歯に衣を着せないというか。

 娘のアタシに平然とデブデブ言ってくるんだもん。たまにブーちゃんとか呼んでくるのよ? 先日帰ってきた身体測定の結果が全てを物語っていたからさ、言い返せないのもムカついて。


『……は? 増えたっていってもたったの2キロじゃん』


『あらあら可哀想に。脳ミソにまでお肉がついちゃったみたいね。いい? あの数字は8って読むの。算数のお勉強からやり直しなさい』


『ばっ! そっちこそウソじゃん! +4キロって書いてあったもん!』


『やーい、でぶぅ』


『きぃ~っ!!』


 その時のママの顔がもう悔しくて悔しくて。いいじゃん、やってやるわよ。クソ、見てろヨってなもんで、はじめたのだ。

 最初は、家の周囲をグルグルとウォーキング。

 これが案外キツくって、しっかり背筋伸ばしてとか、きれいに腕振ってとか、ネットでは簡単に言ってんだけど、も~、辛いのなんの。一時間も経たずして、汗でびっしょり。

 ホントは動画サイトで見たモデルさんみたく、颯爽と走ってみたかったんだけど、それまでは運動なんて体育の授業くらいでしかやってなかたんだもん。その時のアタシの体力なんて、それこそナメクジ以下。

 とてもじゃないけど走るまでは行かなくて、でも、――継続は力なりよね。

 自分のペースで根気よく続けていれば、なんとかなるモンよ。ようやく走れるようになった頃には良い感じで余計なお肉ともオサラバしていた。

 それからは、休みの朝だけ、気が向いたら走ることにしている。

 今日も、たまたま目が覚めたら良い天気なんだもん。早起きも出来たし、走ろうかなって。それに、他の理由もいくつかあって、その中のひとつが何と言ってもこれだ。


「おろしたてって、すぐに着てみたくなるのよね」


 気分的にも、なんだか身体が軽い気がするし、やっぱりおニューはたまらない。

 この新調したばかりのウェアは、先日、一目惚れして買ったヤツ。

 淡い桃色が可愛くて、一緒に行ったあの子も、お姉ちゃんに絶対似合うよって褒めるから、しゃーないな。買いますかってノリよね。

 そして、見て。この器用かつオシャ可愛いポニーテールをみんな見て。

 二個目の理由がこれだ。

 普段なら、アタシって見られてないところではわりかしズボラだからさ、早朝だし、運動するんだからテキトーでいいじゃん。結局乱れるんだからメンドーじゃん、的なスタンスなんだけど。

 でも、さすが可愛いウチの妹なのよ。

 さぁ走りに出るかって時に、リビングで、ちょこんと椅子に腰掛けて目をキラキラさせてスタンバってんの。


『……もしかして、もう美容室のほう開いてますか?』


 そう芝居がかった感じで問いかけたアタシに、はい。と、元気にニッコニコ。


『お姉ちゃん様専用で、開いてます』


 アタシ専用なんて、自分はどんな特権階級なんだろうか。ありがたくてたまらない。いやー、朝から元気もらいました。ありがとーございまーす。


『代金は、出世払いとか可能ですか?』


『カットモデル、だっけ? なんかそういうあれやこれやで今回もタダになってます』


 どうもここ最近オシャレに目覚めたのか、その延長でヘアアレンジを勉強しだしたみたいで、アタシって髪長いからね。練習になるし楽しーんだって。

 自分の髪は短めだからって、機会があればやらせてと、数日前からせがんでくるようになった。

 もちろんあの子は長時間立てないから、その定位置のまま、アタシはキッチンから借りてきた少し低めの踏み台に。

 ふたり前後で並ぶように座る。


『可愛いスゴ腕美容師さん。アタシにはどんな髪型が似合いますか?』


 出来るだけ可愛くお願いします。そうアタシが笑うと、


『美人で優しいお姉ちゃん様には、何でも似合うから迷ってます』


 その後ろから、細い指が髪を優しく梳かしていく。


 ね? ウチの妹ヤバくない? 何がヤバいって、可愛さがヤバい。すでに可愛さ世界一。

 ちょっとくらいの贔屓目は入ってるかもだけど、技量のほどもプロ級。おしゃべりしながらもテキパキと、あっという間に出来上がりなんだもん。スゴいよね。

 動きやすいようにって少し高めでキレイに結って、ついでにヘアゴムを髪の毛でクルクルっと。

 ふぇ~、お見事としか言えないわ。たいしたもんよ、こういうふうに結び目を隠すと可愛いんだって。

 いや、もちろんアンタのほうが可愛いわよ? 上手だし、すでに世界一の美容師なんじゃないの?


『素材が良いんだよ。お姉ちゃんくらい美人なら誰がやっても可愛くなるもん』


『っ!』


 ホントもうアンタって子は。

 ルックスだけでなく、心までキレイな上に、この歳でお世辞をこうも使いこなすなんて、なんて出来た妹なのだろう。

 この喜びを言葉にするのなら、一日あっても足りないわね。


『……今度、髪の毛巻いたげる』


 だから、これは精一杯のお返しのつもり。


『わぁ。やった』


 ぱぁっと妹の声が喜びに咲き誇った。だけど、


『でも、……ママに怒られない?』


 すぐさま暗く陰ってしまった。

 ウチにあるコテ型のヘアアイロンは、少し重いからという理由で、妹に限り使用禁止とママからお達しが出ている。

 アタシが普通に使うぶんなら良いけれど、妹は腕のほうも少し筋力が弱いから、たとえ自分でやりたいと言ったところで当然論外だ。

 それならアタシがやってあげればいいって話だけどさ、だって、あんな熱々のコテが万が一にも顔にぶつかってみなさい。ほんの小さな火傷でさえ、一生モノ。

 あの子が、ヘアアイロンに興味を持っているのはわかっちゃいるけれど、もしそんなことになればアタシは死ぬまで後悔し続けるだろうから、そう考えると怖くて今までやってあげられなかった。

 でも、そんな妹も、今年で中学二年生。

 いよいよ可愛くなりたい理由が見つかったのかもしれないし、それに、せっかくオシャレに本腰を入れはじめたのだ。お姉ちゃんとしてもだけど、個人的にもずっと待ってたんだ。念願叶ったんだ。

 ようやく同じ趣味で楽しめるんだから、お互いに、その気持ちに蓋なんてできっこない。

 だから、まずは少し毛先を巻いてあげるだけ。もちろん細心の注意を払って慎重の上にも慎重を期する。

 そのうえで、あの子を笑顔にできるのなら、こちらとしてもやってあげたい気持ちがどんどんと膨らんでいく。

 アタシは、立ち上がるといつものように妹をハグ。きょろきょろとあたりを見回して、よし、ママは近くにいないようね。

 可愛い妹に、こっそりと耳打ちした。


『バレなきゃいいのよ』


 妹も同じように辺りを見渡して、


『二人だけのひみつ?』


『そう。アタシたちだけのナイショ』


 お互いに口の前で人差し指を立てる。

 あの子がふわりと微笑むと、やーん、可愛いってもんじゃないわね。妙に気恥しくなって、もう一度、抱きしめた。


『うふふ。そろそろ時間だよ』


『こんな可愛い妹と離れるだなんて、名残惜しい』


 と言いつつも、時計の針は、もう7時を過ぎるころ。

 さすがにいよいよ出ないと人通りが増えて、走りにくくなってしまうし、それに、今日はついでに足を延ばして、少し見ておきたい場所があるのだ。

 いうほど遠くはないけれど、土地勘のないとこだから迷うかもしれないもんね。だから、できるだけ早めに出るのが望ましい。

 アタシは、腰の位置にあるポケットへスマホをねじ込みながら『よし』

 あとは耳に音楽用のイヤホンをはめれば準備万端。


『いってらっしゃい』と、笑顔であの子が言ってくれたから、いってきます。


 アタシは軽く手を振って、玄関を後にした。








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