第16話 …知らなかったのか…? 彼女からは逃げられない…!!! ④
その日のことを、姉としても重大な失態だったと悔やんだのかもしれない。
ガー君と入れ替わるようにようやく帰ってきた両親と遅めの夕飯を食べながら「今度の土曜、部屋の掃除をするぞ」意を決した面持ちで言い出した。
「困難な作業になるだろう。でも、私たちふたり。力を合わせればやってやれないことではない」
もちろん、僕なんて姉にとっては我が家の備品みたいなモノ。
山盛りのカレーを豪快に平らげながらの、さも僕の参加は当然のような物言いに、いつもなら、ふざけんなと勝ち目の無い真っ向勝負を挑むわけだが、今回ばかりは、――なるほど。
掃除か。その手があったなと頭の上で豆電球がピカリと輝いた。
これは、もしやカレーに入ったスパイスのおかげか。
香辛料にそんな効果があるとは知らなかったが、いやはや目から鱗とはこの事か。普段よりも僕の頭は冴えているようだ。
そうだ。一時的にいいんだ。その日だけでも、僕の部屋をプレーンな状態に戻せば良いんだ。
今週末に控えた陽キャ襲来に、一筋の光明が差したようだった。
確かに、長い年月をかけ手塩にかけて築き上げた自分にとっての楽園を、たとえ一日とはいえ真っ新にするなんて、なんたる冒涜かと平時の僕なら言うだろう。
自室というパーソナルな場を、ワンオフな聖域を、万人向けの空間にすることにいったいなんの意味がある。とね。
この道を行く先人達の背中のデカさと比べれば、僕自身、まだまだオタクと名乗るには若く、経験も知識も何もかもが足りないヒヨッコではある。
だが、まがい物とは言えど、それでもいっぱしのオタクのつもり。
そんな汗と涙の結晶を、ハイそうですか。それではそのように、と誰が出来ようか。
それは、僕が大切にしてきた誇りをひどく傷つけ、今までの人生を全否定されるかのような、そんな憤りや苦痛しかないが、――でも、逆に考えるんだ。
これは、よりよい部屋に作り替える為の第一歩。このオアシスを、より良いニルヴァーナへと進化させるための必要なプロセス。
そう考えれば、あれほどまで憂鬱だった彼女の来訪も、神が我が聖域のよりよい発展を促すために、僕に与えたもうた試練。もといチャンスではないだろうか。
可も無く不可も無い量産型な部屋を装えば、彼女にも今以上の変なイメージを持たれずに済むし、その後、僕の部屋は今以上の高みを目指す事が出来る。
ううむ。まさに一石二鳥とはこのことか。
けっして楽な仕事ではない。
集めに集めたグッズ達は、段ボールで言えば10箱ほどにはなるだろう。どれひとつ雑に扱って良い物ではないんだ、かなりの重労働は覚悟せねばならない。
でもその一日。いや、彼女が帰るその瞬間まで僕の秘蔵っ子達を、愛すべきコレクション達を、どこかに逃がせば、あとはお楽しみタイム。
あの子が来るのは今週末。その前日の土曜日に、丸一日かかるだろうが、――苦しみの後にこそ喜びがある。
新たな楽園へと生まれ変わる、そんな夢のような出来事が待っているとすれば、ある程度の我慢は出来るというモノだ。
その際、もっともジャマになるのが例の女ゴリラなわけだが、……いっそのことガー君を召喚してしまうのも手か。
あーしろこーしろとやかましく命令を飛ばされる前に、抑止力というか、ゴリラに首輪をつけるというか。
と言うのも、今回のような突発的な大掃除に、過去数度、僕は覚えがあるのだ。
それは決まって、誰かさんが家へ遊びに来る幾日か前。
あの掃除ギライが、部屋の整理整頓を口に出したんだ。今までを思い返してみても、片付けに付き合わされたその数日後に彼が遊びにくることが多々あったのだ。
これはきっと、今度の土曜日以降のいつか。近いうちにガー君が遊びにやってくるのかもしれない。
……いや、間違いなくそうだろう。
だって、ほら見ろ。
ウワサの女ゴリラめが、父さんに笑顔でお酌をし始めたぞ。あれは、小遣いを要求する前に見せる儀式のようなモノだ。
それに、そら見ろ。
次は母さんと内緒話をはじめた。
常日頃から母さんはガー君のことを息子にしたいとのたまっているくらいだから、あそこでは今、実の息子はほったらかしで、ガー君をもてなすための何かが計画されているのだろう。
「やめてよ、ガー君とは、その、まだ、全然そんなんじゃ……」
何がやめてよなんだか。母さんが何を言ったか知らないが、実姉の真っ赤な照れ顔なんざ、食欲が光の速さで減退するのだからそれこそやめてもらいたい。
まったく。あの女ゴリラが必死に頑張るのは勝手だが、ガー君にだって選ぶ権利はあるんだからな。
今日の一件といい、そんなところに力を使うくらいなら、もっと嫌われない努力をするべきではないだろうかと僕としては考えるのだが。
ガー君は小さな頃からの腐れ縁で、あのゴリラのワガママにしぶしぶ付き合ってあげてる程度だろうし、なにかのきっかけで愛想尽かされればハイそれまでだ。その辺りに危機感を持っていないことが疑問でならない。
とまぁ、せっかくのカレーが急速に不味くなるのを感じながらも、あの様子では、十中八九、近々で彼が来るのは確定だろう。
それならいっそ先回り。
土曜にガー君が手伝いに来れば、姉からすれば本末転倒だろうけど、だが、ウダウダ言うのなら、僕はガー君と共に自室を掃除することになる、ただそれだけの話だ。
見た目どおり、ガー君は義理堅いヒトだからね、貸し借りの話になると少々心苦しいのだが、『今日の借りを返すつもりで掃除を手伝ってはくれないか』この一言で、よっぽどの予定がなければOKを出してくるだろう。
カレーで汚れたスプーンをこちらに向けて、あの女ゴリラがあんなにもニッコニコのご機嫌なんだ。あの後、僕の部屋で何があったか知らないけれど、ガー君との諍いも良い方向へと落ち着いたのだろう。
ガー君も帰り際、
『今度何か困ったことがあったら言ってくれ。今日は助かったよ』
と、嬉しそうに言っていたし、貸し借りはさっさと清算するに限る。あの、メソポタミヤ文明の遺跡にも残っている格言だ。……ウソだけど。
まったくもって不安がないと言えばこれまたウソにはなるが、なにはともあれ、ガー君がいれば、あのバカもそこまで強引なワガママも言えないだろうし、――これはこれで完璧なのではなかろうか。
なんならガー君をゴリラのアシストに付けてもいいまであるな。
彼にしてみれば、あの腐海の大掃除。ヒドく大変な一日になるだろうが、それこそ姉にとって片想いのキミが隣に居るんだ。なんやかんやと僕にちょっかいをかけている段ではないだろう。
いろいろとスマンが、ガー君よ。今回ばかりは僕自信、自分の事で手一杯は確実。どう転んだとしても、その日ばかりはどうか人柱になってはくれまいか。
とまぁ、なんだかんだと濃い一日で、すったもんだはあったけど。
帰ってきて早々散々な目に遭い、僕としては、やれやれ今回もまたくだらないいざこざに巻き込まれたもんだと辟易したわけだが、ところがどっこい、ケガの功名、瓢箪から駒。
今回ばかりはグッドなアイディアを貰えたわけだし、いつもなら悪いことばかりで終わるものが、ほんの少しだけど珍しく良い方向に転がったというわけだ。
そう、珍しく上手くいきそうだと思っていたのだけど……。
――本日は土曜日。それもまだ、ようやく朝の9時を迎えたあたり。
こんな突然の来訪。
合わせてこちらは準備の『じゅ』の字もできてないんだ。嘘八百でもいいから、なるだけ角の立たないよう丁重に追い返すべきだろう。
それともあれか? あの時の意趣返しのつもりだろうか。
そうだとすれば、やはりこのゴリラは性格が悪い。わかっていたがこれほどまでとは思わなかった。
あの時、引きこもった自分をムリヤリ彼の前に引っ張り出しやがって、とでも言いたいのだろうか。
終わったことをいつまでもグジグジと、オマエもアタシと同じくらい恥をかけ、ドタバタと無様を晒せ、ざまぁみろ。と言いたいのだろうか。
それとも、結局は机上の空論だったということか。冴えないオタクの考えた、たったひとつの冴えたやり方は、何処まで行ってもその程度だと、画に描いた餅は食えやしないと。どっかに居るであろう神様が、偉そうにふんぞり返ってそう言いたいのだろうか。
考えすぎとヒトは言うだろうし、そういう日もあると慰めてくれるヤツもいるだろう。かくいう自分も、我ながら、ここまでいくと自虐が過ぎて笑えないほどだ。
でも、それならこの状況をどう理解したら良いものか。
渋々降りた階段の先。見知ったリビングで、――高い位置で結んだ柔らかなミルクティーブラウンの髪。場違いな目鼻立ちの良さ。トドメに、まさかここまで走ってきたのか? 薄いピンクのトレーニングウェアを着たスポーティーな出で立ちで、――例の同級生が、ガッツリと朝ご飯を食べていたのだから。
「……朝からしっかり食べますね」
「まずは挨拶だ、バカタレが!」
いつものゴリラパワーで強かに頭を叩かれて、なんだこれは。朝からなぜこんな目に遭っているのだ。もう何が何だかわからない。冗談はこの女ゴリラとの血縁関係だけにしてくれ。
なんで彼女がこの日、こんな時間に、そんな格好で僕の家で母お手製の卵サンドを食べているのか。聞きたいことは山ほどあったが、寝起きから続く迷惑なドタバタに、もはや僕はヤケのクソ。
「おはようございますっ!」
これぞ空元気という大声で、――リビングに続くドアの前、――腹から声を出してみた。
「やかましい!」
ご近所迷惑だろうがと、今日何度目かわからない蹴りを内股に喰らい、いよいよ床で悶絶。
カードゲームなら初手見て即サレンダー状態。
まさに下振れな上にメタゲームを喰らったときを彷彿とさせる。泣きのマリガンすらも、当然失敗してからのスタートだ。
「お、おじゃましてます」
そんな踏んだり蹴ったりでメタメタな僕の耳に、あの綺麗な声。――ただ、いつもとは違う、どこか戸惑いのある他所行きの言葉が消えるように聞こえてきた。
なんかゴメンね、と。そして、
「おねえさん、メッチャ押し強くってさ……」
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