§1 タカムラによる冒頭陳述:生どんぐり喫食強要事件

「ここからの進行は、閻魔様に代わり、その補佐官である我、タカムラが務める」

 タカムラという名の長身の男が、わたしに告げる。現代の裁判に即していえば、彼がどうやら検事役ということらしい。名前や風貌をみるに、タカムラ自身も私と同じ日本の生まれであるようだが、いったいどういう経緯で閻魔様の部下になったのだろう。


浄玻璃じょうはりの鏡をここに」

 タカムラが命じると、獄卒たちが巨大な鏡を法廷の真ん中に運んできた。ボディービルダーもかくやといった屈曲な肉体の獄卒たちでも数人がかりでないと運べない、巨大な長方形の鏡だ。わたしはそののっぺりとした鏡の風貌に、駅に設置されている広告用のデジタルサイネージを思わず思い出す。


「この鏡は、亡者の生前のあらゆる罪を映し出すことができるものだ。亡者リツコよ、今からこの鏡面に、汝の『罪』が映し出される。目をそらさずにしかと見よ」


 タカムラの言葉が終わると同時に、大鏡に幼い私の姿が映し出され、私は息を飲む。季節は秋、場所は実家の近所の公園。私は手に持った何かを泣きながら父の口に押し込もうとしており、父はそれに対して苦笑しているようだ。


「これは汝が三つの頃である。汝は公園にて、父とままごと遊びをしていた。一見、微笑ましい光景であるが、実はそうではない。汝がこのままごと遊びをする中で、公園で拾ったどんぐりを、無理に汝の父に食べさせた」

「……え?」

 告げられた内容にわたしは思わず疑問の声を発するが、タカムラは構わない様子で、そのままきびきびとした様子で話し続ける。


「結果、汝の父はその晩ひどい腹痛に苦しんだ。汝の父は、生でどんぐりを食せば好ましくない結果が訪れると予見しつつも、泣いて懇願する汝にとうとう折れ、最終的には要求を飲むことになったのである……。例え相手が実の親であるとはいえ、相手の優しさにつけこみ自らの要求を暴力的に通す行為。これが、『罪』でなくて、何であろうか!」

 

 タカムラの言葉に、周囲の獄卒たちがざわざわとざわめきたつ。なんてひどいことを……まるで鬼だ、鬼! という非難の言葉が聞こえてくるが、鬼はどう見てもわたしではなくあなたたちだと思うのだが。


「は、はい! 異議あり! 当時の私は子供であり、悪意はなかったかと!」

 わたしはやや上ずった声で答える。まさか物心つくかつかないかの、幼児時代から裁きが始まるとは完全に予想外だ。


「さもあらん。だが、よく聞け、亡者リツコよ。量刑を定める娑婆の法廷では、そうした意図もまた、重要かもしれぬ。ただ、この地獄の法廷では違う。汝に帰するところの罪があるがないか――あくまで事実関係の有無のみが、争点となる」


 タカムラは目を伏せ、小さなため息をついて述べる。先ほどからうすうす気が付いていたが、彼にはどうも覇気がない。事務的でこの仕事自体に、正直飽き飽きしているようにも見える。現実世界では法曹はハードワークで心労が多い仕事だと言うが、ここ地獄でもやはりそうなのだろうか。


「つまり、汝がもし己の罪を否定したいのであれば、意図でなく因果――原因と結果の結びつき――を否定する必要がある。言い換えれば、汝は自分自身の行為と、今回問題とされている行為、の因果関係をないことを立証する必要があるのだ」

「なるほど。今回の件でいえば、私がどんぐりを食べさせたことと、父が腹を下したこと、の二つの出来事に関係がないことを示せ、ということですね」

「その通りだ」


 タカムラは気だるげに低い声で頷く。言葉はやや時代がかっていて分かりづらいが、言っていることはシンプルだ。ただ、わたしにはあるひとことがどうしても見過ごせなかった。


「タカムラ様――」

「様はいらぬ。別に我と汝の間に、格別の上下関係があるわけではない」

「ではタカムラさん。一つ聞きたいんですが、あくまでわたしが証明するのは、タカムラさんが提示した因果関係が成り立たないこと、だけでいいのですよね」


 わたしは大学の講義で学んだ、科学哲学の知識を思い出しながら慎重に確認する。

 二つの出来事の因果関係が本当に「ない」ことを証明するのは、めちゃくちゃ難しい。なぜなら二つの出来事の間を結ぶ因果の経路は、それこそ無限に考えられるからだ。ピンとこない人は、風が吹けば桶屋が儲かる、という有名なことわざを思い出してほしい。ここでは割愛するが、風が吹いて桶屋が儲かるまでには、5つのステップが間に挟まるのだ。


「うむ。娑婆の話はよくは知らぬが、大秦国だいしんこく(注:ローマ帝国のこと)あたりにて発達した『ふぃろそふぃー』とかの学問の話であろう? あくまで汝は我々の指摘した罪状について、直接否定すればよい」

「……わかりました」


 タカムラの言葉に、わたしは大きく息を吸って深呼吸する。裁判が始まったときはがくがくと足が震えていたが、話しているうちに、少しずつ落ち着いてきた。


 わたしは何としてでも、今から無罪を勝ち取らないといけない。

 なぜならわたしは自分自身がどうして死んだのか、全く覚えていないのだから。このままでは死んでも死にきれない。それがわたしの率直な思いだった。

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