答えを聞かせろ
王城の避難先で、イクリプスは頭を抱えていた。
壁や床に描かれた複雑な紋様のおかげで、魔術による不意打ちを食らう事はない。
しかし、シェイドに避難先の行き方を悟られてしまった。放っておけばフレアとクロスの二人が押しかけるだろう。
イクリプスにとって誤算だったのは、クロスの存在だった。
「この僕が操れない人間が三人もいるなんて……」
イクリプスが操れない人間は、ブレス王家かトワイライト家に限られる。曲りなりにも自らの血を引くシェイドや、ブレス王家であるフレアはともかく、クロスについてはノーマークであった。
「あの小僧さえいなければ、銀髪野郎もフレアも簡単に仕留められたのに」
クロスの操るカオス・スペルは、ほとんどの魔術を無効化する。おそらくイクリプスの魔術も例外ではないだろう。
「小僧も早く仕留めたいけど、銀髪野郎を逃がす可能性があるし……」
イクリプスは大きな溜め息を吐いた。
現在、操っているのはセレネ、ブライト、ローズ、イーグルだ。いざという時はエリスも手駒に加えられるだろう。
「手駒を集中させると誰かを逃がすだろうし、二手に分けると戦力が分散するしなぁ……もっとセレネが頑張ってくれないと」
ここまで呟いて、イクリプスは愉快そうに両目を細めた。
「あるじゃないか。銀髪野郎を確実に追い詰めて、フレアや小僧を仕留める方法が」
イクリプスは笑いが止まらなくなった。
天井を見上げてニヤつく。
「せいぜい僕を楽しませるがいい」
イクリプスの企みに呼応するように、大広間の空気が淀む。
空気が重くなっていた。どことなく暗い気配が充満する。
セレネが両手を広げた。虚ろな瞳のまま、呪文を唱える。
「イービル・ナイト、アクア・ウィンド、ナイトメア・テンペスト」
この呪文を聞いた時に、フレアは思わず足を止めて振り返った。
「何をしているの!? あなたの魔力特性じゃないでしょ!?」
顔面を蒼白させて、悲鳴じみた声をあげていた。
人間にはそれぞれの魔力特性がある。相性の悪い魔術を身に着けようとすれば命に関わる。自分の魔力特性でない魔術を扱うのは危険を伴う。
「死んじゃうかもしれないんだよ!?」
「操り手のイクリプスの意思によっては、起こりうる事だ」
クロスが淡々と告げる。
「セレネの魔力を超えた凶悪な魔術を放たせている。イクリプスは、俺たちを生かしておく気はなさそうだな」
悪意と殺意に満ちた闇と嵐が、大広間を蹂躙する。各々の服と髪がバタバタとなぶられる。
天井のシャンデリアが音を立てて崩れ落ち、窓ガラスが砕かれていく。
崩れ落ちるシャンデリアの残がいを浴びながら、シェイドは溜め息を吐いた。
「ここは俺がどうにかする。あんたらはさっさとイクリプスを仕留めてこい。ローズたちを助けたいんだろ?」
「行こう、フレア。シェイドなら放っておいていい」
クロスはフレアを引っ張って大広間を走り去る。その後を追うように、操られたままのローズやイーグルも走り出した。
ブライトも、十文字槍を掴む怪物を、自らの魔術で消し去ったあとで、フレアたちを追う。ブライトも操られたままだ。
シェイドは舌打ちをした。
「クロスの奴、相変わらず俺に厳しいぜ」
「あらあら、ドミネーションの裏切り者とブレス王家を簡単に逃がしちゃうなんて、どういう事かしら?」
エリスが口元に片手をあててクスクス笑う。
「あなたはドミネーションを裏切るつもりなのかしら?」
「緊急事態だ。セレネを止める必要がある。裏切り者とブレス王家は、いつか味方に引き入れるつもりだ。強力な戦力になるぜ」
「私はそう思わないわ。きっと歯向かってくる」
エリスは優雅に歩き出した。
「セレネと遊びたいのなら好きにするといいわ。私も好きにするから」
「ああ、互いに邪魔しないようにな」
シェイドは呪文を唱える。
「これで止められたらいいが……イービル・ナイト、エターナル・ロバリィ」
悪意と殺意にまみれた闇と嵐を包みこむように、新たな闇が生まれる。
セレネが生み出した闇よりも濃い。
そんな闇と混ざり合い、嵐の勢いは目に見えてそがれていた。
セレネが両膝をつく。限界が来ているのだろう。
シェイドはゆっくりと歩み寄る。
本当は駆け寄りたいが、急いで近づけば魔術を食らうだろう。
案の定、セレネは呪文を唱えていた。
「アクア・ウィンド、ルースレス・テンペスト」
猛烈な風と殺意が大広間の壁や床を砕いていく。
セレネは呪文を重ねる。
「イービル・ナイト、アクア・ウィンド、ナイトメア・テンペスト」
声はかすれ、消え入りそうだった。
明らかにセレネの限界を超えている。
床の欠片を避けながら、シェイドは呟く。
「諦めるつもりはないぜ。あんたは二人分の魔力を放った。同じ事をやるだけだ」
シェイドは、左手を見つめる。エリクサーを湛えた円錐状の花を、二つ掴んでいる。
そのうちの一つを口につけて、エリクサーを飲んだ。
空となった花を手放すと、猛烈な嵐に巻き込まれて姿が見えなくなった。
一方で、シェイドの身体にエネルギーがみなぎっていく。
「治癒の魔術は成功した事がないが、あんたの魔力を利用すればうまく行く気がするんだ。力を貸せ」
セレネは呼びかけに応えない。
分かり切っていた事だ。
しかし、変化があった。
かすかに嵐が衰えている。それも、シェイドがギリギリ通れる範囲だけ。
シェイドは大笑いをして、走り出した。
「あんたも魔術師だろ。プライドがあるだろ」
走った勢いそのままに、血の滲む右腕でセレネを引き寄せ、最後のエリクサーを飲ませる。
「あんた自身の魔力が回復すれば、好きなように魔術を操れるはずだ。俺を生かすも殺すも、あんた次第だ」
セレネの瞳がかすかに揺れる。
しかし、その瞳はすぐに虚ろになる。
シェイドは声高らかに笑う。
「あんたの答えを聞かせろ。イービル・ナイト、アクア・ウィンド、ソウル・リカバリー」
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