私にできる事なら

 大量の花びらがハラハラと床に降りる。

 花びらを蹴散らすように、セレネの放つ風の刃が虚空を駆ける。舞い散る花びらは切り裂かれ、残骸となった。

 風の刃はそのままの勢いで、フレアに迫る。

 避ける間はない。咄嗟の事で足が動かない。全身が固まっていた。

 胸の内に恐怖が広がる。身体は動かないが、心は怯えて震えていた。

 そんなフレアに、クロスが優しく声を掛ける。


「落ち着け。カオス・スペル、リターン」


 クロスの手が、より強くフレアの手を握る。

 その手と反対の手から黒い波動があふれて、風の刃に溶け込む。

 フレアたちに届く頃にはそよ風となり、空気に溶けこむように消えていた。

「ありがとう、クロス君」

 フレアは目元をぬぐった。恐怖で支配されそうだった胸の内はいくらか和らいだ。

 しかし、クロスが風の刃を防いでいる間に、操られているブライトがすぐ傍まで来ていた。

「セイクレド・ライト、ブリリアント・スピア」

 クロスがもう一度呪文を唱える時間はない。

 咄嗟にフレアを引っ張り、ブライトの十文字槍の前に出る。

 フレアの顔に絶望が浮かぶ。

 クロスは十文字槍を自分の胸に受けようとしていた。

 そんなクロスを嘲笑う声が、大広間に響く。


「それでブライトの攻撃を防げるつもりか? 冷静になれよ。イービル・ナイト、エターナル・ナイトメア」


 シェイドが笑っていた。

 彼の周囲に闇色の泡が生まれて、弾ける。弾けた瞬間に、コウモリの翼を生やした、鋭い牙と爪を光らせる人間大の黒い怪物が出現した。

 黒い怪物は恐るべき速さで飛び、ブライトの十文字槍を胸に受ける。

 十文字槍は怪物の分厚い胸に阻まれて、怪物の両手にガッシリと掴まれて、貫通する事も引き抜く事もできなくなった。

 フレアは両目をパチクリさせた。

「もしかして助けてくれたの?」

「確認する暇はないはずだぜ」

 シェイドが口の端を上げる。

 操られたままのローズが呪文を唱えていた。

「フラワー・マジック、ダンシング・ハーブ」

 ローズの両手から大量に蔦が伸びて、大広間を蹂躙する。

 蔦にはひとりでに花が咲き、花粉をまき散らせる。

 クロスは咄嗟に口元を覆う。

「花粉に毒が仕込まれている!」

「慌てる事はないぜ。一時的に痺れるだけだ」

 シェイドはニヤついていた。

「ローズまで操られているな。ブライトと共に葬るか」

「待って、お願い! みんなを助けて!」

 フレアは痺れる身体を無理やり動かして、両手を合わせた。

「何でもするから!」

「何でもか……それなら考えてもいいぜ」

 シェイドはニヤついたまま顎に片手を置いた。

 その間にも、セレネが呪文を唱える。

「アクア・ウィンド、テンペスト」

「イービル・ナイト、ダブル・ロバリィ」

 虚空に雷を伴った雲が出現するが、シェイドの周囲に生まれた闇に覆いつくされて、消される。

 同時に、ローズが放った蔦も枯れて床に溶けていった。

 シェイドは低い声で笑った。


「セレネが操られている時に、ローズやブライトを仕留めずに魔術を放たせるのは、俺にとって何もメリットが無いのは分かるよな?」


「そ、そうだけど……」


 フレアは視線をそらした。

 等価交換なら、とんでもない要求をされる事に気付いた。

 しかし、ローズやブライトの命には代えられない。

 フレアは両手を胸に置いて、しっかりと答える。


「私にできる事なら、どんな要求でも受け入れるわ」


「なら話は決まりだ。まずはイクリプスを倒そうぜ。そいつがみんなを操っている」


 イクリプス。

 この名前を聞いた時に、フレアは全身を震わせた。

 ブレス王家の生き残りでありながら、ブレス王国の国民を守る気配がない。シェイドの父親である。

 シェイドは花びらの残骸が散乱する床を指さす。


「あいつの居場所はだいたい察している。一度しか言わねぇ。行き方を言うからよく聞けよ」


「あら。ドミネーションでない人間と、随分と仲良くお話するのね」


 それまで沈黙を守っていたエリスが微笑む。

「イクリプスはドミネーションの味方なのに、ひどいわ」

「味方じゃねぇよ」

 シェイドが舌打ちをした。

「セレネまで操りやがって。ぜってぇ許さねぇ」

「あなたに人望がないだけでしょ? セレネに殺されるほど恨みを買っちゃったのよ」

 エリスはクスクス笑う。

 シェイドは溜め息を吐いて、闇色の泡から、透明な羽を生やした黒い球体を召喚していた。

「相手にしてられねぇ。フレア、クロス、こいつについて行け。あとは自力でなんとかしろ」

 黒い球体がブビビビと耳障りな音を立てて、大広間を飛び出す。

 フレアとクロスが追いかけようとした時に、エリスが瞳を静かに光らせていた。

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