更なる異変
フレアたちが慌てふためいている最中に、セレネは独房のベッドに横たわっていた。
彼女はシェイドと共に、世界警察ワールド・ガードの本拠地に囚われた。魔力封じの手枷をはめられた挙句に、ブライトの魔封じを掛けられて、今は魔術が使えない。首筋の六芒星が、ブライトに魔術を掛けられた証だ。
「……シェイド様のお役に立てないのが申し訳ないです」
心ならずも溜め息が出る。
しかし、今はやれる事がない。長い銀髪は奔放に広がり、透き通る青い瞳はまどろんでいた。
そんな時に不可思議な事態が起こる。
独房の扉が開いたのだ。
世界警察の面子が入ってくる。害意のなさそうな女性だったが、様子がおかしい。
虚ろな眼差しを浮かべて、おぼつかない足取りでセレネに近づいてきた。
「どうかしましたか?」
セレネは起き上がり、警戒を隠さずに問いかける。
女性は口を半開きにした。
「枷……外す」
抑揚なく言っていた。
セレネは首を傾げた。
「私の手枷を外すのですか?」
女性は口を半開きにしたまま、鍵を取り出した。セレネの手を取り、枷の鍵穴に通す。手枷は簡単に外れた。
その後、女性は糸の切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。
セレネは足音を立てないように独房を出る。廊下には、世界警察の面々が倒れている。おそらく見張りだったのだろう。
乾いた笑いが出た。
「とんでもない魔術師が糸を引いていますね」
世界警察の面子は、一定以上の魔力の持ち主が多い。セレネが所属するドミネーションにとって、油断ならない相手が多い。
そんな世界警察が歯が立たない魔術師は数少ない。ドミネーションでも、指折りだ。
セレネは固唾を呑んだ。
そんな彼女の耳元に、一匹の羽虫が飛んでくる。
羽音と共に、まとわりつくような男の声が聞こえた。
「おいでよ」
微かな音だった。しかし、セレネの耳に明瞭に届いた。
羽虫はゆっくりとセレネの前を飛び回る。
声の主が、世界警察の面子を圧倒した魔術師で間違いないだろう。羽虫から禍々しい魔力を感じる。
セレネは吐き気を覚えた。実力差がありすぎる。戦って勝てる相手ではない。
セレネの心情を悟ったのか、羽虫が再び近づいてくる。
「怖がる事はない。悪いようにはしないよ」
どことなく嘲るような口調だった。
セレネは意を決して羽虫が飛ぶ方向へ歩き出す。どれほどの危険因子なのか分からない。少しでも声の主の情報を掴んで、シェイドに報告するべきだと思った。
羽虫の後を追うと、不気味なほど簡単に外へ出る事ができた。
セレネは、不安に支配されそうな自分を落ち着つけるために呟く。
「……神とエリス様に私たちの窮地を伝えて、シェイド様を助けてもらわないと」
「そんな事をさせるつもりはないよ」
不気味しい男の笑い声が聞こえた。
刹那、セレネの目の前に黒い羽虫の大群が飛んできた。
セレネは思わず目を瞑り、両手で顔面を覆った。
「何のつもりですか!?」
底冷えするような視線を感じていた。
しかし、ドミネーションのエージェントとして舐められるわけにはいかない。
そんな意地だけが彼女の心を支えていた。
「私はあなたのいい様にされるつもりはありません!」
不気味な笑い声はより強くなった。
「抵抗しても無駄だよ。僕はイクリプス。君の新しい主人の名前だ」
「主人? ふざけないでください!」
セレネは声を張り上げた。
「私の主はシェイド様です!」
「あの銀髪野郎か? そんな男の事は忘れなさい」
「あなたに指図されるいわれはありません!」
「やれやれ、聞き分けのない女だ。ノーブル・マインド、スレイブ・コントロール」
羽虫のうち、一匹がセレネの首筋に止まる。そして、ひとりでに溶けて黒いシミとなった。ブライトが描いた六芒星を消していく。
その直後に、セレネの瞳から光が失われた。
「何を……しましたか?」
意識が薄れる。
不気味な笑い声が聞こえる。
「君を奴隷にする。心から支配するんだ」
「……やめてください」
声は掠れた。
男が勝ち誇ったように笑っている。
「君は新しい主人の元で、世界で最も美しい奴隷になるんだ」
セレネの頬に一筋の涙が伝う。意識は途絶えた。
抑揚のない言葉を呟く。
「イクリプス様、ただいま参ります。アクア・ウィンド、フライト」
セレネの身体が浮かび上がり、次の瞬間に大空を飛んでいた。
後には、ただの羽虫たちが残されるだけだった。
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