暗躍する男
フレアとクロスは、元の世界に戻った。
壁に開いていた空洞は、ひとりでに塞がっていった。
「すごい空間だったね」
フレアの胸の内は知らず知らずのうちに興奮していた。
両目は輝き、心臓の鼓動が早まっている。
「平常心になる事を学ばないといけないけど、今は無理みたい」
「平常心を保つのが難しいと自覚したのは進歩だ。いつかできるようになるだろう」
クロスが微笑む。
「いい体験をしたと思う」
「そうね。滅多に見られない景色も見れたし、良かったわ。ローズも来れば良かったのに」
両目を輝かせたままのフレアの唇に、ローズの左手の人差し指が立てられる。
「ちょっと集中していますの。お静かに」
有無を言わさない雰囲気だ。
フレアは頷くしかなかった。
ローズの右の手のひらから数枚の花びらが舞っていた。色とりどりの花びらは蝶のようにふわりふわりと空気を漂う。
高い魔力を感知すると、その方向に飛んでいく代物だ。
しかし、花びらは次々と床に降りては床に溶け込むように消えていった。
「ビューティフル・バタフライを使ったのですけど……気のせいだったのかしら……けど、確かに違和感があったのですわ」
「どんな違和感だ?」
クロスが尋ねると、ローズはいぶかし気に首を傾げていた。
「なんというか……誰もいないはずなのに、誰かの視線を感じましたの」
「恐ろしい話だな。イーグル先生は何か気づきましたか?」
クロスの質問に、イーグルは首を横に振った。
「何も感じなかった。だが、ローズの勘は意外と鋭いからな。対策を立てた方がいいかもしれない」
「意外とは何ですの!? この私に分からないものはありませんのに」
「そう言っているが、フレアがどうやったら魔術制御ができるのか分からないのだろう」
「そ、それは別の話ですわ」
ローズがしどろもどろになる。
フレアはまぶたを伏せた。
「私のせいで迷惑を掛けてごめんね」
「迷惑なんて感じておりませんわ。お友達ですもの、助け合いましょう!」
「私はどんな手助けができるのかな……?」
フレアは腕を組んで考えたが、答えは見つからなかった。
ローズが自らの金髪をかきあげる。
「私を正当に褒め称えなさい!」
「それなら簡単だよ! ローズはすごい、ローズは天才!」
フレアが素直に褒め称えると、ローズは胸を張って高笑いを始めた。
「姓はクォーツ、名はローズ。この私に不可能はありませんの。いつかフレアが魔術を制御できるようにしてさしあげますわ!」
「ローズ、ありがとう!」
フレアが万歳をすると、ローズもフレアと両手を合わせる。
イーグルはポリポリと頭をかいていた。
「仲がいいのは結構だが、周りを置いてけぼりにしないようにな。学園を閉じる時間が近づいたし、そろそろ帰れ」
ローズが頬を膨らませたが、三人は素直に帰る事にした。
窓から夕焼けが物寂しそうに差し込んでいた。
そんな窓から小さな羽虫が飛び去った。
今はただの羽虫であるが、つい先ほどまで、とある魔術師に操られていたものだった。
その魔術師は、羽虫を物音を聞くのに使っていた。人の足音や会話は、ローズが気づくまで全て聞き取っていた。術者は黒髪を腰まで伸ばした男で、白を基調とした上質な服に身を包んでいる。服には黄金の刺繍が施されており、高貴な身分の人間だと分かる。
どことなく陰湿な眼差しを浮かべている。
ブレス王国跡地の城の一室で、黄金色の肘掛けが施されたソファに腰掛けて、虚な瞳の奴隷たちが見守る中で、赤ワインを煽っていた。
「全く……妙に勘の冴えた子がいるんだね」
男はローズの声を思い出しながら苦々し気に呟いた。
明らかに苛立っている。
奴隷たちは肩を震わせた。男に買い取られた奴隷たちで、薄布を当てたような見すぼらしい服装だ。男の機嫌によっては、どんな虐待をされるのか分からない。奴隷たちの中には少年少女も混ざっているが、男は容赦しないだろう。
しかし、男は急に不気味に笑いだす。
「でも、僕の好みだな。強気でたくましそうで、僕に屈した時のギャップが素晴らしいだろう。他にも、セレネをものにする良い機会に恵まれそうだし、神は僕の味方をしている」
男は立ち上がって、ワイングラスをつまんだまま、窓の外から空を見上げた。
もうすぐ夕暮れが終わりを告げ、夜が訪れるだろう。
「明日か明後日にグレイスが魔術学園に到着するだろう。にぎやかなお祭りが期待できそうだね」
男は笑いが止まらなくなった。
男の名はイクリプス。ブレス王家の血筋でありながら、ブレス王国を裏切った男である。
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