夕暮れに染められた戦場

 夕暮れ時となり、辺りは鮮やかな赤色に染められていた。

 赤い光は揺らぐ川や、生い茂る森を美しく彩る。

 夕暮れに染まる森の中で、クロスは感嘆の溜め息を吐く。

「決戦の場としては、あまりにも綺麗だな」

 森の奥から不気味な女の笑い声が聞こえる。セレネがいるのは間違いない。

 これから森は戦場となる。セレネが扱う魔術によっては、血なまぐさい応酬になるかもしれない。

「簡単に片づけばいいが、そうはいかないだろうな」

 クロスは呟いて、森を進む。

 クロスと世界警察ワールド・ガードの面々は、枝を払い、木の根を越えて、慎重に歩みを進めていた。

 不気味な笑い声は近づいている。

 何事も起こらないはずはない。

 どんな罠を仕掛けられているのか分からない。

「だが、倒さなければならない」

 クロスの瞳はギラついた。

 標的であるセレネは、犯罪組織ドミネーションの中でも強力な魔術師だ。任務達成のために手段を選ばないし、執念深い。

 手負いとはいえ、油断ならない。

 クロスは深呼吸をして、一歩また一歩と足を進める。

 クロスの心臓の鼓動は早まり、手には汗がにじむ。恐怖と緊張で縮こまりそうになる両足を、力づくで奮い立たせる。

 そして、その時は来た。

 不気味な笑い声が呪文に置き換わっていた。


「アクア・ウィンド、ルースレス・ナイフ」


 セレネの魔力が放たれた。

 枝が、そして数本の木々が、一瞬にして切り裂かれた。風が無数のナイフとなって、辺りを切断していく。轟音を立てて木々が倒れて、世界警察の面々を何人も下敷きにする。

 先頭を歩いていたクロスの前髪を、見えないナイフがかすめた時に、クロスも魔力を放つ。

 セレネの攻撃に備えて、呪文は唱えておいた。

「カオス・スペル、リターン」

 クロスの右手から生まれた黒い波動が辺り一面に広がり、風のナイフを包み込む。

 波動が消える頃に、見えないナイフは鳴りを潜めた。

 しかし、セレネの魔術は止まらない。


「アクア・ウィンド、テンペスト」


 赤い空に異変が起きる。

 遥か遠くの空が光り、轟音が鳴る。森の上空で暗い雲が巨大な渦を巻き、いくつもの雷が落ちて、地面に突き刺さる。

 雷はクロスたちのすぐ近くに落ちた。

 天が暗くなり、大地が砕ける。

 辺りの温度が急激に下がり、突然に風雨が強くなる。

 クロスや世界警察の面々は視界を奪われ足を取られる。

 セレネが再び魔力を放つ。

「アクア・ウィンド、ルースレス・ナイフ」

 先ほど唱えられたものだ。

 しかし、嵐と共に迫りくる見えないナイフは凶悪だ。何人もが血を吹き出して倒れた。

 クロスは咄嗟に両手で首を守って致命傷を避けたが、余力はない。

 クロスの右の太ももから血がにじんでいる。強烈な熱さを感じ、歩みは遅くなる。

 嵐と風のナイフを同時に止めるために、クロスは全力を出すしかなかった。

「カオス・スペル、エンドレス・リターン」

 黒い波動が風雨になじんでいく。黒くなった嵐は少しずつ穏やかになり、力を弱めていく。

 やがて嵐が消え去った後には、凄惨な景色が残された。

 木々が折られ、世界警察の面々が何人も血を流して倒れている。

 その原因となったセレネを見つけて、クロスは感情の窺えない表情で見ていた。

 横たわるセレネは虫の息であった。

「覚悟はできてるだろうな」

 クロスが話しかけると、セレネはかすかに目線を向けていた。

 セレネは修道服からナイフを取りだした。クロスは、セレネがナイフを持っている経緯を知っている。

 シェイドが護身用に持たせたものだ。魔術がまともに使えない状況になった時に、意外と重宝するとも言っていた。

 ナイフを取り出した理由は、セレネの魔力は尽きているからだと考えていい。

 それを悟ったクロスは、セレネにどんどん歩み寄る。


「おまえに勝ち目は無い。大人しく捕まれ」


 セレネは何も言わずに、ナイフを握る手を強めた。


 そして自分の首筋に当てる。


 明らかに自害しようとしている。勝ち目が無いのは百も承知だったのだろう。しかし世界警察ワールド・ガードに一矢報いるために戦ったのだろう。

 そして魔力が尽きて戦えなくなったから、情報を渡す前に自ら命を絶つ気でいるのだろう。

 クロスは舌打ちして、足取りを早めた。枝や太い木の根をかき分けて、強引に突き進む。多少の擦り傷は気にしない事にした。今は速さが肝心だ。

 クロスにとって、セレネの死を止める義理は無い。

 しかし、フレアはセレネを敵だとは思っていなかった。ドミネーションのエージェントである事に気付いてすらいなかった。


 セレネが死ねば、フレアが悲しむのは目に見えていた。


「あいつが悲しむ顔はもう見たくない」


 クロスがフレアを疑った時に、彼女は泣きそうになっていた。クロスも胸が痛かった。あんな想いはしたくない。

 だから、セレネの自害は止める。誰がなんと言おうと、クロスの想いは変わらない。

 もう少しでクロスの手が届く距離に来た。


 そんな時に、グランドが声を張り上げた。


「気を付けろ、エリクサーの器が動いたぞ! もうすぐシェイドが来るぞ!」

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