セレネの罠

 クロスは舌打ちをして、フレアの右手を引っ張って走る。その間も、地面は割れて影を帯びる炎が広がっていた。

「犯罪組織ドミネーションか……こんな所にいるなんて」

 可能な限り速く、足場が崩れていない方向に走る。

 しかし、フレアはヘトヘトになっていた。

「日頃の運動不足がたたったわ……」

「気にするな。もう少し落ち着いた所に行けば、俺が魔術で応戦する。それまで走ってくれ」

「うう……頑張るけど……」

 自信がないわ。

 そう言いかけて、フレアは悲鳴をあげた。

 フレアの足元は急速に亀裂が走り、崩れ去った。フレアは足場を失った。

 クロスはフレアの右手を放さないようにしていた。

 しかし、突然に生じた風が容赦なくクロスに襲いかかる。

「もう一人いたか……!」

 クロスが苦々しく呟いた。肩と手に、不自然な切り傷ができていた。

 身体に力を入れる事ができず、意思に反してフレアを手放してしまった。

 フレアが落下する。

 落下先には影を帯びた炎が燃え上がる。

 巻き込まれれば、焼き尽くされるだろう。


「諦めるな、フレア! カオス・スペル、リターン」


 クロスが魔術を放った。

 クロスの傷ついた右手から黒い波動が生まれて、炎になじんでいく。

 炎の力は確実に弱まっている。消えるのは時間の問題だ。

 しかし、炎が消されても、フレアの身体は落下の衝撃に耐えられないだろう。間違いなく命を落とすだろう。

 フレアは泣きそうになった。

 今までの思い出が走馬灯のように蘇る。ホーリー家で育ち、愛されて優しくされて、周りに少しでも恩を返したいと思った。魔術学園グローイングには散々迷惑を掛けた。

 そんな中でかけがえのない友達ができた。

 友達を悲しませたくない。また元気にお話したい。

「死にたくない……」

 フレアの胸の内は熱くなる。

 全身に赤い燐光を帯びる。

 両目をしっかりと開けて、唱える。

「バースト・フェニックス、とにかく私を助けて!」

 呪文とも呼べないような叫びをあげた。

 フレアを中心に巨大な赤い柱が生まれる。大地の裂け目から天にまで柱が伸びて、白い雲を散らす。

 バースト・フェニックスは不死の炎を生み出す魔術だと聞いた事がある。

 制御を誤ると大陸が消えるとも言われた。

 フレアがまともに扱える確証はない。

 しかし今はそんな事を言っていられない。一か八かに賭けるしかない。

 鮮やかに燃える赤い渦が、フレアを包み込む。心なしか落下直前のフレアを浮かせたが、焼き殺してしまいそうだ。

 そんなフレアに気付いて、クロスが声を張り上げる。

「魔術を適切に抑えるイメージをしろ! カオス・スペル、エンドレス・リターン」

 フレアは頷いて、心を落ち着ける。

 黒い波動が赤い渦に巻き込まれる。赤と黒が徐々に混じり合い、互いに削っていく。

 渦が消えた頃には、フレアは尻もちをついていた。

 赤い柱も消えていた。

「クロス君、ありがとう!」

 フレアが声をあげても、クロスから返事はない。

 フレアは首を傾げた。


「聞こえてないのかな?」


「クロスでしたら、あなたに構ってられずにどこかへ行きましたよ」


 後ろから、鈴の鳴るような綺麗な声が聞こえた。

 振り向けば、黒い修道服に身を包んだ女が立っていた。腰まで伸ばした銀髪を一本にまとめた色白の美しい女だ。


「初めまして、セレネと言います。以後お見知りおきを」


 優し気に微笑んで、フレアの右手を取る。

「可哀そうに。クロスがしっかり握ってあげれば良かったのに」

「クロス君は悪くないわ。突然落下した私が悪いの」

「そう……罪の意識がありますのね」

 セレネが憐みの視線を向けてくる。

 フレアはまぶたを伏せた。

「また足を引っ張ちゃった……」

「安心してください、神は慈悲深いですよ」

 セレネはフレアを引っ張って立たせた。

「私と共に来てください。一緒に罪滅ぼしをしましょう」

 フレアはぶんぶんと首を横に振った。

「クロス君を置いていけないよ!」

「クロスはあなたを助けに来なかったのです。見捨てたと考えるべきでしょう」

「そんな……」

 フレアは言葉を失った。

 セレネはそっと微笑みかける。

「神は常に見守ってくれています。救いを求めに行きましょう。アクア・ウィンド、フライト」

 穏やかな風が吹いたと思ったら、セレネとフレアの身体が浮かび上がった。

 フレアは驚いてヒッと小さな悲鳴をあげたが、不思議と恐怖感は無かった。

「すごいわ……!」

「これくらいで驚いてもらっては困ります。まだまだ奇跡を見届けてください」

 セレネは得意げに胸を張った。

 フレアとセレネは、地上まで浮かび上がる。クロスの姿は見つからなかった。

「クロス君、本当にどこかへ行っちゃったんだ」

「クロスの事を考えるのはやめましょう。さあ、行きますよ!」

 セレネが掛け声を発すると、彼女たちの身体は急激に地上から離れた。

 フレアは、強烈な浮遊感に耐えきれずに目をつぶる。思わずセレネにしがみついてしまう。


 そして、フレアは見落とした。


 フレアの落下地点から離れた場所で、クロスが青息吐息で、ダスクとグリードと戦闘をしている姿を。


「セレネまでいたのか!?」

 クロスの表情に焦りが生まれる。ダスクやグリードを相手に、散々魔術を放った後だ。セレネを止める余裕は無かった。

 ダスクが両手を叩いて喜んだ。

「うまく行ったな! さすがセレネだぜ。クロスとフレアを引き離したな」

 グリードが言葉を引き継ぐ。

「本当にうまく行った。クロスがいなければ、フレアを簡単にドミネーションに引き入れられるな。おいらたちはクロスを仕留めるだけか?」

「クロスはシェイド様のお気に入りだから、ちょっと懲らしめてから連れて帰ろうぜ」

「なるほど、ちょっとくらい怪我を負わせてもいいな」

 ダスクとグリードが怪しく笑う。

 クロスは舌打ちをした。

 カオス・スペルで防げる魔術は一度に一回だ。一方の魔術を防いでいる間に、もう一方が別の魔術を仕掛ける。防戦を余儀なくされていた。

 攻撃に転じる事ができなければ、勝ち目は無い。


 そんな時に幸運とも言うべき事態が起きた。


 グリードの後ろから、巨大なハンマーが打ち付けられたのだ。


「う、うわあぁぁ!」

 グリードは慌てて避ける。

 ハンマーは派手な音を立てて、地面を叩き割った。

 ダスクが悲鳴をあげる。

「世界警察ワールド・ガードの長官グランドだ! なんでこんな所に!?」

「無駄な戦いはやめようぜ、ダスク!」

「賛成!」

 ダスクとグリードは一目散に走り去った。

 グランドはたくましい髭をいじりながら、残念そうに口を開く。

「ううむ、クロスに集中している間に仕留められると思ったのにのぅ」

「助力いただき感謝します。俺はフレアを追います」

「どこに行ったのか分かるのか?」

 グランドの問いかけに、クロスは力強く頷いた。

「セレネと共に東へ飛んでいきました。ストリーム村で間違いないでしょう」

「単独で行かせるわけには行かぬ。お主らの正体がバレてしまっている。情報収集は絶望的じゃよ」

「お気遣いありがとうございます」

 クロスは一礼した。

「グランド様がいらっしゃると心強いです」

「うむ、頼るが良い。無理をせず、自分の身を守る事を最優先にしてくれ」

 グランドは胸を張って歩き始めた。

 クロスは首を傾げた。

「走らないのですか?」

「走ったら身が持たぬ」

「では、先に行っています」

「コラ、待て!」

 クロスはグランドの制止を振り切って走っていった。

「フレアも周辺地域も、どうか無事でいてくれ」

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