第8話 ガラの悪い乙女、爆発する


「フローラ、入るぞ」

 クラウスはドアをノックして入っていき、ノエルとアレットがそれに続く。


 部屋の中央のベッドに上体を起こして座っている少女がいた。その姿は、クラウスの母、フィオナが十代の時はこうだったという優しく美しい顔立ち。フワフワとカールした長く美しい金髪がベッドの上を這っている。しかし、元気がなく弱っている感じを漂わせる。


「お兄様!」

 兄の姿を見て、フローラは喜びの表情を浮かべた。


「妹のフローラ、今年で十六だ」

「こちらがノエルさんね、女性だったなんてびっくり」


 面白そうにクスクス笑うフローラをノエルは不思議そうに見る。 


「お義姉様って呼んでもいいですか?」

「お義姉さんはちょっと早いから、ノエルでいいよ」

「お兄様、ノエルさんと二人でお話ししたいんだけど」



 フローラと二人きりになり、ノエルはベッドの端に腰を下ろす。


「ノエルさん、兄のこと、くれぐれもよろしくお願いします。口数少なくて、不器用ですけど、決して悪い人間ではありませんので」


 ノエルは微笑みながら答える。

「そうね、いい人ね。それはわかるわ。だけど、国王に命じられてイヤイヤながらの婚約。うまくいくかどうかは難しいわね」


「あら、まだ兄のことわかってませんね」

「えっ?」


「兄は自分の望まないことは相手が誰でも絶対断る人です。以前も王から文官として国の政治に関わるように命令されたとき『自分は武人ですから』って断ってました」

「そうなのか?」


「兄なりの理由があって承諾したのでしょう。ノエルさんは強いですし、きれいですもの」

「きれいかはともかく、強いは強いかな。この間もぶちのめした……」

 話しているのが、ぶちのめした相手の妹であることを思いだして慌てて口をつぐんだ。


「あたしが死んだら、兄はひとりぽっちです。だから、一緒にいてあげて下さい」

「フローラ、死ぬって、なんで?」


「兄が酔っ払ったとき言ってました。あたしは母を殺して生まれてきた呪われた子」

「なんだって……」


 フローラの大きな目が潤み始め、涙がこぼれだした。


「あたしを産んで、母は死んだというのは事実だそうです。身体が弱いのは、その呪いでしょう。だから早くあっちに行って母にお詫びしなければ……」


 フローラの涙を見るノエルの顔がみるみる紅潮していった




 廊下で母親の肖像画を見上げながら、クラウスが隣に立つアレットに語りかけている。


「父がどうしても母に似た娘が欲しい、ということで俺が十二にもなったとき、フローラを産んだ。だが、高齢の難産で母は死んだ」


 アレットは相づちも打たず、黙って聞いている。


「フローラはかわいい。俺の唯一の家族だ。だが、その命は母を犠牲として生まれたもの、母を殺して生まれた子。そんな思いが頭から……」


 廊下の向こうからノエルが怒りの形相で駆け寄ってくるのに気づき、話しを止めて振り向いた。


 パーン、ノエルの右手がいきなりクラウスの頬に平手打ちを食らわせ、乾いた音が廊下に響き渡った。


「お前は妹になんてことを言うんだ!、酔っていても言っていいことと悪いことがある!」


 クラウスはノエルの怒りの原因を理解した。

「いや、あれは酔って口が滑って……」


 パーン、今度は左手で平手打ち、しかもより強い力で。クラウスは床に倒れ込んだ。

「言った言わないではない!、考えがおかしいんだ!」


「クラウス様!」

 アレットもさすがに慌てて、倒れたクラウスを抱き起こす。


「ノエル様、落ち着いて!」


 しかし、ノエルの怒りは全く収まらない。

「母から子につながれた命、母上が望まれたことだろう!、それを横からぐちゃぐちゃ言うな!」


(そうだ、それはわかっている……、それでも考えてしまうのだ)


「そんなお前の考えを、母上が聞いて喜ぶか?、どう思われる?、恥を知れ!」


 ハッと気づいたようなクラウスは目を閉じてうなだれた。


 ノエルはそれだけ言うとクラウス達から離れ,歩き去って行った。

 アレットに支えられて、やっとクラウスは立ち上がった。


「すみません。ガラの悪い乙女で」

「いや、彼女は正しい……」

 目を閉じて、そう言うクラウスの口元には微笑が浮かんでいた。




 夕食の時間。食堂の長さ数メートルもあるような長方形の大テーブルにクラウスとフローラが並んで座り、その向かいにノエルが座っている。

 それぞれの間隔が二、三メートルずつあいている。


 フローラが赤く腫れたクラウスの両頬に気がついた。


「お兄様、ほっぺた赤く腫れてますけど、どうされたの?」

「う、うむ、蚊に刺されたようだ」


 バツ悪そうに答えたが、フローラは素直に受け取って驚く。

「まあ、なんて大きな蚊なんでしょう」


 ノエルもバツ悪そうに首をすくめて二人の会話を聞いている。


 メイドが何皿もの食事を運んできて、食事が始まった。


 しかし、会話はなく、カチャカチャとナイフとフォークの音だけが響いている。

 ノエルは不思議そうに、かわるがわるクラウスとフローラを見るが、二人とも特に気にすることなく、黙々と食事を続けている。


「いつも、こんな感じなのか?」

 突然質問するノエルにクラウスとフローラは顔を上げてノエルを見る。


「こんな感じだが……、変か?」

「ノエルさん家は、どんな感じなの?」




「こんな感じかな」

 テーブルの角の部分、ノエルとクラウスが直角に座り、その隣にフローラ。大きなテーブルの隅っこに三人が固まっている。


「ずいぶん狭いな……」

「この方がしゃべりやすいだろ」


 クラウスとフローラが不思議そうに顔を見合わせた。


「食事になると、親戚とか近所の人がやってきて、十人以上で丸テーブルを囲む。料理は大皿で出すから、二、三人増えても大丈夫。気づいたら知らない子供がいた、なんてこともあったな」

「まあ、にぎやかで楽しそう」


 席も近づき、特にフローラがノエルと話したがり、会話が進んでいく。


「我が家ではノエルさんは、ずっと男だったんですよ」

「へー?」


「お兄様ったら、ノエルさんに負かされるたびに『あのクソ野郎、次こそ、ぶっ殺してやる』って庭で特訓するんですよ」

「お、おい、フローラ……」


 クラウスは慌ててフローラを止めようとするが、ノエルはにこやかにフローラを見る。

「特訓の成果で、この前は首をちょん切られるところだったよ」

「お兄様、ひどーい、そんな残酷な!」

「い、いや、ノエルというのは男の名だと思ってたんだ。最初から女だとわかってたら……」


 そこで言葉が止まり、次の言葉を言えなくなった様子にノエルが続けた。

「それでも、戦っただろう。戦争だから」

「……ああ、そうだな」


 場の空気が重くなったのを感じたように、フローラは慌てて話題を変える。

「ノエルさんは、兄弟いるの?」

「いるよ。十四歳の双子の妹。顔がそっくりだから面白いよ」

「ワー、会いたいなあ。やっぱり、髪は黒いの?」


 クラウスはそんな食卓の様子を微笑みながら眺めている。

(こんなににぎやかな食事はいつ以来だろう……、母さんがいたころか……。フローラも今日はよくしゃべる)



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