第十話 真実

 俺はミラとフリルを抱え、千波湖から数十メートル離れた場所にある水戸レイクサイドボウルに向かっていた。ここはかつて老若男女を問わず大人気のボーリング場だったが、いまは廃墟化している。

 千波湖の近くで身を潜められる場所を考えたとき、思い当たる場所がここしかなかった。

「着いたぞ。ひとまずこのなかで休もう」

 扉の鍵は空いており、なかは自由に入れるようになっていた。

 廃墟になったばかりだからか、内観もそこまで汚れてはおらず、身を潜めるには十分な環境だった。当然だが、人も俺達以外にいない。

 俺はゲームセンター奥にある会議部屋へと足を踏み入れる。部屋の角にはひとり分の仮眠スペースも備え付けられているため、そこに布団を敷いてフリルを寝かせた。

「……随分と詳しいのですね」

「小さいころ、よくここで遊んでいたからな」

 中腰になり、俺はクッション性のあるオフィスチェアにミラをゆっくりと座らせた。

「さっきからあなたの行動と言動には疑問が生じます。小さいころ遊んでいたとはどういうことですか? あなたは魔界のものでしょう?」

「いや、俺はもともと人間界のものだよ」

「っ⁉︎ それってどういうことですか……?」

「……もう何年前になるのかな。俺がまだ6歳のころ、お母さんと千波湖に行ったときなんだけどさ」




『真瀬、ごめんね? いつも同じ所にしか連れて行けなくて』

『ううん、平気だよ。ママはパパが借りたお金を返す為に、いつも頑張っているんだもん」

「……」

『ママが作ってくれるご飯は美味しいし、こうして一緒にいられるだけで僕、幸せなんだ!』

『真瀬っ……』

『ママ?』

 ママが僕の体を強く抱きしめる。優しい温もりが肌を通じて心までも温めてくれる。ママの顔は見えないけれど、どこか泣いているようにも感じた。嬉し泣き、ってやつなのかな?

『真瀬、本当にごめんね? ママがもっと強ければ、もっと美味しいものを食べさせてあげられるのに……! 家だって、もっと素敵な所に住めたはずなのに……!』

『ママ?』

『でも大丈夫。あなたはこれから……その夢が叶うのよ!』

『ちょ、ママ? どういうこと? もうお金は返さなくていいってこと?』



『待たせたな』



『‼︎』

 僕とママの前に突如現れたのは、黒の軍服と軍帽を身につけた男の人。いや、人ではない。頭には2本の角が生え、耳も異様に長く尖っている。日本では見かけないその異様な姿に恐怖で足が震えてしまう。でもママは、なぜかその姿を見ても、まるで見慣れたように動じない。

『だ、だれッ⁉︎』

『私の名は『ベリアル・デスブリンガー』。魔王の座に君臨し、今日から君の父親になるものだ』

『……え?』

『君の名前はすでに母親から聞いている。––––––鹿島真瀬』

『ぼ、僕の名前まで……? マ、ママ! これは一体どういうことなの⁉︎ 僕なにも聞いてないよ⁉︎』

『真瀬、よく聞いて。あなたはこれから、第二の人生を歩むのよ』

『第二の、人生……⁉︎』

『そう。人生にはね、全く違う生きかたを歩む第二の人生というものがあるの。真瀬はそれが早く訪れただけ。これからは、あっちの人達と仲良く暮らすのよ』

『ママは……? ママも一緒じゃないと嫌だよ‼︎』

『ママはこっちでやらないといけないことがあるから、一緒に行けないの』

『そんなの嫌だよッ‼︎ ママと離れるなんて絶対に嫌だぁ‼︎ ママのやることが終わるまで僕も一緒に待つよ‼︎」

『ありがとう。でもね、ママひとりじゃないとダメなの。やることを終わらせたらすぐにママもそっちに向かうから、少しの間の辛抱よ。ねっ?』

『……う、うぅ……! 嫌だぁ〜!」

 ボロボロと大粒の涙が溢れ出てしまう。これまで、お世辞でも豊かとは言えない貧乏生活をふたりで協力し合いながらずっと一緒に生活してきた。その日は1日食事をすることができないなんてこともざらだ。街を歩いていれば好きなものを買ってもらえる親子の姿を目にするが、あんなのは夢のまた夢で、いつの日か期待することもなくなった。

 僕はただ、パパの犠牲になったママのことを少しでも支えられる子供でいればいい。ママの喜ぶ顔を見るだけで、僕の心は満たされるから。

 離れ離れになることなんて一度もない。外に出かけるときは決まって手をつないでいたし、家のなかだってママが料理をしているとき後ろから抱きつくぐらい一緒だった。いまだってそうだ。

 だからだろう。いざ別れる瞬間が訪れると、言葉にできない寂しさが一気に襲いかかってくる。いつからだろう。気づけば、大粒の涙がこぼれ始めている。

『あらあら、そんなに泣いちゃって。前にママを守ってあげるぐらい強くなるって言わなかった?』

『うぅ、ひぐっ……いっだぁ……っ』

『だったらいま、ママに強くなるところを見せてちょうだい?』

『…………うん』

 そう言われ、僕は自分の袖を使って涙と鼻水を豪快に拭き取った。しゃっくりも数秒間息を止めて、無理やり抑え込んだ。

『よし、泣き止んだね。偉いわ、真瀬』

 実際は泣き止んでなどいない。グッと全身に力を入れ、涙がこぼれてくるのを一時的に止めただけだ。そのことにママもきっと気付いている。気付いているのに褒めてくれるのはママの優しさだ。

 おまけに僕の頭を優しくなでてくれる。とても心地よい。けど、そういった優しさが余計に涙をあふれだそうとしてくる。ほら、ちょっと油断したら大粒の涙が浮かび始めた。

 ママはそれを見て見ぬフリをするかのように魔王様と向き合う。

『ごめんなさい、魔王様。お時間を取らせてしまって』

『気にすることはない。私にも愛すべき家族がいるからな。そなたの気持ちは十分に理解しているつもりだ』

 魔王様のセリフを聞いて、もっと悪党な性格の持ち主かと思ったけど、意外と理解のある温厚な性格の持ち主なのだと印象が改まった。

『では行くとしようか、鹿島真瀬』

 魔王様が僕に手を差し伸べてくる。同じ人間とは思えないゴツゴツとした大きな手。異様に尖っているその爪に恐怖を感じ思わず身を縮めてしまった。それでも、差し伸べられた手のひらからはどこか優しさのようなものも感じられる。

 ……この手を握れば、僕はママと離れ離れになってしまう。––––––でも! ママは言ったんだ!やることを終えたら向かうって。約束したんだ。ママを守ってあげられるぐらい強くなるって。ここで断れば、ママを困らせてしまう。そんなのは嫌だ!

 だからいまの僕がすべきことは、ママのことを信じてあげること!

 ––––––僕は魔王様の手を、そっと握った。

『ママ、絶対にすぐ来てね! 約束だよ⁉︎ 絶対だからねッ⁉︎』

『ええ。必ず迎えに行くわ。次会う時は、もっと強くなった真瀬を楽しみにしているからね』

『……うん‼︎』

 お別れの最後に、ママと強く抱きしめ合う。ギュッと……ギュッと力強く。この温もりを忘れないように。いつでも思い出せるように。涙はもう、流さない。

 やがて体をゆっくりと引き離した僕は、振り返って魔王様の手を再び握った。




「……そこから俺は魔界のものとなった。魔界で暮らしていくために血の契約を交わし、魔王様の居城で暮らしていったんだ」

 血の契約とは悪魔の血を飲む行為のことで、魔王様が自ら自傷して出血させた血をワイングラスの1/3を飲み干さなければならない。これは悪魔が常々おこなっている儀式ではなく、人間の血に悪魔の血を取り込むという祝福を表しているのだという。一度でも飲んでしまえば、もう純粋な人間に戻ることはできない。悪魔の血は、永久に俺の体の中で宿り続ける。

「ちなみに、お母様は……」

「あれから会うことは一度もなかったよ……。こうしてミラと会う前に家にも寄ったけど、跡形も無くなっていた」

 誰かの悪事で壊されたのではない。家の欠片ひとつないほどに綺麗さっぱり無くなっており、売地になっていた。

「そうでしたか。なんとも心痛い……」

 本当にその通りだ。必ず迎えに行くと言っておきながら、母さんは迎えに来なかった。そもそもの話、どうやって迎えに来るのかという疑問を生じなかった小さいころの俺を戒めたい。

 だがどんなに悔やんだところで、時間を戻すことはできない。結局母さんは最初から迎えに行くつもりなど鼻からなく、俺ひとりだけを魔界に送ることを考えていたのだ。そんな意図を見抜けなかった自分にも余計に腹が立つ。

「それで? あなたはお母様が迎えに来るまでの間、なにをして過ごしておられたのですか? ただのんびりと豊かな生活を送っていたのではないのでしょう?」

 ミラがそう勘ぐるのは、俺との戦いで敗北したことが結びついているのだろう。

「ああ。俺は血の契約を交わした次の日から、地獄の特訓が始まった」

「地獄の特訓?」

「体術と魔術を徹底した訓練だ。ある程度の基本を教わったあと、魔王様とサシでひたすら戦うんだ。それも体がボロボロになるまでな」

 特訓の日々を思い返すだけで吐き気を覚え始める。

「本当に地獄だった……。殺されるんじゃないかと思うぐらいに限界まで追い詰められるからな。訓練の後は立つのがやっとだったよ」

 そして、数えきれないほど吐いた。吐きまくった。体の胃液が無くなるんじゃないかと感じるほどに。吐いて吐いて、吐き続ける日々。

 当時は6歳という幼い年齢であったのにも関わらず、魔王様は全く容赦がなかった。大人が幼児相手に本気で格闘技をするかのように……。

「でも、そんな日々を10年間過ごしたおかげでここまで強くなれた。そういった意味では耐え抜いてよかったなと思うよ」

 当時はよかったなんて感情は死んでも思わなかった。なんなら死んだほうがマシなんじゃないかと思ったぐらいだ。

「じゅ、10年間も続けたのですかッ⁉︎ ……なるほど。道理でお強いわけです」

 ミラは真瀬の強さの根源はそこにあるのだと理解した。真瀬の訓練の話を聞いて自分はそこまで耐え抜いた経験はないし、体術や魔術もほぼ独学で習得したもの。ある意味でプロに付き添いながら学んだ真瀬と実力の差が出てしまうのは当然のことなのかもしれない。それだけ自分の知らない技術や知識を真瀬は教わっているからだ。

 真瀬は勝敗の原因を魔力量と言っていたが、実際のところは違う。魔術も体術も全てにおいて劣っていた。敗北した自分だからこそ分かる。

 真瀬が本気を出していれば完膚なきまでにやられていた。彼自身は気付いていないのだろうが、顔はどこか遊んでいるようにも感じ取れた。

雷輪エレキテルリング】を上書きできるなら、他の魔術だってそれができたはずなのだ。

 それをしなかったということは……もはや言うまでもない。

 はっきりとものを言わないのは気遣っているから。確証はないが、なんとなくニュアンスで分かってしまう。女性の勘というやつだ。

「……あなたが私との戦いで手を抜いていたのも、いつでも倒せるという強者の余裕というやつでしたか」

「手を抜いたというと、ちょっと語弊が生じるな。言ったはずだぞ? 俺は元々君を殺すつもりはないって。それに強者だなんて思っていない。俺より強い人なんて探せばいくらでもいるからな」

 ミラはこの際、真瀬の実力に関して問うことをやめ、別の切り口で問う。

「ならあなたは、なにしにこちらの世界へやって来たのです? 確かあなたは、託された想いがあるとおっしゃっていましたが……」

「ああ。俺はこの国を救うためにやって来た」

「は、はぁぁ⁉︎ この国を救ううぅ⁉︎ 日本をぉ⁉︎」

「あ、ああ……!」

「侵略の間違いではなくて⁉︎」

「う、うん!」

 身を乗り出して顔を近づけてくるミラに圧倒され、思わず引いてしまう。

「ちょっ、いや……んまぁ、そういうところが噛み合わないからこうして話の場を設けているのでしたね。取り乱してしまい申し訳ございません……」

「いや、大丈夫だ。気にしていない」

 本当は気にしている。ミラは冷静で大人しい性格の持ち主かと思ったが、意外と取り乱すこともあるんだなと。その意外性にちょっとだけ面白く感じたことは言わなくていいだろう。

 ミラがコホンっとわざとらしく咳払いをし、冷静さを取り戻す。椅子に座り直して話を再開した。

「まぁひとまず、仮に日本を救うためにやって来たとして、その託された想いとやらは誰からのご使命ですか?」

「天界のセラフィーだ。––––––と言っても、分からないよな?」

 人間界に住んでいるものがこちら側の住人を知っているはずがない。

「ああ、あの綺麗なおかたですよね。もちろんご存知ですよ?」

「っ⁉︎ なんでミラがセラフィーを知っているんだ⁉︎」

「なんでもなにも、私はセラフィー様から能力を授かり、この国を守ることを宿命とした『転生者』ですから」

「なにっ⁉︎」

 ミラが転生者であったことを知り驚愕。いま思えば誰が一般人で、誰が転生者なのか区別ができていないことを知る。俺はエンペラーシックスを転生者、それ以外の防衛隊のものを一般人だと思い込んでいたからだ。どうやら防衛隊の中にも転生者は潜んでいるらしい。

「能力を授ける行為は天界の王の役目だと、セラフィーからは聞いているんだが……」

「確かにそのようなことはおっしゃっていましたね。私のときは、天界の王が席を外しているため代理を任せられたと説明を受けましたが」

 俺はセラフィーが言っていた話とミラの話をすり合わせる。

(……転生者は日本を守ることを宿命として能力を授かったもの。だが日本は転生者によって侵略されつつある。でも能力を授けたのはセラフィー……)

 腕を組み、難しそうに考え込んでしまう。なんだか矛盾を抱え込んでいそうな出来事に頭の中はもやもやだ。

「それよりも、なぜ悪魔側であるあなたが天界側の情報を知っているのですか? 天使と悪魔は敵対関係なのでしょう?」

「確かに天使と悪魔は敵対関係だ。けど俺は元々人間だからな。それに興味を持ったセラフィーがある日俺に近づいてきて、そこから仲良く話す関係までになったんだ」

 密会していたことも補足する。この関係は俺達だけしか知らないのだと。

「なるほど。敵対関係でも根から嫌っているわけではないものもいたわけですね」

「そうだな。セラフィーは天使と悪魔が共に食卓を囲む世界を本気で願っていた」

「……食卓を囲む、ですか。確かに仲の悪いもの同士で食卓を囲むことはあり得ませんからね。なるほど。それがセラフィー様の想い描く理想の世界というやつですか」

「ああ」

「……もしそんな理想が叶うならば、私もそうしたいものです」

 どこか寂しそうに瞳を伏せるミラ。その姿はまるで、所詮は理想でしかないと言いたげそうだ。

「なにか言いたいそうだな」

「……ええ。あまり希望を失わせることを言いたくはないのですが……それは不可能だと思います」

「……理由を聞いてもいいか?」

「私達転生者は一度、あなた達悪魔に殺されているからです」

「…………え?」

「私達は元々、この地球で生まれ育ったものではありません。この地球とは遠くかけ離れたもっと別次元の世界。そこで私達は生まれ育ちました」

 それは天使と悪魔が地球とは違う星に住んでいるのと同じなのだろう。俺も初めて魔界に連れて行かれたときは、地球以外にもこんな世界があったんだなという衝撃と感動をいまでも覚えている。

「ひとりひとりが豊かな生活を送り、笑い合い、助け合い、ときには食事を共にするなど、まさに理想の平和を描いた夢のような世界でした」

 思い返すように語るミラの表情は儚げない。

「しかし、そんな平和は続きませんでした。ある日、悪魔の軍勢が私達の世界を侵略しに来たのです」

「!」

「もちろん私達は全力を尽くして応戦しました。しかし、私達の実力では悪魔軍の足元にも及ばなかったのです……」

 ミラが自身の袖をギュッと握る。そこには当時の憎しみや悔しさの情が込められているかのようだった。

「でも、いま振り返ってみればそれは当たり前だったのかもしれません。なんせ勇者一行の方々でさえ太刀打ちできなかった相手なのですから……」

「勇者一行って、いまでいうエンペラーシックスのことだよな?」

「はい」

「そうか……」

 ということは、その人達も一度悪魔に殺されているということ。そして勇者一行を全滅させることから、悪魔軍がどれだけ強いのかを思い知らせられる。人々から勇者一行と称されるぐらいだ。彼らが決して弱かったというわけではないのだろう。悪魔軍が強過ぎたのだ。

「あのときの悲惨な光景はいまでも覚えています……。多くの死者を増やし、世界が血に染まるあの瞬間……ッ。その中には、私の家族や親友もいた……」

「ッ」

「一体私達が、なにをしたというのですかッ⁉︎」

 かすかな涙声。そこにはかつての家族や親友との思い出が蘇っているのだろう。

 俺は当時の現状をなにひとつ知らない。ミラの気迫溢れる感情から見て、転生者側が先になにか手出しをしたわけではないのだろう。全ては悪魔軍の利己的な行動によって引き起こされた惨劇。

「だから私達転生者は、絶対に悪魔達を許すことはありません。こちらに与えた痛みを、今度はこっちが与えてやるのです!」

(……復讐、か)

「あなたの前で言うことではありません。ですが、これが私達の想いであり、願いであり、宿命であることをご理解いただきたい」

 こちらに向けられたミラの瞳の奥には、強い憎しみの炎が宿っていた。

「……ミラ達の気持ちは、理解したつもりだ。でも、それと日本の侵略は関係ないんじゃないのか?」

「……」

「俺はセラフィーから聞いた。転生者達は日本を侵略しつつあるって。そもそも、どうして日本なんだ?」

「……理由は主に二つ。一つ目は『天界の意向に背くため』。二つ目は『悪魔を殲滅させるため』です」

「……どういうことだ?」

「そもそもセラフィー様の話によれば、天使は悪魔を外界に進出させ危害を与えないようにする役目があるそうです。天使達は常に悪魔達の行動に目を見張り、警戒を怠らないようにしていると」

 これまで世界が平和に過ごせていたのは、天使達の見張りがあってこそ。ミラはその役目を全う出来なかった天使の失態により自分達の世界が滅んでしまったと怒りをあらわにする。それが天界の意向に背く一つ目の理由。

「そしてセラフィー様には驚くべきことに、密かに恋心を抱いていた人物がいたそうです。その人物は日本人であり、名を––––––鹿島真瀬、と」

「‼︎」

「まさか……あなただったとは思いませんでしたよ」

 こちらに向けるミラの眼差しは、切れ味がよさそうなほどに鋭い。

「っ……。それが、どう関係しているというんだ?」

「セラフィー様はこうおっしゃっていました」



『いずれ悪魔達は日本を侵略することでしょう。だからどうか、その成仏しきれなかった強い想いを糧に、日本を守るために力を奮ってください。これから授ける力は、そのためのものです』



「セラフィーが……そんなことを……⁉︎」

 ミラの話によれば、その力というのは天界より古くから伝わる『神の泉』だそうだ。

 個人差はあるが、コップ一杯分で自身の能力を2倍以上に増幅させることができる、まさに万能水。

 だが万能過ぎるが故に、飲み過ぎると副作用が生じるとして、天界の掟で一杯までと厳しく管理されているのだという。

 ミラ自身もコップ一杯分しか与えられなかったことから、他の転生者達も同様なのだろうと推測。

「セラフィー様が私達転生者に力を授けてくれたのは、この日本を守るため。その理由は真瀬、あなたが生まれ育った母国を守るためでもあるそうですよ」

「っ!? ちょっと待ってくれ! それじゃあセラフィーは、こうなることを予言していたということなのか⁉︎」

「さぁ。そこまでは私も存じません」

「そ、そうか……」

 そもそもセラフィーがこういう事態を予言していたのであれば、もっと早めになんらかの対策はできたはず。死ぬことだって避けられたはずだ。だとすれば、今回の予言はたまたま当たっただけということになる。

「でもセラフィー様の予言は当たっているかもしれませんよ? なぜなら私の目の前にこうして魔王が現れているのですから」

「……なるほど。日本にいれば、いずれ悪魔達が侵略しようと出向いてくる、と」

「ええ、その通りです。そしてこの日本を守るために私達はセラフィー様から力を授かったというわけです。––––––今度こそ、悪魔達を殺すために」

「…………」

 ミラの言っていることが本当だとして、セラフィーの行動には疑問が生じる。

 セラフィーの取った行動は、確かに天界側の視点からすれば筋が通っている。

 でも、天使と悪魔が共に食卓を囲む世界を夢見ていたセラフィーの行動とは思えない。

 俺個人の視点から見てもそうだ。俺の生まれ育った日本を守るために、転生者達に悪魔を殲滅させる役目を担わせた。きっとそこには俺も含まれている。その証拠にミラは俺を殺すつもりでいた。

 つまりセラフィーは俺ごと殲滅させるように仕向けたと考えるのが妥当だろう。

 確かに俺は元人間とはいえ、現状は悪魔の部類だ。

 でも、それでも……恋心を抱いていた俺に対して、なにひとつ配慮がないことは……傲慢なのだろうか。それとも、死に際に放ったセラフィーの返事は上っ面の嘘で、俺がそれを間に受け止めているだけのただの勘違い野郎だったのだろうか。

 セラフィーの考えていることがよく分からなくなってきている。どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。

 だがそれを確かめる方法は、もうない……。

「俺の死が平和に繋がるという意味は、そこに繋がっているというわけか」

「ええ。まぁ他にも理由はございますが……」

 ミラが俺から視線をそらし、ほのめかす。

「理由?」

「あなたには関係のないことです」

「そうか。別に言いたくなければ言わなくてもいい。でも悩みがあるなら協力するからいつでも言ってくれ」

「……お気持ちはありがたいですが、私はまだあなたを完全に信頼したわけではありませんので。その点を誤解しないように」

 ミラが警戒心を解かないのは無理もない。俺達は今日出会ったばかりで、お互いのことをまだよく分かっちゃいない。

 それに俺は立場上、ミラが殺すべき対象だ。

 なにか秘密を話すなら心から信頼を置ける人物にしか明かしたくないのは当然のこと。俺は特に問い詰めることなく、素直にそのことを受け入れた。

「ああ。ミラが話をしたくなったらでいい」

 今度は俺が質問を投げかける。

「ちなみになんだが、この日本にはすでに悪魔が出向いているのか?」

「といいますと?」

「俺が初めて魔界からこの日本に来たとき、千波湖で黒の装束に白い仮面を被った奴と戦ったんだ。そいつは自分のことを悪魔と名乗って、この世界を侵略するものと言って自爆したんだけど。なにか知らないか?」

「……悪魔と名乗っておられたのであれば、あなたのお仲間では?」

「いや、正直それが信じられなくて。それを確かめようと仮面を外そうとしたんだけど自爆されたからな。実際のところ本当にそいつが悪魔なのか分からないんだ」

 魔界のルールで魔王様の許可がないと外界に抜け出すことはできないようゲートは管理されている。ゲートは自由に行き来できるものではなく、緊急性を要すること以外、外界に抜け出すことは禁止されているのだ。それは天界に常に目を見張られているという身の安全も含めてのルール。

 少なくとも俺が魔王候補に選ばれてからは誰ひとりとして外界に抜け出してはいない。であれば、その前から悪魔は日本に出向いていたと考えるのが普通だ。

 そのことも追加でミラに話す。

「そういうことでしたか。ですが私にも、その正体については皆目も検討もつきません……」

「そうか」

 あの悪魔について情報が手に入ればと思ったが、分からない以上は仕方がない。

(今後、また出くわす機会はあるだろう。今度は自爆される前に仮面を剥ぎ取り、正体を確認すればいいだけのこと。実力に関してもそこまで強いわけではなかったしな)



「じゃあ、私になら教えてくれますか?」



「「‼︎」」

 いきなり話に割り込んできたのはフリル。意識が戻ったのかと思えば、のび〜と全身を伸ばしたあと布団から起き上がり、俺達と向き合う。

「いやぁ、まさかおふたりにそんなことがあったなんて知らなかったです」

「フリル、一体いつから……」

「真瀬が元人間である話をしたところからです」

「ほぼ最初からじゃないか! ていうか、起きていたのなら言ってくれよ」

「いやぁ〜、おふたりが重たい空気のなかでなにを話すのか気になっちゃいまして。私が会話に入るのも場違いな感じがするし、なにより割り込むタイミングがなかったです」

「別にそんなことは……」

 そうは言うものの、実際のところフリルが最初から会話に混ざっていたら話せなかった部分もあっただろう。俺とミラは戦いの因果関係にあるが、フリルはもとをたどれば関係のない立場にある。

「それよりもミラ先生。さっき他にも理由があるとおっしゃっていましたが、私には話してもらえないですか?」

「そ、それは……」

「私はミラ先生と同じ防衛隊の仲間ですし、情報を共有する権利はあると思います!」

 やたらと強気な姿勢で当たるフリル。その気迫に押されたミラは少しだけ考える素振りを見せたが……。

「……申し訳ございません。いくらフリルさんでも、お答えすることはできません」

 同じ仲間にも明かせない内容。それをどうしても気になってしまうのが人間の心理というもの。それでもフリルは掘り下げたい欲をグッと堪え、気持ちを落ち着かせる。

「そうですか。でもミラ先生、真瀬は私の恩人なのです。少しでもいいので、どうか信頼してくれませんか?」

「……」

 フリルはもう真瀬のことで隠す必要はないと思い、情報収集のとき嘘をついたことに対して頭を下げて謝罪した。ミラはすでにフリルが真瀬と関わりがあることを察していたので責めることはしない。

 そのうえでミラがすぐに反論の弁を唱えることができないのは、ミラの心の底には信頼を置いてもいいという部分があるから。

 ミラは真瀬との戦いで実力の差を見せつけられ敗北した。

 先に攻撃を仕掛けたのもミラからで、殺すことも宣言した。ミラは自分が殺されても当然なことをしてしまった。もちろんあの戦いはその覚悟のうえでおこなったこと。

 結果は真瀬の圧勝。本来であれば、ミラは殺される立場にある。

 しかし真瀬はそれをしなかった。それだけで真瀬は普通の悪魔とは違う心の持ち主であることが分かる。ミラはそんな真瀬を鼻から信頼していないわけではなかった。

 それでも不信感が拭えないのは真瀬が悪魔側の立場であるから。

「フリルさんのお気持ちは分かります。ですが私達は防衛隊です。悪魔を殲滅させる組織の一員が悪魔とつるんでいたということがバレたりしたら、私達だけではなく組織全体への信頼が揺らんでしまいます」

「でしたら、私にいい提案があります」

「提案?」

「真瀬が防衛隊に入っちゃえばいいんですよ!」

「は、はぁぁあああああああああァァッッ⁉︎」

 フリルの斜め上すぎる提案に肩がずり落ちる。

 俺はともかく、ミラは過去最高にいいリアクションを見せた。

「な、ななな、なにを言っているのですかフリルさん!! そんなことが認められるはずないでしょう!」

「えええ⁉︎ だってほら! 真瀬が防衛隊に入る意思を見せればエンペラーシックスの方々も仲良くしてくれそうじゃないですか⁉︎」

「真瀬さん、うちのものが申し訳ございませんでした」

「いや、大丈夫だ。気にしていない」

「なんかバカにしていません⁉︎」

 そうツッコミを入れるフリル。しかし驚きなのは、さっきの提案はふざけて言ったわけではないということ。

「フリルさん、残念ですが世の中はそんなに甘くありません。悪魔が防衛隊に所属するなど天地がひっくり返ってもありないことなのです」

「そ、そこまで言い切っちゃいますか……」

「はい。過去にもそんな事例はございませんし、これからもないでしょう。私達の話を聞いていたのであれば分かるはずです」

 転生者は無慈悲に悪魔に殺された過去を持つ。そんな自分達の幸せを奪った憎むべき相手を組織に招き入れるなど誰が許すだろうか。

 仮にエンペラーシックスがそれを承諾したとしても、周囲の人は地が揺れるほどのデモ活動が起こることぐらいは容易に想像がつく。

「でも、このままじゃ真瀬がッ!」

「フリル……」

 フリルの拳がプルプルと震えている。そこには一体、どんな感情が込められているのだろうか。

「……私だって、つい最近までは悪魔を強く憎んでいました。私の唯一の家族を……ママを殺したから」

「⁉︎」

 フリルの知られざる過去を知り、驚愕してしまう。またもや悲惨な事件に悪魔が絡んでいるとは……。

「だから私は防衛隊を目指したんです。大切な家族を奪った悪魔を殲滅させるために!」

 転生者のみならず、フリルの幸せまでも奪った事実に心が傷まずにはいられない。

 フリルがそのような被害に遭っているとなると、他にも多くの人が同じような事件に巻き込まれている可能性は非常に高い。

 転生者と日本人。両方から見た悪魔への印象は限りなく最悪な状態といえる。

「でも、そんな悪魔のなかにも真瀬みたいな人もいることを知ってからは、別に全ての悪魔が悪いわけじゃないのかなと思うようになったんです」

「フリルさん……」

「防衛隊としてこんなことを言うのは変かもしれませんが……私は、悪魔と共存できる世界を見てみたくなりました。ただ殺し合うのではなく、分かち合う関係になれるならそうなりたいのです!」

 フリルの想いには、どこか通じ合うものがある。

「!」

 フリルをぼんやりと見つめていると、そこにはフリルと重なるようにセラフィーの姿が。

「……セラフィー?」

 思わず名前を口にしてしまう俺だったが、すぐにハッとなり我に帰る。セラフィーが生きているはずがない。そんな事実を自分に言い聞かせる。

 まるで夢から覚めたように、セラフィーの姿はとっくに消えていた。

 ––––––それでも、先ほどのフリルのセリフは、まるでセラフィーが言っていたかのような錯覚を覚える。言葉では言い表せない不思議な感覚。

 セラフィーはかつて、天使と悪魔が共に食卓を囲む日が訪れることを思い描いていた。フリルの悪魔と共存できる世界というのはそれと似ている。

 俺がフリルを通じてセラフィーの姿を投影してしまったのは、それが関係していたからだろう。

 もしかしてセラフィーは、綾瀬フリルという存在が現れることを見越して……?

 もしこれが、セラフィーの予言していたことだとすれば……。

「ミラ、防衛隊に入るのに例外は存在するのか?」

「ええ、ありますよ? 例えば元防衛隊のもので再入隊を希望する場合、試験用の魔術師と手合わせをし、勝つことができれば入隊を認められます。もちろん、諸々の試験を免除して受ける試験ですから合格難易度は2%とかなり低めですが」

「受けるのは元防衛隊じゃなくてもいいのか?」

「え? ええ。12歳以上かつ魔術を扱えるもの、もしくはそれと同等かそれ以上の実力が見込まれているものであれば……ってまさかあなた、受けるおつもりですか⁉︎」

「ああ」

「はぁぁあああああああああああァァッ⁉︎⁉︎⁉︎」

 発狂にも似た満点のリアクションを見せるミラ。もう防衛隊を辞めて芸能界に進んでもやっていけるんじゃないだろうか。

「あなたはおバカなのですか⁉︎ さっき悪魔が防衛隊に入るなんてありえないって話したばかりでしょう‼︎」

「いや、話だけでも聞いてもらえないかなって」

「聞いてもらえるわけないでしょ!!」

「でもほら、俺は元々人間だし」

「そんな言い分が通用するわけないでしょ‼︎ あなたは悪魔なのですよ⁉︎ あ・く・ま! あなたって以外とアホなのですか⁉︎ それともドアホなのですか⁉︎」

「なんで選択肢がアホだけなんだよ……」

「……ぷっ、あは、あははははっ!」

 俺とミラが言い合っている側で、急にお腹を押さえながら笑い出すフリル。悪魔にでも取り憑かれたのだろうか。

「な、なにがおかしいのです? フリルさん」

「いえ、二人のやり取りが可笑しくって……ぷぷっ」

 フリルのセリフを聞いてジトーと睨み合う俺とミラ。振り返ってみれば、確かに敵同士とは思えないやり取りだった気がする。

「それに、ミラ先生ってもっと落ち着いた雰囲気の大人って感じで遠い存在のような印象がありましたけど、意外とお茶目な部分があるんですね。なんだか親近感が湧きました」

「フリルさんに言われたらおしまいですね」

「ええぇっ⁉︎ ちょ、それっ、どういう意味ですかあああ⁉︎」

 フリルがポカポカとミラの肩を叩く。ミラは小さく頬を膨らませながらどこ吹く風。

 そんなふたりのやり取りを見て、あまりの微笑ましさに自然と広角が上がってしまう。同時に、胸の内側から暖かくなるのを感じた。

(ああ、これだ。この安らぎと温もりが合わさった感じ……。俺が、俺達が目指していたのはこれだったんだ)

 セラフィーと密会していたときにも感じていた暖かさ。最初は恋心によるものだと思い込んでいたが、どうやらそれは違うらしい。

 いつの間にか忘れていた感覚。それは幼い頃にも感じていた心地よい気分だった。

 そして俺は確信した。そこに種族は関係ないことを。俺が目指すべきことは、全員がこの感覚を共有できる世界なのだと。きっとセラフィーもそう言うに違いない。

「ミラ、仮に俺が防衛隊の試験を受けたら合格する見込みはどれくらいだ?」

「……あなたの実力であれば難なく突破出来るでしょうね。確実に」

「そうか。なら安心した」

「……本当に受けるおつもりですか? それは自ら殺されにいくのとなんら変わらない行為ですよ?」

「ミラ、これは最初に言ったことだが、俺はこっちの世界に来たばかりで、いまこの世界でなにが起こっているのか正直分からない部分が多い」

「……」

「だから俺は、この眼で真実を確かめたい」

 防衛隊も、転生者も、そして悪魔のことも。俺はこの世界を知らなすぎる。セラフィーの想いを継ぎ、叶えるためには多くのことを知る必要がある。

 例え、その道が『死』と隣り合わせだったとしても。

(それに、いまの俺に帰る場所なんてないしな……)

「やったぁ! 真瀬が防衛隊に入ればかなりの戦力になるし、他の悪魔達も悪さをしないよう従わせることが出来ますね!」

「いや、それは無理だ」

「え? なんで? だって真瀬は魔王なんでしょ? 王なら一番権力を持っているはずなんじゃ……」

「俺は魔王候補の一人であって、まだ魔王になったわけじゃない」

「………………あ」

 フリルは思い出す。それは俺が千波湖で悪魔に放ったセリフを。



『……まぁいい。俺は魔王候補の一人だ。悪魔族の全員の顔ぐらい覚えている。その仮面を外して真実を確かめさせてもらうぞ』



「ちょっと待ってください! あなた、魔王ではないのですか!?」

「ああ。俺はただ魔王候補として選ばれているだけだ」

「なっ!」

 ミラも思い出す。俺が一度も自分のことを魔王と名乗っていないことを。

「……と、ということは、魔王は別で生きているということですか!?」

「生きているかは正直分からない。俺は天使との戦争後、すぐに日本に出向いた身だからな」

 天使との戦争を大雑把に話す。フリルは俺と初めて出会ったとき、服装全体が汚れていたことを気になっていたようだが、戦争の話を聞いて合点したようだ。

「……ちなみに、魔王候補は何人いるのですか……?」

 ミラの顔はすでに恐怖に支配されていたかのようにこわばっていた。瞳も小刻みに揺れている。

「魔王候補は他に五人いる。それも全員、魔王様の子供だ」

「「…………え」」

 青ざめながら絶句してしまうふたり。

 そう。現時点でなによりも一番厄介なのはそこだった。なぜならその候補者は––––––

「ハッキリ言う。その五人は俺より強い」

 悪魔が日本を侵略するということは、魔王候補のもの達もいずれ日本に出向くということ。

 いまの転生者がどれほどの実力者であるかは知らないが、彼ら彼女らが負ける姿は想像もつかない。

 もしかしたら、日本の侵略を巡って大規模な戦争が勃発するのも時間の問題かもしれないな。

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